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よくわかる日本の歴史 ~ただし、原始時代から日本にのみダンジョンがあったものとする~【第三部完】  作者: Mr.ティン
伍章 飛鳥時代 ~律令国家の萌芽と仏教の普及~

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藤原京は、日本で最初の本格的な都だった

(あら? あの辺り、何だか大きなお寺でも建てるのかしら?)

(どうした、ハルカ? 何か気になる事でもあったか?)


記紀の編纂の様子をひとしきり見ていたある日。

屋内の様子ばかり見ているのも飽きたのか、ハルカは各地の様子を見て回っていた。

そこで、何かを見つけたようだ。

俺も気になったので、見ているモノを確認すると……。


(これは……区画整理のような物だろうか?)


多くの役人が、橿原の地で大規模な検地や、土地の区画整理をしているように見えたのだ。


(こんなに広く、土地を四角く区分けしていくのね。お寺をたくさん建てるのかしら?)

(……いや、これはそんな規模の話じゃないな。完全に街づくり……いや、都を作ろうとしているらしい)

(都、って?)

(王が治めるその国の第一の町、と言うべきかな。とても規模が大きいものだよ)


ハルカも、ある程度の知識には触れているのだが、やはり実感を伴わない為かピンと来ていないのだろう。

都というモノが、どういう物なのか分かっていないようだった。

とはいえ、俺も今建設されようとしている都に関しては、あまり詳しくない。

奈良に造られた平城京にしては、立地がかなり南にズレている気がするのだ。


(ええと……どれどれ? 藤原京?)


こんな時、頼りになるのが元の世界ともリンクしているデータベースだ。

今区画整理されている場所と年代を指定すると、すぐさまその正体が判明した。


藤原京。

最終的に、東西5.3km、南北4.8km、面積は約25km²に及ぶ巨大都市として完成するそれは、日本で最初の本格的な都だ。

条坊制──碁盤目状の都市計画を日本で初めて全面的に採用した都で、広さだけなら後の平城京や平安京すら超えたのだという。

東西20坊、南北18条の碁盤目状の街路の構造で、中央に南北に走る主要道である朱雀大路や、左京右京の区別など、唐の長安を参考にしつつ後の平城京や平安京でも採用された構造が既に存在したとされている。

その二つや長安と違うのは、それらでは天皇が住まう宮殿が都の北にあるのに対して、藤原京では都の中央に置かれている事だろう。


推定されている人口は5万人程度。

官吏やその家族、または商工民などが住人で、日本初の都市生活者が生まれたとも言われている。


なお、この藤原京の完成はまだ先だ。

建設を指示した天武天皇の崩御で建設は一時中断し、その次の代の天皇でようやく完成することになる。

これだけの規模の都市の建設だ。

それだけ長い時間かかるのは仕方のない事なのだろう。


(丁度場所の選定が終わって、建設に取り掛かっている所になるのか。これからじっくりと都を作っていくのだろうな)

(そうみたいね。でも、そんなに時間はかかるのかしら?)

(ハルカ、それはどういう……なるほど)


ハルカの指摘に視線を向けると、そこでは様々な術者が建設に関わっている姿があった。

目立つのは、易経や道教の流れをくむ五行使い達だ。

土行を操って土の壁を生み出し、木行を操って建築物を次々建てていく。

水行の使い手は上流の川から水を操り、上下水道を作り上げようとしていた。

また、仏教の僧や神道の祭司が土地を清めて、厄を払う。


その中には、新興勢力である修験道の山伏もまた混ざっていた。

都と言う広大な土地の浄化には、人手は幾らあっても足りないのだろう。

そこにはもちろん、二人の鬼を連れた役小角の姿もあった。


(スサノオちゃんやアマテラスちゃん達も忙しそうね)

(力仕事はスサノオが、術での建築はアマテラスと役割分担もしっかりしているな)


同時に、こういった術による建設の場には、役小角のように怪異を調伏したのであろう異形を連れた術者がちらほら見られるようになっていた。

使い魔を使役するという実例が在る為、広まりやすいのかもしれない。



こうして建設が進んでいった藤原京だが、やはり完成には一波乱あるようだ。


(宮中が急に騒がしくなったな……何かあったか)

(アキト様、どうやら今代の帝が倒れたようで)


様々な政策を精力的に打ち出していた天武天皇が、床に臥せたのだ。

実際、天武天皇は即位後時折病気療養をしていて、慢性的な病気持ちだった節があった。

それがここに来て急激に病状が悪化したのだ。


(祈祷でもダメとなると、流行り病とかでもないのだろうな)


もちろん術者の祈祷も行われたのだが、結局回復することなく、天武天皇は崩御する。

となると、発生するのが後継者の問題だ。


天武天皇には、有力な後継者として草壁皇子が居たもののまだ若かったため、即座に即位とは至らなかった。

他にも大津皇子という有力な皇子も居たのだが、謀反の疑いが起きた直後に自殺してしまう。

その上、有力な後継者としてあった草壁皇子もまた、早世してしまったのだ。


(どうにも、世代の移り変わりの時期は血なまぐさくなるな……)


結局、次代として即位したのは、天武天皇の妃だった鵜野讃良皇女──持統天皇だった。

推古天皇以来の女性天皇である彼女だが、その役目は決して代理ではないらしい。

まるで夫だった天武天皇のように、彼の政策を引き継いで、その政策を完成させていった。


まず彼女が為したのは、飛鳥浄御原令の発令だった。


(なるほど、これは面白いですね、これは。体系的な法典と)


内容を確認してうむうむと頷くツクヨミが言うように、これは日本初の体系的法典にあたる。

元々は天武天皇が編纂を命じていたものが、彼の死後ようやく完成を見た形だ。

これは、これまでの数々の政策があくまで命令と言う形であったものであるのに対して、制度政策として明文化されたものだ。

いわば国家の骨格をまとめた制度で、戸籍や地方の区分、土地の配分の法制度や官僚制の規定など多岐にわたる。

また、帝の呼称を『天皇』と定めたのも、この飛鳥浄御原令が初だとされていた。

そう言った意味でも大きな意味を持つだろう。

そして、コレは後の大宝律令の土台の様なものだ。


(ある意味で、夫婦の共同作業の結晶の様なものなのね)

(……まあ、そういう見方も出来るかな)


実際、天武天皇は様々な政策を実施するように命じたが、その殆どの完成は彼の死後、妃であった持統天皇の時代や、孫やその後の時代に完成するような物もあった。

一代で完成しないような一大事業ばかりだったという点もあるが、だからこそ妃や後継者の助けは不可欠だったのだろう。



藤原京の完成と遷都も、持統天皇の代で行われた。

宮殿を中心として東西南北に大路が網目のように走る都は、広大さもあって余りに壮麗だ。


(出来上がると、本当にすごいわねえ……ヒトはこんなものを作れるようにまでなったのね)


ハルカが感嘆の念を零す。

この時代の人々では見られない、鳥の視界による上空からの視界は、俺達だけの特権だ。

整然とした碁盤の目のような都市区画は、今まで雑多な集落しか見てこなかったハルカにとって、刺激的に過ぎたらしい。


(とはいえ、この藤原京自体、あまり長くは使われないのだけどな)

(そうなの!? こんなにすごいのに)

(ここは、少し立地と交通の便がな……)


実際俺の生前の歴史では、藤原京から平城京へと早々に遷都がされてしまう。

それには幾つか理由がある。

一つは、盆地の南端と言う立地の問題だ。

三方を山に囲まれて、南が湿地帯であったために、排水が悪く衛生的に問題があったのだ。

実際疫病が多発したので、この問題は深刻だったのだろう。

またそう言った囲まれた立地であるために、都の拡張が難しいという点もあった。


また他にも藤原京は設計段階で役人に割り当てられた区画が狭いという問題がある。

律令政治を行うには多数の役人が必要になるのだが、その役人を収める器が狭いため、都での官僚が十全に働くためには手狭になっていた。


もちろん盆地の南端と言うのは、交通の便も良くない。

各地方へと役人を配備したり、情報のやり取りをするにも、藤原京の位置は不便さが目立ったのだ。


そして、藤原京の位置が、古くから続く政治的場であったのもこの場合災いしている。

宮殿跡や古墳に囲まれた立地であるため、祭祀などを行うにも制約が多すぎたのだ。


(もっとも、それらを踏まえた上で考えても、政治的アピールが大きな比重を持っていそうなんだよな)

(そうなの?)

(前の天皇の路線を変えたりとかのアピールにぴったりなんだよ)


実際、これ以後の時代は、度々都が作られては移されていく。

平城京はある程度長く使用されたが、その後の長岡京の短命さは有名だ。

ある意味、日本の都をどう作り上げていくか、試行錯誤する時代だったと言えるだろう。

その集大成が、千年もの間首都として栄える平安京なのだと考えると、その試行錯誤も意味があると言える。


(まあ、権力を持つと何故か皆大規模な土木工事を始めるよな……)


俺の生前を思い出しても、何故か王や指導者と言うのは、権力を持つとモニュメントじみたモノを作りたがったように思う。

自分が何かを成したという証を後世に残したいのだろうか?


(今までが古墳や宮殿だったのが、都の建設に流行が移り変わったというべきかな?)

(……お墓よりは建設的じゃないかしら?)

(それはまあ、そうともいえるか……?)


ハルカとやり取りしながらそんな事を考えている間にも、時代は移り変わっていく。



藤原京に遷都してからしばらく、天武天皇の路線を踏襲し続けた持統天皇は、草壁皇子の息子で、持統天皇にとって孫にあたる軽皇子へと皇位を禅譲した。


文武天皇の即位だ。


そしてこの文武天皇が、律令国家成立の大号令である、大宝律令を発令する。

令──制度に留まっていた飛鳥浄御原令に対して、律──刑法も追加した大宝律令は、天皇を頂点とする中央集権国家の制度設計図だった。

この大宝律令の制定によって、日本は律令国家として成立したのだ。



そんな様子を眺めていると、突如俺の仮想空間に飛び込んで来た者があった。


(師匠! 大変だ! どうしたらいい!?)

(お二人とツクヨミに知恵を貸してほしいの!)


それは、スサノオとアマテラスだ。

はて? 二人とも役小角の使い魔生活を堪能していた筈だが、何かあったのだろうか?


(その行者様が!)

(朝廷に捕らえられたの!!)


それは、役小角捕縛の報せだった。

……どうやら、この先一波乱起きるようだ。

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