とある式神の一日
【とある式神】
夜明け前の空は、まだ藍色を引きずっていた。
東の地平線が薄く白み始める頃、一匹の鳩が東海道をなぞるように飛んでいた。
ただの鳩ではない。
純白の羽をもつそれは、実のところ式神である。
脚には小さな巻紙が結び付けられていた。
報告書だ。
瘴気や怪異の発生地などの急を要するものから、税や民の様子を伝える定期的なものなど、運ぶべき書は数多い。
九白と名付けられたその式神は、遠く関東からの書を運んでいる最中であった。
向かうは、京の都。
神である九白に昼夜の区別はないが、繰り返される書簡のやり取りは、激務と言う言葉さえ生ぬるいものであった。
「クルックゥ(あ~、豆を食べたいのう)」
式神は、高位のものとなれば自我を得る事もある。
九白はその様な式神の一体であった。
その為、激務に現実逃避し、好物の豆を存分に食う夢想にふける事もある。
だが、激務に不満を持つことは無い。
式神である為、疲労とは無縁なのだ。
街道沿いに点在する村々は、まだ眠りの中にある。
その様な朝早くからでも、荷を担いだ旅人たちが、足早に往来を行き交っていた。
恐らく、急ぎの荷なのであろう。
彼らの顔には疲労はあるが、意気が勝っていた。
それを届ける事で、褒美が見込めるのであろうか?
当人ならぬ九白には判らぬ事だ。
キュイーッ!
「ポ!?(むっ!?)」
その時、何者かの影が、九白に襲いかかった。
鋭い爪とくちばしを持つ猛禽──鷹が、空を切り裂くように降りてきたのだ。
「ポッポゥ!(甘い!)」
九白は反射的に身体から眩い光を放つ。
光は鷹の瞳を焼いた。また放たれた力で鷹は宙で安定を欠き、墜落していく。
その隙に、九白は悠々と飛び去っていた。
「クルッククゥ(まったく、鳩だと侮りおって)」
九白は小さく鳴いた。
この様な襲撃は珍しいことではない。
だが、ただの猛禽ではなく、瘴気に侵され変異したものが襲ってくる場合もある。
かつて九白が生み出された地、奥州ではその様なものばかりであった。
式神であっても、そうした怪異は厄介な相手だ。
とはいえ、高位の式神であり、その様な者を調伏する為に産み出された九白にとっては、余程の怪異であっても敵ではないのだが。
襲撃はあったがそれ以外に問題は無い。
高位の式神である九白の飛行速度は早く、また山野も容易く超える。
一夜も在れば関東から都まで到達するのだ。
山を越え、川を越え、関が原から、近江を抜ける。
そして、都が見えてきた。
方形の区画に屋根が連なり、四方には朱塗りの門が見える。
「クルック(やれやれ、ようやく帰って来れたのう)」
九白は安堵の声を上げると、陰陽寮へと向かった。
辰の刻。
陰陽師たちの間をすり抜け、各地の報告をまとめる役目の陰陽師の前に降り立つ。
その陰陽師は、九白が運んできた書簡を受け取り、眉を寄せた。
「……こっちは関東だと? 木っ端の怪異など、報告などする前に退治したら良いモノを……」
方々からの報告を受けている為か、その陰陽師には深い隈が刻まれていた。
他の陰陽師たちも同様だ。
陰陽師ともなれば、多くの知識が必要となる。
一朝一夕に育てられるものではなく、人手は常に足らない。
その為愚痴を言い合う陰陽師たち。
しかし、此処に一つの問題がある。
「クルックゥ(儂が見聞きしたことは、主に筒抜けなのだがのう……)」
愚痴を言い合っていた陰陽師たちの背後に、九白の主が立った。
加茂江人。
今の陰陽寮を纏める陰陽頭であり、かつて奥州の戦いにて多くの術者をまとめた男。
そして、九白の主である。
「……愚痴を言う暇があるなら、働け」
江人は、愚痴を口にした陰陽師にくぎを刺すと、新たな任務を告げていた。
その後立ち去る江人について行く九白。
先の陰陽師と同様に、九白にも新たな任務が待っている。
「この書状を、葛城の加茂の屋敷へ。こちらは平城の都へだ。夕刻までには戻るのだぞ」
「クルッポウ(承りまして御座います)」
江人の声は静かだが、命令は揺るがない。
平城の都や葛城山であれば、日があるうちに容易く往復が叶う。
それだけの力が、九白には備わっている。
九白は頷き、再び飛び立った。
まずは、加茂家の本拠地、葛城山へ。
京の都から南に向かう道は、整えられている。
日中故、往来も多い。
更に、上空には多くの鳥も飛んでいた。
九白のような、式神達だ。
人の伝令に比べ、書簡のやり取りあまりに早い為、朝廷は積極的に各地との情報のやり取りを行うようになっていた。
それは、遠方の地方での反乱への反省もあったのだろう。
もっとも、その分陰陽師たちの負担は日に日に増しているのだが。
「クルックゥ(主も大変だのう)」
江人の苦悩を察しつつも、式神の九白に出来る事は限られている。
今はただ、こうして書を運ぶのみだ。
書状の運搬は、滞りなく進んだ。
葛城山の加茂の本拠へは定例の連絡のやり取りであり、問題は無い。
一方で、平城の都の側では、受け取り手に幾らか緊張が伴っていた。
「……やはり、新たな仏の教えは勢いを増しているか」
平城の都から、京の都への遷都は様々な思惑があったとされているが、一つは旧来の仏教勢力との決別の面があった。
そして今、最澄や空海によってもたらされた、新たな教え──密教が都で台頭している。
それは、平城の都の仏教勢力にとって、脅威となっているらしかった。
「今後も動向を伝えてもらわねばな」
その様に呟く受け取り手から、新たな書状を持たされ、九白は飛び立った。
眼下に、平城の都の東に聳える、春日山が見える。
大養徳国金光明寺。
大仏殿を抱え、俗に東大寺と呼ばれるその寺の僧が、受け取り手であった。
「クック……クル?(やれやれ、これで後は帰るだけだのう……うん?)」
役目を終えた九白は、新たに持たされた書状と共に、再び都へ。
そこでふと眼下を見下ろすと、動物の群れが山を移動している様子が見て取れた。
角を手のように動かし、木々の合間を枝を掴み、猿の様にぶら下がって移動するその者達。
鹿の群れだ。
この地ではごく当たり前の光景だが、やはり鹿ほどの大型の動物が木々にぶら下がる姿は、時に異様に見える。
とは言え、それは雑事だ。
「クルック(早く帰らねば)」
陰陽寮に戻れば、豆が与えられる。
それを楽しみに、九白は傾き始めた日の光を浴びつつ、帰路を急いだ。
日が暮れ、夜はふけ、戌の刻。
九白は、とある貴族の屋敷の屋根にとまっていた。
普段の伝令の役目とは別に、江人から任務を任されたのだ。
「かの家を夜明けまで守護せよ」
この貴族家に向けて呪詛が放たれる疑いがあるという。
九白は屋敷の屋根に止まったまま、周囲を見渡す。
鳩の姿をしているものの、九白は相応の格を持つ式神である。
九白を作り出したのは、かの征夷大将軍の妻である三善高子なのだ。
かつて奥州の戦いのおり、術師のまとめである加茂江人に授けられ、その後もこうして江人に仕えている。
その九白の高い能力が、闇の中に、瘴気の塊が忍び寄るのを察していた。
「クルックルッ(……狗神であるか)」
瘴気の塊は、犬の生首の形を成していた。
怨念に満ち、口からは黒い霧が漏れている。
外法による呪詛、犬の怨霊を操る術者がいるのだ。
拷問にも似た手法で作り出される狗神は、強力な力を持っている。
しかし、九白の敵ではない。
「クルッポウ!(哀れよの!)」
九白は一瞬だけ霊力を放つ。
力を伴った光が怨霊を照らし、弾き飛ばす。
そのあまりの力の差に、狗神は悲鳴を上げて逃げていった。
それどころか、狗神を縛り付けていた術まで解けている。
それが意味するところは、一つ。
術は解かれ、怨霊は術者へと跳ね返る。
所謂呪詛返しだ。
あの狗神は、本来怨むべき相手……つまり、拷問のような手法で殺した、術者本人を呪うだろう。
場合によっては、術者に依頼した者さえも。
夜の都は静かだ。
だがその静けさの裏では、無数の呪詛や怨念が蠢いている。
しかし今夜、この屋敷に限っては、もう心配は無かろう。
九白は屋根の上で目を閉じた。
明日もまた、江人より任務を託されるだろう。
その命を果たす事こそ、九白の意義。
しかし、同時にこの屋敷の守護は、朝までとされている。
式神は、疲労を感じない。
しかし、それは身体の疲労に限る。
自我を持つほどの式神である九白にも、心の疲労はあった。
「クルゥ……(朝までは休めるのう……)」
式神である九白は所謂鳥目とは無縁であるため、普段であれば、この時間帯も伝令に飛んでいる。
しかし、今夜だけは朝まで休息の時だ。
緩やかに九白は微睡ながら、明日からの使命に備えるのだった。
日々、皆様のブックマーク登録や評価、反応などが更新の励みになっております。
誠にありがとうございます。




