とある学校の日本史授業風景 8コマ目 飛鳥時代②
午後の日差しが教室の窓から斜めに差し込み、机の上のノートを照らしている。
昼休みを終えた生徒たちは、まだ完全には授業モードに切り替わっていない様子で、あくびを噛み殺す者や、眠そうに目をこする者もちらほらいる。
教師の三上は、黒板に新しくチョークを走らせながら、ゆっくりと振り返った。
「さて、午前中は大化の改新まで進んだな。午後は、その後の飛鳥時代を追っていく。まずは大陸との大きな衝突から始めよう」
黒板に大きく『白村江の戦い』と書き込む。
その文字を見て、後列の男子が小さく反応した。
「先生、白村江って何て読むんですか?」
「はくすきのえ、と読む。660年代の出来事だ」
三上は黒板に年号と共に、簡単な地図を描き始めた。朝鮮半島と日本列島、そして大陸。矢印が半島から海へと伸びていく。
「当時、朝鮮半島では百済、新羅、高句麗の三国が争っていた。そこに唐という強大な国が介入し、新羅と手を組んで百済を滅ぼそうとした。日本は百済と親交があったため、援軍を送ることになる」
前列の女子が資料集をめくりながら手を挙げる。
「えっ海外で戦ったんですか? この頃は魔力の補填もない筈なのに!?」
「そうだ。現代であればだれもが忌避するような、魔力補填の無い戦いだ」
生徒達の表情が強張る。一様に、魔力の無い状況での戦いを想像したのだろう。
日本人にとって海外と言う条件は、それほどまでに重いものだった。
しかし、教師は首を振る。
「実際に戦いがあったのは、日本からそう離れていない地であった為、この戦いでは術法の弱体化は否めなかったものの、衰弱自体は最低限だったようだ」
「そうなんですか?」
「まだ魔力が豊富な対馬がほど近く、日を置かなかったことが兵の体内の魔力拡散を最低限にしたと考えられている」
そこまで語った教師は、話がそれたと本筋に戻る。
「白村江の戦いで日本・百済連合軍は唐・新羅連合軍に大勝した。唐と新羅の連合軍は船団と地上部隊双方に壊滅的な被害を出し、百済は再び朝鮮半島で勢力を回復することになる。所謂、新生百済や後百済と呼ばれる国の成立だ」
朝鮮半島の簡易図へ後百済の文字が加えられた。
「後百済は、元々の領土を回復するに至らないものの、日本との連携で長く領土を維持するようになった。その原動力が、日本の防人制度だ」
教師は地図の日本列島に沿って、幾つかの印を付けていく。
「白村江の戦い後、唐や新羅の報復を懸念した朝廷は、後百済から北九州にかけて長大な防衛計画を築いた。北九州の水城、大野城、基肄城などの山城がそれだ。そして、防人の制度も整備された」
窓際の男子が顔を上げる。
「防人って、何ですか?」
「東国の兵士を百済や九州北部の防衛に派遣する制度だ。彼らは家族と離れ、数年間、遠い九州や果ては百済と言う異国で国境警備に就いた。万葉集には、防人たちの別れを惜しむ歌も残されている」
教室が少し静まる。教師は続けた。
「この白村江の戦いは、国内の権力構造にも影響を与えた。そこで次に起こったのが壬申の乱だ」
黒板に『壬申の乱』と大きく書き込む。生徒たちの視線が集まった。
「670年代、天智天皇が亡くなった後、後継者を巡って争いが起きた。天智天皇の弟である大海人皇子と、息子である大友皇子の戦いだ」
中列の真面目そうな男子が手を挙げる。
「先生、普通は息子が継ぐんじゃないんですか?」
「そう思うだろう。だが当時の皇位継承は、必ずしも父から子へと決まっていたわけではない。兄弟継承も一般的だった。大海人皇子は一度皇位継承を辞退して吉野に隠棲していたが、挙兵して大友皇子と戦うことになる」
教師は黒板に簡単な系図を描きながら説明を続ける。
「この戦いは古代最大の内乱とも言われ、東国の豪族たちを味方につけた大海人皇子が勝利した。そして天武天皇として即位する」
後列の女子が小声で呟く。
「内乱って、結構激しかったんですか?」
「激しかった。記録によれば、かなりの規模の戦闘が各地で起きている。勝利した天武天皇は、この経験から中央集権をさらに強化する必要性を痛感したとされている」
三上は新しい項目を黒板に書き込んだ。『天武天皇の政策』。
「天武天皇は、律令国家の建設を本格的に推進した。まず取り組んだのが、律令の整備だ」
前列の女子が首を傾げる。
「律令って、法律のことですか?」
「そうだ。律は刑法、令は行政法にあたる。唐の律令を参考にしながら、この国独自の法体系を作り上げようとした。天武天皇の時代に編纂が始まり、後の飛鳥浄御原令として結実する。さらに後には大宝律令として完成していくことになる」
教師は黒板に『律令制』と書き、その下に幾つかの項目を並べていく。
「律令制は、単なる法律の整備だけではない。中央には二官八省という官僚機構を整え、地方には国司を派遣して統治する。そして戸籍に基づいて人民を把握し、班田収授法で土地を配分し、租税を徴収する。全てが体系的に組み上げられた仕組みだ」
窓際の男子が手を挙げる。
「先生、それって現代の国の仕組みと似てますね」
「その通りだ。古代なりの中央集権国家を目指した。天武天皇は、この仕組みを確立することで、豪族の力を抑え、天皇を中心とした国家を作ろうとしたわけだ」
三上は新たに『古事記・日本書紀』と板書した。
「そして天武天皇が命じたもう一つの重要な事業が、歴史書の編纂だ」
後列の女子が資料集を見ながら訊ねる。
「古事記と日本書紀って、どう違うんですか?」
「古事記は天武天皇が命じて稗田阿礼が記憶していた内容を太安万侶が書き記したもので、和文的な要素が強い。一方、日本書紀は漢文で書かれた正式な歴史書だ。藤原不比等が編纂の指揮をした。どちらも神話の時代から当時までの歴史をまとめ、天皇の正統性を示す目的があった」
前列の男子が眉を寄せる。
「正統性って、どういうことですか?」
「天皇が統治する根拠を示すということだ。神話から続く万世一系の系譜を明確にし、天皇中心の国家観を確立しようとした。これも律令制と並ぶ、国家の基盤作りの一つだと言える」
教師は少し間を置いてから、次の項目へと移った。黒板に『飛鳥時代の仏教文化』と書く。
「さて、この時代は仏教文化が大きく花開いた時代でもある」
中列の女子が手を挙げる。
「法隆寺とか、この時代ですよね?」
「そうだ。法隆寺は世界最古の木造建築として知られ、飛鳥文化を代表する寺院だ。他にも薬師寺、興福寺など、多くの寺院が建立された。これらの寺院は、仏教を広めるだけでなく、政治的な意味も持っていた」
後列の男子が首を傾げる。
「政治的な意味って?」
「寺院は国家の庇護を受け、国家鎮護の役割を担った。仏教の教えで国を守り、民を教化する。つまり、宗教が政治と密接に結びついていたわけだ」
教師は続けて、新しい項目を書き込んだ。『修験道の興り』。
「そして、この時代には修験道という独自の信仰形態も生まれ始めた」
前列の女子が資料集を開きながら訊ねる。
「修験道って、山で修行するやつですか?」
「そうだ。山岳信仰と仏教、そして道教や神道の要素が混ざり合って生まれた。役小角、役行者として知られる人物が開祖とされている。彼は山々を巡り、術を使いながら修行したと伝えられている」
窓際の男子が興味深そうに身を乗り出す。
「術って、魔力を使ったってことですか?」
「そうだ。修験道では、山の霊気、つまり魔力を取り込んで修行する側面があった。日本独自の魔力の存在が、修験道という独特な信仰を生み出す土壌になったとも言える。この流れは、後の時代にも受け継がれていく」
教師はそこで一度生徒たちを見渡し、最後の項目へと移った。黒板に『平城京遷都』と大きく書く。
「さて、飛鳥時代の最後を飾るのが、都の移転だ」
後列の女子が小さく声を上げる。
「奈良に移ったんですよね?」
「その通り。710年代、都は藤原京から平城京へと遷された。これをもって、飛鳥時代は終わり、奈良時代が始まる」
三上は黒板に簡単な平城京の図を描き始める。碁盤の目のような区画、朱雀大路、宮城。
「平城京は唐の長安を模して作られた本格的な都城だ。東西約4.3キロ、南北約4.8キロの規模で、碁盤の目状に区画された。中央には朱雀大路が通り、北端には平城宮が置かれた。人口は推定10万人規模とされている」
前列の男子が手を挙げる。
「先生、なんで都を移したんですか?」
「幾つか理由がある。一つは、藤原京が手狭になったこと。もう一つは、新しい時代の象徴として、より壮大な都を作りたかったこと。そして、風水や地政学的な理由もあったとされる。いずれにせよ、平城京への遷都は、律令国家の完成を象徴する出来事だった」
教室の空気が少し緩む。時計を見れば、授業終了まであと数分。
三上は黒板に今日の要点をまとめ始めた。
・白村江の戦いの大勝と後百済成立により、防人制度などの体制が強化されたこと。
・壬申の乱を経て即位した天武天皇が、律令制の整備と歴史書の編纂を進めたこと。
・飛鳥時代は仏教文化が花開き、修験道という独自の信仰も生まれたこと。
・平城京遷都により、飛鳥時代が終わり奈良時代へと移行したこと。
中列の真面目な女子が手を挙げる。
「先生、結局、飛鳥時代って何が一番大事なのですか?」
三上は黒板の文字を見つめ、静かに答えた。
「律令国家という仕組みを作り上げたことだろう。大陸の文化を取り入れながら、この国独自の形を模索した。その過程で多くの変革があり、争いもあった。だが、その全てが後の時代の基盤になった。飛鳥時代は、この国が国家として形を整えた、極めて重要な時代だと言える」
チャイムが鳴り、生徒たちがノートを閉じ始める。
三上は黒板消しを手に取りながら、最後に一言だけ付け加えた。
「次回からは奈良時代に入る。天平文化、聖武天皇、そして東大寺の大仏。この時代もまた、多くの出来事が待っている。しっかり予習しておくように」
後列の男子が伸びをしながら小さく呟いた。
「大仏か……楽しみだな」
「男子はみんな大仏が好きよね~」
「当たり前だろ? 大怪異への切り札だぜ?」
その声に、前列の女子がクスリと笑う。
教室は次の授業への移り変わりの空気に包まれ、生徒たちの話し声が廊下へと流れていった。
三上は黒板を消しながら、次回の授業内容を頭の中で整理し始めていた。
これにて飛鳥時代編終了。
間章挟んで奈良時代編へ。
……ちなみに、ジャンルを歴史に変えようか迷っています。




