とある学校の日本史授業風景 11コマ目 平安時代①
雨が、窓を叩いていた。
梅雨の季節特有の、しとしとと降り続ける雨。
午前中の三時間目、日本史の授業が始まろうとしていた。
「では、前回の続きから始める」
教師の三上が、教壇に立った。
「今日は平安時代前期について学ぶ。まず、桓武天皇の平安京遷都から見ていこう」
三上は、黒板に『桓武天皇』『平安京遷都』と書いた。
同時に、教室前方のスクリーンに、平安京の復元図が映し出される。
「794年、桓武天皇は長岡京から平安京へ遷都した。理由は複数あるが、主なものは何か、覚えているか?」
前側の席に陣取る真面目そうな男子生徒が手を挙げる。
「長岡京での怨霊の影響、ですか?」
「その通り。早良親王の怨霊を恐れたこと、そして仏教勢力からの距離を置くため、という側面もあった」
三上は、年表を示しながら続ける。
「この時期、桓武天皇は東北地方での戦いにも力を入れていた。坂上田村麻呂を征夷大将軍に任じ、東北の平定に乗り出した」
その言葉に、坂上が目を輝かせた。
「先生、田村麻呂様の話っすか!」
「……ああ。そういえば、お前の先祖だという話だったな」
坂上は先祖について公言しているため、三上はそれを思い出し、少し笑って続けた。
「この東北での戦いだが、単なる蝦夷征伐ではなかった。東北地方には、大怪異が残した瘴気の残滓が多数残っていたとされる。そこより生じた怪異が、東北中を荒らしまわっていたのだ」
スクリーンに、東北地方の地図が映し出される。
そこには、主に山地を中心に、瘴気に汚染されたという伝承が残る土地が、幾つも表示されていた。
「怪異の発生が相次ぎ、村々が荒廃していた。田村麻呂の任務は、これらの怪異を討伐し、村々を復興させることでもあった」
芦原が手を挙げた。
「先生、その時の怪異って、どんなものだったんですか?」
「記録によれば、多くは動植物が変異した者だったそうだが、中には野盗に身をやつした者などが触れ、強力な怪異に堕ちたという話もある」
「人が、怪異に……」
帰ってきた答えに幾分顔色を悪くする芦原。
三上はそれを一瞥するものの、深刻では無いと見て取ったのか、さらにつづけた。
「そう言った怪異の中で、名前が残っている者がある。大岳丸、大猛丸、大武丸、悪路王といった、怪異の長と呼ばれる存在だ」
三上は、黒板に名前を書いていく。
「特に最後の戦いでは、泥岩の巨人と呼ばれる、山のような大きさの怪異が出現したという」
「そんなのを倒したのか。すげえな……」
久留間が、珍しく反応した。
「で、田村麻呂様はそれを倒したんすよね?」
坂上が、嬉しそうに言う。
「ああ。蝦夷の戦士、阿弖流為と協力して倒したとされている」
「阿弖流為……たしか、東北の守護神って話を聞いたことが……」
「ああ、守護神扱いは事実だな。この英雄を祀る神社も残っている」
定原が、その名を反芻し、三上も頷く。
「阿弖流為は、元は朝廷に反旗を翻した者達の中心であり、一度は朝廷の軍も破っている」
「そこから、手を組んだのですか?」
「ああ。共通の敵である怪異を前に、手を組んだ。この共闘が、後の東北統治に大きく影響することになる」
三上は、幾つかの書状を表示した。
「田村麻呂は、朝廷に対して度々書簡を送っている。この中には、東北の平定状況の外に、阿弖流為の延命の願いも記されている」
「そうなんですか?」
「奥州の安定には、阿弖流為の存在が不可欠であり、これを処刑するようであれば、奥州は再び荒れる……その様に書かれているな」
三上の言葉に、坂上が激しく頷いていた。
この辺りは、子孫にも伝わっている話らしいと、三上は内心思いながら、次のスライドを表示する。
「さて、この東北での戦いに関連して、重要な出来事がある。徳政相論だ」
教師は黒板に『徳政相論』と書くと、二つの文言を続けて記す。『蝦夷討伐』『平安京増築』。
「平安京遷都からしばらくして、桓武天皇の御前で、二人の重臣、藤原緒嗣と菅野真道が議論を行った。テーマは、国政の在り方についてだ」
「何を議論したんですか?」
真面目そうな女生徒が、新たに記されたキーワードをノートに記しながら質問する。
「緒嗣は、蝦夷討伐と平安京の造営、この二つを中止すべきだと主張した。国家財政が逼迫していたからだ」
どちらも、労役としては重い。幾ら術の存在があるとはいえ、多くの兵を動員する軍事や、広大な都の拡張は、当時の朝廷の財政を圧迫していたのだと三上は語った。
その上で三上は資料を示す。
「このうち、蝦夷討伐は中止されなかった。何故だと思う?」
定原が手を挙げた。
「怪異討伐が必要だったから、ですか?」
「正解だ。単なる征服戦争ではなく、怪異から人々を守り、村々を復興させる必要があった。そのため、東北での戦いは続行された」
「復興、ですか?」
「事実、数年に渡ったこの戦いは、その間に多くの村々が復興し、軍の動員を続けているにもかかわらず、税収が伸びて行ったという記録が残っている」
だから、緒嗣も此方の継続に関しては、折れたのだと、三上は語った。
そこへ稲沢が尋ねる。
「じゃあ、平安京の造営は?」
「それは縮小された。必要最低限の整備にとどめ、財政負担を軽減したわけだな。実際、その時点で平安京は十分に機能していたため、増築は見送られた」
もっとも、後々にまた増築はされるのだが、などと触れた三上は、次のテーマに移る。
「さて、桓武天皇の後、平城天皇が即位する。だが、この天皇の治世は短かった」
スクリーンに、平城天皇の肖像画が映る。
「病弱だった平城天皇は、わずか3年で弟の嵯峨天皇に譲位した。だが、問題はその後だ」
三上は、黒板に『薬子の乱』と書いた。
「平城上皇は、藤原薬子という女官の影響を強く受けていた。そして、平城京への遷都を宣言する」
「え、また遷都するんすか?」
坂上が驚く。
「しようとした、だ。だが、嵯峨天皇は素早く対応した。坂上田村麻呂に協力を求め、軍事的な動きを封じた」
「おお、田村麻呂様また出てくるんすね!」
「ああ。結果、藤原仲成は処刑され、薬子は服毒自殺。平城上皇は出家した。これが薬子の乱だ」
坂上が嬉しそうに言う。
その反応をほぼスルーしつつ、乱の顛末を語る三上。
そこへ芦原が手を挙げた。
「先生、その藤原薬子って、どんな人だったんですか?」
「元々は、平城天皇の妃の母親だった。だが、妃の死後、平城天皇と関係を持つようになった」
「え……それって……マジなの?」
稲沢が、その関係性に考えが及んだのか、少し引いた表情になった。
一方で三上は、その関係の政治的な意味合いに触れる。
「……言いたいことは判る。当時の倫理観でも、かなり問題のある関係だった。しかし、だ。これは、政治的な理由もあった。藤原式家が権力を維持するため、薬子を利用したとされている」
「ドロドロしてるぅ~」
稲沢の率直な感想に内心同意しつつ、三上は次の映像を表示した。
そこには、こう書かれている。『源氏、平氏の興り』と。
「さて、嵯峨天皇の時代になると、政治は安定する。そして、ここで重要な制度が始まる」
さらに教師は黒板に『臣籍降下』と書いた。
「臣籍降下。これは何か、分かるか?」
その問いに、予習してきたらしい定原が答える。
「確か、皇族が臣下に降りることですよね」
「その通りだ。皇族の数が増えすぎると、財政を圧迫する。そこで、皇族に姓を与えて臣下にした」
三上は、資料を示しつつ、二つの例を挙げる。
「桓武天皇の時代には、平氏が生まれた。桓武平氏だ。そして、嵯峨天皇の時代には、源氏が生まれた。嵯峨源氏だ」
「平氏と源氏って、ここから始まったんすか!?」
坂上が驚いたように言う。
平氏と源氏。どちらも名は知られているが、どの様に発生したかを知らなかったのだろう。
「ああ。後の平安時代末期、平清盛や源頼朝が活躍するが、その源流はここにある」
また、こうした臣籍降下は度々行われたとも語った三上は、ここで話の流れを変える事にした。
「さて、こうして平安時代が幕を開けたのだが、この前期と言うべき時期、嵯峨天皇の時代は、日本史上最も唐風文化が盛んだった時期だ」
スクリーンに、漢詩や書道の資料が映し出される。
「書道では、嵯峨天皇、空海、橘逸勢の三人が『三筆』と呼ばれた。漢詩も盛んで、『凌雲集』『文華秀麗集』などが編纂された」
「空海って、あの弘法大師ですよね」
しっかりとノートを取りつつ、真面目そうな女子生徒が確認する。
「そうだ。最澄と共に、唐から密教を持ち帰り、日本の仏教を大きく発展させた。そう言った密教にまつわる美術も、この時代の大きな特徴だ」
曼荼羅や仏具のような、絢爛にして繊細な装飾が施されたそれらの紹介映像に、生徒達は圧倒される。
「遣唐使がもたらした、これら唐風文化の象徴と言うべき品々は、密教が国家宗教として認められたことで、目覚ましい発展を遂げていくことになる」
そして、二つのキーワードが記された。『比叡山延暦寺』『高野山金剛峯寺』。
「最澄と空海が開いたこの二つの密教の象徴的な寺院は、この後長く日本の宗教的柱として扱われるようになる。これも、覚えておくように」
その言葉に、生徒達がノートへ書き記すのを見渡しながら、三上は、時計へ視線を送った。
残り時間は、少ない。
「さて、この後、藤原北家が勢力を高めていく。その中で大きな役割を果たしたのが、藤原良房なのだが……」
幾分授業の進捗が遅れたかと思いつつ、続きを話そうとしたところで、チャイムが鳴った。
「……この話は、次回にするとしよう。今日はここまでだ」
三上は生徒達を見回し、しっかりと書き込まれた黒板を示す。
「復習しておくように。特に、桓武天皇から嵯峨天皇までの流れ、薬子の乱、臣籍降下については、しっかり理解しておくこと」
「はい」
生徒たちが、答えるのを見届け、三上は教室を出た。
生徒達は、次の授業の準備をする者や、書き忘れに気付いた者が慌てるなど、様々な顔を見せている。
窓の外では、相変わらず雨が降り続いていた。
だが、教室の中では、平安時代の歴史が、確かに生徒たちの心に刻まれていたのだった。
次回より、間章となります。
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