表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
よくわかる日本の歴史 ~ただし、原始時代から日本にのみダンジョンがあったものとする~【第三部完】  作者: Mr.ティン
陸章 奈良時代 ~律令制の成熟と天平文化 そして大仏~

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

77/111

疫病で藤原四兄弟は病に倒れ、朝廷に政治的空白が生じた

【藤原四兄弟】


平城京の藤原邸は、かつてないほどの栄華に包まれていた。


「我らの妹君が皇后となられた。これ以上の栄誉があろうか」


長男の武智麻呂は杯を掲げ、弟たちと共に祝杯を上げる。

次男の房前、三男の宇合、四男の麻呂――藤原不比等の遺した四人の息子たちは、今や朝廷の中枢を掌握していた。

父・不比等が敷いた政治の道筋を、彼らは忠実に歩んでいる。

光明子を聖武天皇に嫁がせ、ついには非皇族初の皇后へと押し上げた。

その過程で立ちはだかった長屋王は、左道の罪により自害へと追い込まれている。


「長屋王殿には気の毒なことをした、などと言う者もおるが」

「気の毒? あの方は皇族の矜持に溺れ、時の流れを見誤ったのだ。我らが妹君を皇后とすることに異を唱えるなど、愚かとしか言いようがない」


房前が杯を傾けながら呟くと、宇合が冷ややかに笑った。


「左道の嫌疑も、根も葉もぬ話ではあるまい。基王様の夭折の後、あの方の屋敷からは妙な気配が漂っておったと聞く」

「いずれにせよ、長屋王は過去の人だ。我らは前を向かねばならぬ。光明皇后様のもと、藤原の一族は更なる繁栄を迎える。父上の遺志を継ぎ、この国を導いていくのだ」


麻呂が付け加えると、武智麻呂は頷いた。

四人の顔には、後悔の色など微塵も無い。

彼らは確信していた――自分たちこそが、この国を正しき道へと導く者であると。


朱雀大路を行き交う人々、整然と区画された平城京、遠く大陸から訪れる使節たち。

全てが藤原氏の栄華を物語っていた。

父・不比等が夢見た律令国家の完成形が、今まさに目の前にある。

夜会は深更まで続き、四兄弟は我が世の春を謳歌した。

長屋王の死など、すでに遠い過去のことのように思える。

……しかし、その平穏は長くは続かなかった。



ある年の夏、九州から不吉な報せが届く。


「大宰府より急報。疫病が発生し、多くの民が倒れております」

「疫病とな。規模はどれほどか」


使者の言葉に、武智麻呂は眉をひそめた。


「筑前を始めとした九国二島、更には百済にまで広がっております! 日を追うごとに患者が増えており、大宰府では税の徴収もままならず、朝廷への税の免除を要請したいとのこと」


房前が資料に目を通しながら言った。


「天然痘か。おそらく大陸から流れてきたものであろう。しかし、この地の民は加護で疫病にも強かろう。加持祈禱を施せば、それほど恐れることもあるまい」

「左様。大宰府には適切な対処を命じよ。僧侶を派遣し、祈禱を行わせればよい」

「良い機会ぞ。百済にも僧を派遣し祈祷させよ。恩を売れるであろうな」


宇合が冷静に答える。

彼らにとって、西海道(九州)の疫病は、遠い地の出来事でしかなかった。

むしろ外交上の機会とさえとらえて居る。

だが、日を追うごとに事態は深刻さを増していく。


「大宰府より再度の急報。疫病の勢いは衰えず、加持祈禱も効果が薄いとのこと」

「何だと!? 祈禱が効かぬとは、どういうことだ? 加護があれば、疫病など恐るるに足らぬ筈ではないか」

「それが……僧侶たちの祈禱も、陰陽師の術も、いずれも十分な効果を上げられぬとのこと。まるで民の加護が弱められているかのようだと」


使者の言葉に、四兄弟の顔色が変わった。


「加護が弱められている、とな……?」


武智麻呂が呟く。

その脳裏に、ある顔が浮かんだ。


長屋王。


いや、まさか。あの方は既に亡くなっている。

死してなお、何かを為すなどということがあろうか。

房前も同じことを考えていたようだ。


「兄上、まさかとは思うが……」

「言うな。考えすぎだ」


武智麻呂は弟の言葉を遮った。

だが、その声には微かな動揺が混じっている。


疫病は九州に留まらなかった。

夏が終わり、秋を迎える頃には、山陽道、山陰道へと広がり始める。


「各地で依然患者が発生しております」

「四国でも同様の報告が」


次々と届く報告に、朝廷は対応に追われた。

税の免除要請は各地から寄せられ、人々の不安は日に日に高まっていく。

そして冬、疫病はついに畿内へと迫っていた。


「河内国で患者が確認されました」

「摂津国でも……」

「大和国の南部にも広がりつつあります」


もはや、遠い地の出来事ではなかった。

疫病は確実に、平城京へと近づいている。

藤原邸の空気は重苦しかった。

かつての祝宴の賑わいは消え、四兄弟の顔には疲労と不安が刻まれている。


「何故だ……何故、こうも広がるのだ」


宇合が机を叩いた。


「加持祈禱を行わせ、陰陽師を派遣し、あらゆる手を尽くしているというのに。まるで疫病そのものに意志があるかのようではないか」

「意志……」


麻呂が青ざめた顔で呟く。


「まさか、本当に……長屋王殿の……」

「黙れ!」


武智麻呂が叫んだ。


「そのようなことがあってたまるか。あの方は既に亡くなっている。死者が生者に災いを為すなど、あり得ぬ」


だが、その言葉には説得力がなかった。

彼ら自身が、既に感じ取っていたのだ。

夜ごと見る夢には必ず、長屋王の顔があった。

憎悪に歪んだ、呪詛に満ちた表情が。


「我を陥れた者どもよ。お前たちに安らぎなど、決して訪れぬ」


その声が、耳の奥で反響する。

目を覚ましても、その残響は消えない。

房前は夜な夜な酒に溺れるようになり、宇合は陰陽師を呼び寄せ、屋敷中に護符を貼らせた。

麻呂は寺に多額の寄進を行い、僧侶たちに祈禱を命じる。

だが、何をしても不安は消えなかった。

そして、ついに都で最初の患者が発見される。


「都の中で……!」


報告を受けた武智麻呂は、立ち上がることもできなかった。

脚が震え、冷や汗が額を伝う。


「兄上、我らも避難を……」

「逃げて、何処へ行くというのだ。疫病は既に、この国全土に広がっている。逃げ場など、何処にもない」


房前が提案したが、武智麻呂は首を横に振った。

その言葉通り、疫病は平城京の市井から貴族の邸宅へと広がり、やがて宮中にまで及んだ。

藤原邸でも、次々と使用人が倒れていく。

医師が呼ばれ、僧侶が祈禱を行うが、効果は薄かった。

倒れた使用人達が、苦しげに呟く。


「力が……ぬけておるのです……」

「いつもなら、祈禱を受ければ楽になる筈。しかし……身体の内から、何かが失われたかのよう……」


その言葉を聞き、武智麻呂は悟った。

これは、ただの疫病ではない。

長屋王の怨念が、疫病に力を与えているのだ。

人々の加護を弱め、内なる力を奪い、死へと追いやっている。


「我らの……罪か……」


呟いた時には、既に武智麻呂自身も熱を感じていた。

数日のうちに、四兄弟全員が病に倒れ伏す。


武智麻呂は高熱に浮かされながら、幻を見ていた。

長屋王が、屋敷を包囲する兵たちの前に立っている。

その顔は蒼白で、目は虚ろだ。


「何故だ……私が何をした……」


長屋王の声が聞こえる。


「皇族としての矜持を保ち、律令を守ろうとしただけではないか。それが罪か。それが、左道を学んだことになるのか」

「違う……我らは……」


武智麻呂は弁明しようとするが、言葉にならない。

幻の中の長屋王は、妃の吉備内親王と、四人の子供たちと共に座している。

やがて一人、また一人と倒れていく。


「お前たちが……お前たちが、我が一族を滅ぼしたのだ……」


憎悪に満ちた声。

それは武智麻呂の胸を貫いた。

隣の部屋では、房前が同じ幻に苛まれていた。


「我らは……国のため……藤原のため……」


だが、その言い訳は虚しく響く。

長屋王の顔が、何度も何度も脳裏に浮かぶ。

宇合は高熱の中で、密告の場面を思い出していた。

自分の部下が、長屋王を陥れる証言をした、あの日。


「我は……命じていない……だが、止めもしなかった……」


その事実が、今、彼を責め苛む。

麻呂は最も激しく苦しんでいた。

彼は長屋王の屋敷を包囲する兵の配置を、自ら指揮したのだ。


「許せ……許してくれ……長屋王殿……」


だが、許しなど訪れない。

幻の中の長屋王は、ただ憎悪に満ちた目で彼を見つめ続けた。



その年の暮れ。

わずか数日の間に、藤原四兄弟は相次いで命を落とした。

武智麻呂、房前、宇合、麻呂。

父・不比等の遺志を継ぎ、藤原氏の繁栄を築いた四人は、疫病の前に無力だった。

彼らの最期を看取った者たちは、異口同音にこう語った。


「まるで、何かに責め苛まれているようだった」

「長屋王様の名を、何度も呟いておられた」

「許してくれ、と……ずっと、ずっと……」


藤原氏の栄華は一夜にして潰えたのだ。



【アキト】


俺は、魔力の流れの中で、藤原四兄弟の最期を見届けていた。


(……なんとも、やりきれないな)


隣でハルカも、複雑な表情を浮かべている。


(アナタ、これって……)

(ああ、長屋王の怨念による呪詛だ。直接的にではないが、間接的に四兄弟を殺したと言っていい)


藤原四兄弟の視点では分からなかっただろうが、この疫病の広がり方は明らかに異常だった。

本来、この世界の日本人は魔力による身体強化の一環で、疫病にも強い耐性を持っている。

致死性の高い天然痘程度であっても、インフルエンザ程度まで脅威度が落ちるほど。

その上で、加持祈禱や陰陽術で治療があれば、後遺症ですら完全に回復してしまうのだ。

本来であれば、だが。

実際、俺自身もアバターで天然痘に罹患したが、無事復帰できている。


だが今回は違う。


(長屋王の怨霊が、人々の魔力に干渉している)

(魔力を……弱めているの?)

(そうだ。正確には、病への抵抗力を司る部分を封じている。だから加持祈禱も効きが悪い。人々の身体が、本来持っている力を発揮できなくなっているんだ)


俗な言い方になるが、瘴気による状態異常耐性へのデバフと言っていいだろう。

このせいで、病に罹り易く、また症状も深刻化してしまっている。

結果として、本来なら軽症で済む筈の天然痘が、致命的な脅威となった。

九州から始まった疫病が、瞬く間に全国へと広がったのも、この瘴気の影響だ。

俺たちは魔力の流れを通じて、その仕組みを分析したが、恐らくは都の人々もそれを自然と感じ取っているのろう。


(特に、藤原四兄弟への影響は顕著だったな)

(ええ……あの方たちの周りの瘴気は、他の場所よりも遥かに濃かった)


怨念は、標的を選んでいた。

長屋王を陥れた張本人である藤原四兄弟に対して、最も強い呪詛が向けられていたのだ。

彼らは、長屋王の瘴気に完全に包み込まれていた。

どれだけ祈禱を受けようと、どれだけ護符を貼ろうと、無意味。

既に怨念の力が身体の奥底まで入り込み、抵抗力を致命的に奪い去ったのだ。

結果として、四兄弟は疫病に対して全く無防備な状態で曝され、あっという間に命を落とした。

恐らく疫病が広まらなくとも、彼らだけは只の風邪であっても重篤化して合併症を引き起こし、死に至った筈だ。


(因果応報、というべきか……)


俺は複雑な思いで、その光景を見ていた。

長屋王の死は、明らかに不当なものだった。

証拠もなく、弁明の機会も与えられず、一族全員が死に追いやられた。

その無念が、怨念となって現世に留まるのも、ある意味では当然だった。


そして、その怨念が藤原四兄弟の命を奪った。

これもまた、因果の帰結なのかもしれない。


(アナタ、あれは……)

(ああ、藤原四兄弟は死んだ。そのためか、長屋王の怨念も、かなり浄化されたみたいだな)


ハルカの声に、俺は意識を集中させた。

四兄弟の死後、大怨霊の中心であった長屋王の怨念は消え去っていた。

直接の仇を討ったことで、成仏したのだろう。

だが……。


(怨念が、集まり過ぎている。核になった長屋王が消えても、アレでは霧散しないぞ)

(……もう、中心になった想いは消えたのに)


俺たちは同時に、ある事実に気づいていた。

藤原四兄弟への復讐は果たした。

その部分の怨念は確かに浄化された。

だが、それは大怨霊の中の。長屋王の無念部分のみ。

いつの間にか大怨霊は、各地に沁みついていた無数の怨念の残滓を取り込み、肥大化し、その集合体に成り果てていたのだ。

最早核さえ存在しない。

長屋王の怨念の消滅と共に、疫病への抵抗力デバフは消えたようだが、遠くない内に別の災厄を招き寄せるだろう。

この地全てを呪うほどに。


(……最悪の場合、俺が動く必要があるかもな)

(アナタ……)


長屋王の、藤原四兄弟への復讐は終わった。

だが、大怨霊の蠢動は終わっていない。

むしろ、これからが本番なのかもしれなかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ