小野篁には、閻魔大王に仕えたという逸話が残っている
平安時代中編開始します。
【小野篁】
都の西は、葬送の地だ。
鳥部野と呼ばれるこの地に、都の民は屍を野ざらしにする。
所謂、風葬というものだ。
死体を野に晒し、朽ちるに任せる方法。
それ故に、鳥部野は冥府に近いとされる。
その鳥部野の入口には、六道珍皇寺があった。
この寺にある井戸は、冥土通いの井戸と呼ばれている。
だが、それは半ば正しく、半ば間違っている。
「この井戸を降るのは、何度目になるか……」
異様にそこが深い井戸は、まさしく地の底への入口だ。
人々がこの井戸を覗き込み、冥府を想像するのも、無理ない事。
「毎度感慨深げにしないで、……とっとと潜ってないか」
「……言われなくとも、分かっております」
そんな井戸を、私と共の下人頭……アキト様が、今夜も降りている。
「噂で人が寄り付かないといっても、物好きな術者や死体目当ての呪術師が居ないとも限らないからなあ……」
「やはり、地下を見られるにはいきませぬか?」
「まだ、早いな。こんな、幾らでも利用されそうな空間、バレたらどんな影響があるか、判ったものじゃない」
この井戸が繋がっているのは、冥土ではない。
何時の間にか存在していた、平安の都の地下に広がる空洞だ。
「まったく、最近は地下で色々起き過ぎと言うか……なんで地下絡みがこうも集中するかな」
アキト様の念に、苦いものが混じっていた。
いつの間にか出来ていたこの空洞は、どうやら、地下の力を魔力に置き替える影響の末に生まれたものであるらしい。
その広さは、地上にある平安の都を丸ごと収められるほど。
この空洞がある深さは、かなり深度となる為、今まで人知れず存在していたのだが……。
信州などで地下に空洞が見つかったため、改めて全国の地下を調べている内に、この京の地下の空洞も見つかったのであった。
それも、調べて見ると、放置すれば京全体を飲み込む大崩落の危険があるとの事。
故に、私はこうして夜な夜な地下に潜り、魔力による補強を行っているのだ。
「いっそ、埋め立ててしまえばいいのでは?」
「その分の土砂を用意するのと、補強するのとどっちがマシかって調べたら、補強の方がマシそうだったんだ」
「……それは仕方ないですな」
背後から、現世では下人として過ごすアキト様が続いている。
アキト様の下人としての生活は既に長く、今では下人頭として、他の下人たちを纏める立場となっていた。
そんなアキト様と愚痴を零しながら、私は井戸の底へと降りていく。
井戸の底に辿り着くと、そこから横穴が伸びており、さらにその先には、広大な空洞が広がっていた。
天井は高く、昏く、同時にそこには、魔力の影響で発光する鉱石が、僅かな光を放っている。
それはまるで星空ののようだ。
その光に照らされた空間は、どこか幻想的でさえあった。
「さて、今夜はどの辺りを補強しますか?」
「南東の辺りは昨夜補強したから、とりあえずその隣の区画にするか」
アキト様と私は、魔力を巡らせて空洞の状態を確認する。
亀裂が入っている箇所、崩落の危険がある箇所、それらを一つ一つ感じ取っていく。
魔穴核岩に宿る意思としての力を使えば、このような作業は容易だが……時間はかかる。
「ああ、そうですね。あの辺りは幾分脆いようで」
「また柱も追加しないとなあ……」
私達二人は、空洞の奥へと進む。
天然の洞窟である為か、起伏も多く、時には地下水が川となって流れている場所もある。
それらを踏みしめながら、私たちは作業を始めた。
私が魔力で地盤を補強し、時に地盤を支える柱さえ追加しながら。
それは地道な作業であった。
そのようにしばらく作業を続けていると、アキト様が不意に話しかけてきた。
それも、下人頭として。そうなると、私もその主として答える事になる。
「ところで篁様、小町様の事なのですが……」
「ああ、元気だ。今日も朝から詩を詠んでいてな。その才能たるや、まさに天才としか言いようがない」
「……相も変わらず、親馬鹿と言うべきか、拗らせたシスコンと言うべきか……」
その問いに、私は顔を綻ばせるが、下人頭としてのアキト様は、何とも言い難い表情を浮かべていた。
「何より、美しい。まるで日輪のようだ。いや、日輪以上かもしれぬ。その姿を見ていると、心が洗われるようだ」
「篁様、それは少々褒めすぎでは……」
「何を言う。事実だ。小町は、後の世にまで語り継がれる美女となるであろう」
「……まさか、だからアマテラスを養女として迎えて、小町と名乗らせたのか?」
「ははは」
そう、私の養女たる小町の正体は、姉上であるアマテラスなのだ。
高位の神が人の姿を取れば、その美しさは人の域を超える。それは、当然のことだ。
そして、私は知っている。
アキト様がかつて過ごされた世界では、小町は世界三大美女として使えられていると。
「まあ、確かに小町様は美しいですが……」
アキト様が、何か言いかけて口を噤んだ。
「何だ、言いたいことがあるなら言え」
「いえ、別に……ただ、篁様は何時の時代も手遅れなのだなと。既に彼女、人妻だというのに」
「それはそれだ」
まあ、既に姉上は田村麻呂と結ばれているが……それが何だというのだ。
私は、胸を張って答えた。
小町は養女だが、私にとっては大切な娘であり、その精神は何時までも敬愛すべき姉上なのだ。
姉として、かつて仕えた方として、そして今は父として。複雑な感情が、私の中に渦巻いている。
アキト様は、小さく溜息をついた。
そして、口調を本来の者に戻される。
「まあ、それは良いとして……こういう細かい作業は、アマテラスに任せても良かったかもしれないな」
その瞬間、私はアキト様を睨んだ。
「何を言われるか。このような雑事、姉上にさせるわけにはいきませぬ」
私は、きっぱりと言った。
姉上は、確かにこのような魔力の調整に生前から長けている。
だが、だからといって、このような危険で退屈な作業をさせるわけにはいかない。
姉上は、もっと大切に、もっと守られるべき存在なのだ。
「それを言い出すなら、現世に居ない他の者に頼んでも良かったのでは?」
「イザナギとイザナミは、海底と海外の空洞で手いっぱいだ。スサノオは魔力の扱いはそこまで得意じゃない。田村麻呂もな」
「……手詰まりですな」
「ああ……」
だから、こうして現世に居る私達が夜な夜な作業をしている。
お互い、昼も忙しい身だというのに。
「……そもそもアキト様も、ハルカ様やアマタに、この作業をさせるつもりは無いのでしょう?」
その私の指摘に、アキト様は僅かに表情を緩めた。
「……その通りだな。お互い様、というわけか」
「ええ、お互い様です」
アキト様が、笑いながら頷く。
彼もまた、家族を大切にしている。
その点では、私たちは似ているのかもしれない。
最も、私には妻は……まあ、この現世での生では、一応いる。
私の真実を知らぬ彼女だが……まあ、それなりの関係を作れているという実感はあった。
彼女は、恐らく魔穴核岩に意思を宿すことは無いだろうが……。
(私が、彼女を忘れることは、無いだろうな)
その様に想える程度に、私は妻を愛している実感があった。
その後、作業は夜通し続いた。
魔力で地盤を補強し、亀裂を塞ぎ、崩落の危険を取り除く。
単調だが、必要な作業だ。やがて、空が白み始める頃、私たちは作業を終えた。
この区画は、これで問題ないだろう。
「では、戻るとしよう」
私は、アキト様と共に、入り口とは別の井戸へと向かった。
嵯峨野の福乗寺の井戸だ。こちらからも、地上に戻ることができる。
二つの井戸を使い分けることで、怪しまれないようにしているのだ。
私達は井戸を登り、地上に出る。
朝の空気が心地よく、深く呼吸をし、清涼な空気を吸い込んだ。
「今夜も、無事に終わったな」
「ええ。ですが、まだしばらくは続きそうですね」
地下の補強と出入り口の偽装が終わるまで、この作業は続く。
だが、仕方ない。これも、都を守るための務めだ。
そんな日々を送る中、実の所私の姿は何度か目撃されていたらしい。
夜な夜な井戸に入り、朝に別の井戸から出てくる。
その奇妙な行動は、噂を呼び、『小野篁は、閻魔大王に仕えている』そのような話が、都に広がっていた。
「この噂、やはり鳥部野の井戸を使ったのが拙かったか……」
鳥部野は、都の葬送の地だ。
そこにある井戸を使えば、冥土に通じていると思われても仕方ない。
だが、この噂を否定するつもりはない。
むしろ、好都合と言えるだろう。
閻魔大王に仕えているという噂があれば、井戸に出入りする理由を説明する必要がない。
「否定なさらないのですか?」
「否定する理由もない。噂は、流れるに任せておけばいい」
真実を知る必要があるのは、ごく一部の者だけだ。
他の者は、噂を信じていればいい。
こうして私こと小野篁は、宮中でも奇異の視線にさらされるようになったのだ。
そんな日々を送る中、ある日、転機が訪れた。
遣唐使の一員として、私が指名されたのだ。
使者がそれを伝えに来た時、私は思わず眉をひそめた。
「遣唐使、だと?」
「はい。嵯峨上皇の御命令です」
使者は、恭しく頭を下げた。
だが、私は即座に拒否した。
「断る」
「は!? し、しかし……上皇のご命令ですぞ?」
「断ると言っている。帰れ」
私は、使者を追い返した。
遣唐使など、行く必要がない。
そもそも、私はかねてから遣唐使の派遣に反対していた。
直近の遣唐使は、二度も嵐で渡航に失敗している。
同時に、莫大な費用をかけているのに対し、昨今の唐から得られるものは、かつてほどでもない。
それならば、派遣する意味などないではないか。
もっとも、私にはそれ以上に重視すべき、別の理由があった。
小町と離れて暮らすことが、耐えられないのだ。
遣唐使として唐に渡れば、何年も都を離れることになる。
その間、小町に会えない。
それは、考えただけでも辛いことであった。
他にも一応理由がある。
かつてアキト様が器物に意思を宿し、大陸に渡ろうとしたことがあったが、精神の接続が切れ、失敗したことがあった。
遣唐使に向かうということは、その再現になる可能性が高い。
大陸で精神の接続が切れるという事は、写し身の表面的な死に他ならない。
それは、絶対に避ける必要があった。
「いや、優先順位が間違っているから!」
アキト様が、素の口調で指摘して来るが、私は気にしない。
「何が間違っているのだ。娘を想うのは、親として当然だろう」
「いや、それは分かる……わかるけれども」
アキト様が、何か言いかけたが、私は聞かなかった。
遣唐使など、断固として拒否する。それが、私の決断だった。
だが、その決断は、思わぬ結果を招いた。
嵯峨上皇が、激怒したのだ。
身勝手にも程がある、と。そして、私は隠岐に流刑されることになった。
「流刑、か……」
その報せを聞いた時、私は嘆いた。
結局、小町と離れ離れになってしまう。
隠岐は遠い。
流刑である以上、会いに来られない。
それが、何よりも辛かった。
だが、当の小町……いや、姉上に、私は嗜められた。
「ツクヨミ……貴方様は少し反省なさい。流刑は、受け入れるべきですよ?」
姉上は、そう言った。
その言葉は、優しくも厳しいもので……私は、渋々頷いた。
姉上がそう言うなら、仕方ない。
「……分かった。大人しく、隠岐に行こう」
こうして、私は隠岐に流刑となったのだった。
もっとも、たった二年で再び都に呼び戻されることになるのだが……それは別の話であった。
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