平将門には、金剛不壊の身体や、影武者などの超常的な力が伝えられている
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(将門が反乱を起こしたのは、そういう経緯だったのか……)
後の日本三大怨霊や、関東八州の守護神などと言われる平将門。
その名前こそ、祟りの逸話などで知っていたものの、彼が何故朝廷に対して反乱を起こしたのか、俺は知らなかった。
だが、改めてこうして初めからその戦いを見ていると、特別な話では無かったのだと思わされた。
(一族間の相続問題に端を発して、周囲の豪族と競り合っていくうちに、国司とも対立した、か……)
この頃の関東平野は、まだ広大な湿地帯が殆どだ。
都から遠くさらに未開地が多い環境は、同時に開拓した者がそのまま土地を所有出来た為に、私営田(荘園)化とその拡大が容易だった。
そのため、各豪族は多くの労力をかけて開拓をしていった訳だ。
将門の父である良将の遺領が伯父に奪われるというのは、そういった開拓の苦労を知りつつ横から攫おうとしてきたように見えた事だろう。
到底許容できず、対立するのは必然と言えた。
(それとも、伯父の国香から見たら、開拓の苦労も知らず都で過ごした将門が、そのまま遺領を相続するのが腹立たしかったのかもしれないな)
ダンジョンの機能での観察は、細かな心理まで明らかにしない。
だから当事者が、何を思ってその選択を取ったかは推測でしか解らない。
だが、嫉妬や侮蔑の感情一つで歴史は動くものなのだろう。
一族内の骨肉の争いから端を発した将門の乱の切っ掛けは、まさしくそういう物だった。
(……それに、都の動きも思っていたのとは違ったからな)
意外だったのは、朝廷はこの関東の平氏一族の内部争いを、当初小さく扱おうとしていた事だ。
それは、ある意味皮肉な話だ。
(『藤原忠平に仕えていた事』が、そんな反応を呼んでいたとはね……)
そう、この時の朝廷の中心人物である、藤原忠平は、将門の関東での動きをかなり長い間『一族内の私闘』として処理する方向で動いていたのだ。
まがりなりにも、一度は忠平に仕えた武士が反乱を起こすというのは、忠平としても責任を追及されかねない事態だろうことは、想像に難くない。
だから、極力大事にしない方向でいたのだが……。
少なくとも、国司の追放あたりまでは、ギリギリその方向性を保っていたように見えた。
だが、しかし……。
(流石に、『新皇』の宣言は放置できなかったか。無理もない……藤原氏の権力の基盤は、あくまで帝だ。そこを揺るがす宣言となれば、もう討つしかない)
結局のところ、新皇宣言は、それだけ朝廷にとって劇物だったという事だ。
日本と言う国の政治的流れは、帝の統治と言う基盤がある前提の上で、その内部の政治的主導権を争っている。
この時代では帝から藤原氏などの有力公卿へ移りつつある主導権だが、後の世には武士がそれを握り、更に近代現代で国民の中から選ばれた者が握っていく。
帝と言う中心があってこその政治的主導権争いこそが、この国の歴史と言っていいだろう。
だが、新皇の存在はそれを覆す。
帝とは別の皇。
それは、今まで帝の継承争いや、現行の帝と上皇が争うのとは、意味が全く違うものだ。
その概念を許せば、日本の国体の象徴としての帝の意味が、揺らぎ薄れてしまいかねない。
(だから、もう元身内をかばう様な動きは出来ずに、朝敵として討つしかなくなったわけか……)
仮に将門が関東から出ることなく、都に兵を向ける事が無くても、朝廷は兵を差し向けるだろう。
これを許せば、日本の各地で同様の動きが起こりかねない。
蝦夷の例を挙げるまでもなく、中央から送られた国司が、赴任先で反感を買うなどと言う事例はままあるらしい。
都に近い近畿圏などはともかく、遠く離れた地では反乱の火種は常に存在していると考えていいだろう。
もし、将門の動きに釣られる他の豪族が出ようものなら、収拾がつくものも付かなくなる。
(……そもそも、現在進行形で別口の騒ぎも起きているからな)
魔力の領域内に映し出した朝廷の様子は、蜂の巣をつついたような騒ぎになっていた。
それは、遠い関東の動きだけではなく、朝廷にとってはより身近な地方でも、反乱がおきているからだ。
(瀬戸内の海賊の反乱か……)
平将門の乱とほぼ同時期に、瀬戸内海で起きているのが、海賊達の反乱だ。
その首謀者は、藤原純友。
藤原の姓が示す通り、藤原氏の一人なのだが、実父が早世したことで一族内での栄達が望めなかった人物だ。
その不満を溜め込んだ末なのか、瀬戸内の海賊たちをまとめ上げ、反乱の首謀者に収まっている。
(こっちは本当に名前しか知らなかったが、中々に興味深い動きをしているな)
この藤原純友だが、元は海賊追捕宣旨を受けていた、海賊を鎮圧する側の人物だった。
それが、海賊勢力を掌握し、日振島を拠点に千艘規模の船団を率いる存在になっていたというのだから……。
(海賊捕りが海賊に、か……笑えないな)
将門の乱が象徴的な脅威だとするなら、こちらは朝廷にとってより身近な脅威になった。
何しろ、将門が新皇宣言をした坂東の地は、都からはるか遠く離れている上に、陸路でも海路でもかなりの日数を要する。
しかし純友の脅威は、それどころではない。
何しろ備中・淡路を襲撃した記録があるのだ。
淡路は都である京とは淀川水系を通じて目の前も同然。
つまり、京の都が襲撃される恐れさえもあったのだ。
こちらの方が、朝廷として直接的に脅威と映ったのも仕方がない事だろう。
そして、乱の実体としても重い。
瀬戸内沿岸を幾度となく襲撃し、その末に西国の中心拠点である、大宰府さえも陥落したのだ。
最終的に、博多湾で朝廷の軍と海戦による決戦が行われた末、乱は平定される。
しかし、完全な平定迄二年を要したというのだから、この頃の朝廷にとっては天地をひっくり返したような騒ぎになるのは仕方のない事だ。
更に言えば、それらは俺の生前の世界の歴史での話。
この世界での結末がどうなるか……特に戦が絡むと読み難くなる以上、注目する必要がある。
(戦が絡むと言えば……)
俺は、コアの機能を立ち上げ、将門の関東での戦闘記録を呼び起こす。
するとそこには、全身の肌が鋼のような質感に変わった姿があった。
(将門の身体は、矢も通さなかったという伝承があるらしいとは、調べて知っていたけれど……こう来たか)
平将門には様々な伝承があるが、その一つに矢も通さない身体というものがある。
古くは、平安中期に残された記録『将門記』にもある記述だ。
もっとも、この文献は事実記録としての色合いが強く、『将門は矢を受けても戦い続ける』『傷を負ってもすぐに復帰する』『敵が恐れるほどの異常なタフさ』など、現実的な表現に収まっている。
(俺にしてみれば、矢を受けても戦い続けたり、直ぐに復帰して来るだけでも十分に超人じみているように思えるけどな……)
少なくとも、史実の脚色のない平将門も凄まじい武士であったのは確かなようだ。
しかし、次代が下って鎌倉から室町の頃に成立した説話集では、その描写が超常の域に踏み込んでいく。
それらの中では、密教僧の護摩によって、金剛不壊の身体──金剛身を得たとされている。
そのため矢も刀も通じないし、敵の攻撃が弾かれるといった、無敵の身体を得たとされていた。
資料によっては、その無敵ぶりの理由が、陰陽師が張った結界によるものだとするものもある。
(ただ、これらの無敵の身体を持っていたとしても、最終的に討たれてしまうのだけどな……)
これらの説話などでは、朝廷側も僧や陰陽師を駆り出し、加護に対抗する祈祷を行う事で、その無敵の身体が破られる事になる。
一応、整合性を取っているわけだ。
ただ、これが地方伝承となると更に超人化が進む。
加護などの理由付けなく、刀を当てると刃が欠けたり、馬上で何十本も矢を受けても倒れない無敵さが語られるようになっていくのだ。
(……問題は、見たところこの世界での将門の無敵ぶりは、地方伝承に限りなく近いって事だな)
解析した限り、あの皮膚の金属化は、魔力で自らの身体を五行の金行に寄せた結果だ。
それも純粋な金行の塊、『真鉄』と呼ばれるような、一種のファンタジー金属の一種に特性を寄せている。
その硬さは、金属を象徴するかのように堅く、並の鉄や鋼を寄せ付けない。
どうりで、戦場で一切傷つかないわけだ。
(……いや、これ本当に討てるのか?)
俺の生前の歴史において、平将門の乱は、新皇宣言からそう時を置かずに平定され、将門は首を刎ねられることになる。
しかし、この世界での将門は、そう簡単に討たれるようには見えない。
更に……。
(うん? ……なんだ、あれは?)
直近の将門の様子を見ようと、領域へ関東の将門の姿を映し出すと、信じがたいものを俺は見た。
将門が、並んでいた。
まるで判を押したように同じ姿の将門だ。
戦場に向かっているのか、同じような馬に乗った将門たちが、金属光沢を帯びた肌を陽光に黒光りさせながら進んでいた。
(あ、まさか……)
その光景に、俺は更なる将門の伝承を思い出す。
それは、平将門が影武者を使用していたというもの。
もっとも、これは先の無敵の身体の派生らしい。
矢を受けても直ぐに復帰したというのが、矢を受けたのが影武者だったから、と言うパターンだ。
しかしそれも時代が下るにつれて脚色され、誇張されていく。
家臣の中に顔立ちや体格が似た者が居て、敵軍が誰か本物か判らずに戸惑ったという話から、陰陽術で分身を作り出したという者まで、様々だ。
しかし、この場合は……。
(……これ、よく見ると、金属の将門像が動いているのか)
どういう経緯で作られたのか、その並んだ将門は、像のようだった。
それが、生きているように動いている。
更によくよく見れば、先頭を進む将門のみ、肌が金属ではない。
(……どういう経緯かはわからないけれど、仏像ならぬ将門像を動かしたのか)
この国では、人の形を得たモノは、魔力によって動くことがある。
仏像などがいい例で、その極が東大寺の大仏だろう。
なら、固定の人物を模した像を用意したなら、どうなるか?
その答えが、魔力の領域に映し出されている。
俺はそれを改めて見つめて……天を仰いだ。
史実では、新皇宣言から数か月で鎮圧された将門の乱。
しかし、この世界では、そんな短期間で鎮圧されるとは到底思えなくなってきたのだ。
(いや……藤原秀郷側も、スサノオたちが鍛えているから、彼我の戦力関係は、もしかすると変わらない、か?)
そんな想いも浮かぶが、確証はない。
果たして、乱の行方はどうなるのか?
俺は只観察を続けるしかなかったのだった。
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