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よくわかる日本の歴史 ~ただし、原始時代から日本にのみダンジョンがあったものとする~【第三部完】  作者: Mr.ティン
捌章 平安時代 中期 ~藤原氏の隆盛と、地方の大乱~

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小野篁は隠岐に流刑となったが、数年で許され都に戻った

【小野篁】


都から隠岐へは、余りに遠かった。

遥か遠く出雲の国の、更に海を越えた先にある島。

流刑地として知られるこの地へ向かう道中、私は明石にてその和歌を詠んだ。


「ほのぼのと 明石の浦の 朝霧に 島隠れゆく 舟をしぞ思ふ」


明石の浦に立ち込める朝霧の中、島影に隠れていく舟を見つめながら、私は小町のことを思った。

霧に隠れていく舟のように、私は小町から遠ざかっていく。

だが、想いは消えない。

この歌には、そのような意味を込めたのだ。

だが同時に、今生にて初めて結ばれた妻の顔も、頭に過っていた。


そして、隠岐に着いた後も、私は和歌を詠んだ。


「わたの原 八十島かけて 漕ぎ出でぬと 人には告げよ 海人の釣船」


都にいる人々へ。私は、大海原の遥か彼方へと漕ぎ出したのだと伝えてくれ。海人の釣船よ。

そのような意味の歌だ。

隠岐という遠い地に流されたことを、遠回しに表現したのだが、同時にこの歌には別の意味も込めていた。

小町への……そして妻への想いだ。私は、貴女から遠く離れた場所にいる。

だが、想いは変わらない。そう伝えたかった。


これらの歌が後世まで残るとは、その時は思いもしなかった。



隠岐での日々は、静かだった。

都のような喧騒はない。

政治の駆け引きもない。

ただ、海と空と、島の人々がいるだけだ。


この様に過ごすのは何時以来であろうか?


この身体で小野家に拾われてからは、公家として常に政治の世界にあった。

それ以前、魔穴核岩に宿る意思としても、凡そ様々に働いていたように思う。

そして生前では……それら以上に忙しかった。

かつてのクニのまつりごとを一手に引き受け、多くの民を差配していた日々。


故に更に遡り、幼少期。

姉上について回るだけしか出来ぬ幼子の頃以来やも知れぬ。


(何百年ぶりと言う話であるな)


思い返す程に、働き続けていたという実感がある。

であるなら、此処で一時無聊を慰めるのも、一興であるやもしれなかった。



そんな日々の中での事、私はある少女と出会った。


「お貴族様! 今日からおらが面倒をみるだよ!」

「そうか。よろしく頼む」


居とした村に住まうその少女は、阿古那と名乗った。

まだ若く、素朴で、純粋な娘だった。

彼女は、私に食事や身の回りの世話を任じられていた。

とはいえ、私は世話をされねば生きられぬ只の公家ではない。

過去に写し身で過ごした折に身に着けて技術があり、一人でも難なく生きていける。

とはいえ、これは一種の賦役であるらしい。

であるなら、断るのも悪い。

その為、私は彼女を受け入れる事とした。


そんな阿古那は、好奇心が旺盛であった。


「お貴族様! おらに都の言葉を教えてくんろ!」

「……べつに、構わぬが……」


彼女は、都の話や都の言葉を学びたがった。

もとより、流刑中は暇なものだ。

私は幾らか彼女に指導するようになった。


もっとも、彼女の飲み込みは良く、そう時間もかからぬ間に、流ちょうな都言葉を語れるようになったのだが。


(……よく続くものだ。その想いには、答えられぬというのに……)


その阿古那が何故その様に都を気にするのか? 原動力が何であるか?、

それは明白であった。


(かつての姉上のようだな)


彼女が私を見る視線が、熱い。

恋をする者の目だ。

そしてその視線は、どう見ても私に向けられている。

それは、分かっていた。

彼女の目を見れば、一目瞭然だった。

だが、私は応えるわけにはいかなかった。

明確な、身分の違い。

何より私の心には、既に小町と……妻の存在がある。

他の誰も、入る余地はない。


だからこそだ。

ある日、阿古那が私をじっと見つめ、何かを告げようとしたところで……。


「小野様、お、おらは……」

「阿古那、言わないでくれ」


私は、彼女の言葉を遮った。

優しく、だが断固として。


「私には、都に大切な者がいる。だから、貴女の想いには応えられない」


阿古那は、涙を浮かべた。

だが、私は既に心に決めた者が居る。

阿古那の想いに応える事は、それを裏切るものだ。


それでも彼女は笑った。


「分かっているだ。だども、小野様がきてくれてから、おらは……ずっと楽しかっただよ」


その言葉が、私の胸を打った。

彼女は、報われない恋だと分かっていても、それでも私との時間を大切にしてくれたのだ。

そのことに、私は感謝し……同時に罪悪感を抱く。


そんな何処か綱渡りめいた日々を、私は送り続けた。



やがて、私が都に呼び戻されることになった時、阿古那は見送ってくれた。


「お元気で、篁様」

「ああ。阿古那も、良い人と巡り会えることを祈っている。あとは、コレは餞別だ」

「これは……?」

「出来は悪いが……せめて、な」


すっかり都風の言葉使いを身に着けた阿古那へ、私が渡したのは、木彫りの仏像だ。

せめて私に出来るものをと思い、用意していたもの。

彼女は、まるでそれが私であるかのように、大切に受け取っていた。



それが、結局、私達が交わした、最後の言葉となる。


後に聞いた話だ。

結局、阿古那は私への想いを忘れられず、出家したのだという。

そして、彼女を偲んで建てられた地蔵が『あごなし地蔵』と呼ばれるようになったと。

阿古那の名を取って、顎のない地蔵。

そのような伝承が、隠岐には残っているらしいと。


(……顎が無い、か。彫像など慣れぬ事をしたせいか、出来が悪かったと告げられているようなものだな)


私は、その話を聞いた時、複雑な気持ちになった。

彼女の想いに応えられなかったことへの罪悪感は確かにある。

だが、同時に、私の選択は間違っていなかったという確信もあった。

彼女の真摯な思いを、遊びでの交わりで応えるのは、余りに不義。

だから、きっと、これで良いのだ。

……私はそう自分に言い聞かせていた。



結局、隠岐では二年ほど過ごしたこととなる。

そして、予想通り、私は都に呼び戻された。

嵯峨上皇が、私の才を惜しんだのだ。


都に戻った私は、すぐに内裏へと召された。

そもそも、この呼び戻しは、嵯峨上皇が、私を試すために行われたものだ。


「篁、久しいな」

「はい。お久しゅうございます」


内裏の庭のとある場所に手、私は深く頭を下げていた。

そんな私に鷹揚に頷く上皇の横には、一枚の立て札が立てられていた。

そこには、『無悪善』という文字が書かれている。


「篁、この立て札の意味が分かるか?」


上皇が、問うた。

なんでも、この立て札は、いつの間にか内裏で立てられていたのだという。

私は、立て札をじっと見つめた。

無悪善。悪が無く、善である。

だが、それだけではない。

この三文字には、別の意味が隠されている事が、直ぐに判った。


「はい。『さかなくてよし』と読むと思われます」


私は、まずはもっとも無難な意味を答えた。

つまり、酒肴がなくても良い、という意味だ。

立札を建てた者は、質素倹約を奨励している……そのように見せかけている。表向きには。


「ほう、その様な……しかし、内裏に密かに立てるにしては、大袈裟に過ぎぬか?」


上皇が、首をかしげる。

故に、私は続けた。


「勿論……他にも意味があります。しかし……それは、答えられませぬ」


その言葉に、上皇が眉をひそめた。


「何故だ?」

「それは……」


私は、躊躇った。

これを素直に告げるのは、憚れる。この場には、上皇だけではなく、他の者も居るのだ。

だが、上皇は譲らなかった。


「篁、どうしても聞きたい。答えよ」


その命令に、私は深く息を吐いた。そして、告げる。


「『さかなくてよい』とは、つまり『嵯峨無くても良い』の意味もあり得ます。嵯峨上皇の否定、もしくはそれに準じる意味も込められているのです」


その言葉に、場が静まり返った。

内裏の庭で、静寂が重くのしかかって来た。

それでも、私は続ける。一度言葉にした以上、続けねばならぬ。


「だから、答えられぬと述べました。この立て札には、実質的な呪詛が込められている可能性があるのです」


上皇は、しばらく黙っていた。そして、ゆっくりと笑った。


「なるほど……そこまで見抜くか。さすがは篁だ。その才、やはり惜しい」


上皇の言葉には、感嘆が込められていた。

同時に、身の危険を感じたのだろう。

内裏にこの様な立札が立てられるというのは、異常だ。

裏の意味さえ見抜き、実質的な呪詛を封じた私の才覚を、上皇は改めて評価したようだった。

そして、かつての様に私を身近に起きたがっている。


「さすがは篁だ。その才、やはり惜しい。これからも、朝廷のために働いてもらおう」

「ありがたき幸せにございます」


私は、再び頭を下げた。

こうして、私は許されたのだ。



私は、その後内裏を辞し、小野家へと向かった。

久しぶりの我が家だ。

門をくぐると、そこには小町が待っていた。


「お父様!」


小町が、駆け寄ってきた。

その姿を見た瞬間、私の心は満たされた。

ああ、やはり小町がいる場所こそが、私の居場所だ。


「今、戻った。変わりは無いか?」

「そうですね……私は、特には」

「私は……?」

「それよりも、お母様にも速く顔を見せてあげてくださいな」

「う、うむ」


小町に押され、私は屋敷に入る。

小野家の者たちも、私を迎えてくれた。

下人たちが、頭を下げる。その中には、今生で結ばれた、私の妻の姿もあった。


「お帰りなさいませ、あなた」

「ああ、戻った。壮健そうで何よりだ」


再会した妻と言葉を交わす中、私は奇妙な程安堵に包まれたのを感じるのだった。



そしてその夜の事。

人払いをした後、私はアキト様だけを呼び寄せた。


「アキト様、少しお話が」

「戻って早々、何か気付いたのか?」


アキト様が、真剣な顔で応える。

私は、声を潜めて言った。


「内裏の立て札、『無悪善』についてご存じですか?」

「いや……何があったんだ?」


嵯峨上皇とのやり取りを、アキト様にも伝える

私は、そこで言葉を切った。

アキト様は、聡明だ。私の言いたいことを理解するだろう。

実際、直ぐにアキト様は表情を曇らせた。


「……上皇への呪詛交じりの立て札が内裏に立てられていた、か」

「ええ、誰かが、上皇を排除しようとしているのか、それとも、牽制のつもりなのか。いずれにせよ、そう遠くない内に、大きな動きがあるかと」


私は、そう告げた。

宮中は、相変わらずドロドロとした暗闘の場だ。

しかし、立て札と言う誰にもわかりやすい動きは、中々起きるものではない。

それが起きたという事は、暗に行われてきた政争が、表面化しつつあるという事。

政変が起こるのかもしれない。

あるいは、大規模な粛清が行われるのかもしれない。

どちらにせよ、平穏な日々は長くは続かないだろう。


「……分かった。とはいえ、下手に手を出せるものでは、無いな」


アキト様が、静かに語り、私も頷いた。

宮中の闇は深い。上皇すら呪詛の対象になるほどに。


隠岐の静けさとは裏腹な、どす黒い政治の闇が、ゆっくりと動き出そうとしていた。

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