平安時代前期は、唐風文化の隆盛期だった
(アキト様。田村麻呂様を、私達と同じように魔力に昇華してくださいませんか?)
アマテラスからの相談。
それは、田村麻呂を魔力に宿る意思としたい、というものだった。
(……やはり、か)
俺は、心の中で呟いた。
アマテラスが田村麻呂に惚れ込み、離れがたく感じているのは、俺も知っていた。
だから、薄々は予測していたのだ。
彼女が、田村麻呂を自分と同じ存在にするだろうと。
だが、既に実行していたとは。
(しかも……これは、いつから計画していたんだ?)
思い返せば、アマテラスはずっと布石を打ち続けていたのだと判る。
田村麻呂は神器の力に何度も触れ、神であるアマテラス……高子と触れ合い交わり、遂には恐山の魔穴で膨大な魔力に触れた。
偶然と片付けるには、あまりに出来過ぎてはいないだろうか?
つまり、恐らく初めから。
鈴鹿山での出会いに、遡れるのではないか?
アマテラスは、あの時から……いや、恐らく鈴鹿山に降り立つ時点で、田村麻呂をいつかは自分と同じ存在にしようと考えていたのだ。
神器を与え、共に戦わせ、魔力に満ちた場所へ導く。
全ては、田村麻呂を人ならざる者へと変えるための、布石。
(……用意周到すぎる。いや、むしろこう言うべきか? 情念が、重すぎると)
俺は愕然としつつ、ある意味で感心もしていた。
流石は、智に優れたツクヨミと同じ血を引く姉だと。
同時に、数十年がかりの計画を、アマテラスが黙々と実行していた事について、長年熟成された独り身の反動を見てしまった。
(ツクヨミとは別方向で拗らせていたからなあ……まあ、そんな道もあるか)
俺は、小さく笑った。
愛する者と永遠に共にいたい……その想いは、理解できる。
俺とて、ハルカと共に過ごせていなかったら、今ほど落ち着いて過ごせているかわからないのだ。
そして、田村麻呂自身がそれを望んだのなら、俺がどうこう言う問題でもない。
とはいえ、一応の懸念はある。
(他の一族との別れは良いのか?)
東北遠征で長期間離れ離れになっていた子供達に対して、田村麻呂と高子は離れてしまった距離を近づけようと懸命になっていたのではなかったか?
だが、アマテラスは穏やかに首を振る。
(あの子達は既に親離れしていますよ?)
(……うん? そうなのか?)
(……アキト様、やはりそろそろ現世で過ごされた方が良いです。時の感覚が鈍られていますよ?)
(そうか?)
見れば、高子の子供たちは、皆元服を済ませるほどに成長していた。
一番年若い子供達、つまり田村麻呂と高子の顔を忘れていた子供達も、だ。
俺からすると、ちょっと目を放した間に育っていた感覚なので、時の感覚が鈍っていると言われても仕方がないことかもしれない。
(それに、子供たちの今後を見守ることはできますから)
田村麻呂も同様に考えているのだと告げられては、俺から何も言う事は出来ないだろう。
(分かった。頼まれよう)
(ああ……ありがとうございます、アキト様)
俺は、アマテラスの頼みを了承した。
田村麻呂を、肉体ごと魔力に変換する。
意思だけの存在に、変えるのだ。
(奇しくも、それは……)
アマテラスの生前。
姫巫女と呼ばれていた彼女の、終わりと同じだ。
肉体を捨て、魔力に宿る意思となる。
(もしや、それをなぞらえようとしているのか?)
そんな疑念が浮かんだが……俺はあえて指摘しなかった。
それは、アマテラスなりの、愛の形なのだろう。
聞くだけ野暮というものだ。
そして、俺はアマテラスの望みを果たした。
田村麻呂の遺体を、創り上げたのだ。
現在の肉体と全く同じ姿。
古傷も、筋肉の付き方も、全て同じに。
夜が明ければ、坂上家に仕える下人がやって来てその遺体を発見するだろう。
これで、田村麻呂は今夜死んだことになる。
一方で田村麻呂本人は、屋敷を抜け出し密かに都近くのダンジョンへと向かっていた。
肉体の魔力への変換は、やはりダンジョン内で行うのが望ましい。
アマテラスも、さほど時を置かず、後を追う形で高子としての肉体を捨てる予定と聞く。
こうして──本物の田村麻呂は、魔力に宿る意思となったのだ。
(これで、あの二人は、ずっと一緒にいられるのね)
(……ああ、そうだな)
(アマテラスちゃん、ずっと気にしていたもの……本当に良かったわ)
この一部始終を見ていたハルカは、純粋にアマテラス達を祝福している。
長年アマテラスが独り身であることを、ハルカも気にかけていたから、祝福の念はとりわけ強いようだ。
一方で、スサノオはというと。
(はっはっは! 我が弟子が、同じ存在になったか! これで、今後も鍛えられるな!)
純粋に、弟子が自分と同じ存在になったことを喜んでいた。
師として、弟子と共に今後も研鑽できると、そう考えているのだろう。
スサノオらしいと言えばそれまでだが、何やら他にも考えている風でもある。
(何をする気なんだか……)
何となく予想がつかないでもないが、俺はあえて指摘しないことにした。
俺としては、田村麻呂についてはこう考えている。
(まあ、純粋にダンジョン管理ができる人員が増えるのは、良い事だ)
ダンジョンの管理を手伝ってもらうため、アマタを生み出したが、それでも人手が増える事に否は無い。
田村麻呂は優秀で、戦闘力も高く、判断力もある。
東北各地に拠点を築きながら進軍した思想は、ダンジョンの管理を任せるにも向きそうだと感じていた。
流石は、アマテラスが惚れこんだ男だ。
そこまで考えて、俺はふと思った。
(それにしても……ツクヨミがいれば、どんな反応をしただろうか)
姉が、男を連れてきた。しかも、その男にどうしようもない程に惚れ込んでいる。
ツクヨミなら、きっと面白い反応をしただろう。
実際、鈴鹿の山の時など、スサノオが取り押さえねばならなかったほどだ。
その後、夫婦の営みさえ覗き見ようとしていた事を知っている俺としては、どうしても気になる部分だった。
(質の悪い小舅になっていた可能性が高そうだな。もっとも、運が良いのか悪いのか、今のツクヨミは現世に居るが……)
俺は、現世の様子を領域内に映し出した。
とある公家の屋敷。
そこには、10歳前後の聡明な少年の姿があった。
小野篁……つまり、現世のツクヨミだ
既に多くの書を読み解き、その聡明さを周囲に知らしめているようで、宮中にもその名が知られ始めているらしい。
公家の子弟として、順調に成長しているようだ。
(この様子なら、大成してくれるだろう)
俺は、その様子に、安堵していた。
ツクヨミが公家として朝廷内に入るのなら、今後俺達が現世で生きる上で、色々とやり易くなる。
想定外の形ではあるものの、ツクヨミの暴走が現世で生きる好条件を呼ぶのなら、それは歓迎すべきだった。
(アマテラスにも指摘されてしまったからな……)
現世で過ごさないと、やはり人間的な感覚が鈍ってしまうらしい。
世も平和になりつつある中、そろそろ現世で過ごすべきだ。
小野篁として過ごすツクヨミを見ても、それが判る。
こうして見ても、どこか不機嫌そうであるものの、その精神は安定しているようなのだ。
やはり肉体の感覚が、精神の安定を呼ぶらしい。
何より、生前から智に秀でて居たツクヨミは、様々な書に触れるのを愉しんでいるように見える。
その様子に、俺はふと興味がわいた。
(この時代の学問か……)
平安時代前半の文化。
何となくうろ覚えな知識としてあるそれ。
今後この時代を生きるのであれば、少し調べてもいいかもしれない。
そう思い、データベースを立ち上げると、魔力の領域に、様々な情報が浮かび上がった。
(なるほど……唐風文化の隆盛期か)
特に、現在の今上の帝……つまり、嵯峨天皇の時代は、日本の歴史の中で最も唐風文化が盛んだった時期だ。
書道においては、嵯峨天皇自身、空海、橘逸勢の三人が「三筆」と呼ばれ、唐風の書を極めている。
漢詩においても、弘仁・貞観文化として、多くの漢詩集が編纂された。
『凌雲集』『文華秀麗集』『経国集』──これらは、勅撰漢詩集として、後世に残っている。
服飾や儀礼についても、唐の文化を積極的に取り入れているため、俺の目には宮廷が異国のように感じる事もあった。
この時代の朝廷の儀式は、唐の制度を模したものが多いのだ。
(そして、工芸技術も……)
唐風の彩色や文様。
漆工、金工、螺鈿などの技術。
これらは、遣唐使が唐から持ち帰ったものだ。
職人たちが工夫してそれらを作り上げている様子は、中々に興味深い。
特にそれらを使用した仏教美術は、目覚ましい発展を遂げている。
最澄や空海らが持ち帰った密教は、既に国家公認の教えとなった。
それにより、曼荼羅、仏像、法具等が、密教の興隆と共に、広まっていく。
(俺の生前の歴史だと、今後は……)
俺は、記録を辿る。
この後、平安時代中期になると、唐風文化は次第に国風文化へと変わっていく。
唐の没落と共に遣唐使が廃止されたのが、その大きな原因だろう。
かな文字の発達、和歌の隆盛、寝殿造りの発展……だが、それはまだ100年近い先の話。
今はまだ、唐の影響が色濃い時代なのだ。
(そういえば、空海の現在は……ああ、はやり宮中に居るのか)
仏教美術から、彼の事を想いだした俺は、宮中の一角を映し出した。
そこには、何らかの儀式なのか、護摩を行う空海の姿があった。
薬子の乱で庇護者である嵯峨天皇が勝利したことで、空海は朝廷内で精神的支柱として地位を高めているようだ。
護摩を行う空海の周囲に多くの人影が有ることでわかるように、既に多くの貴族が空海を頼り、密教の教えを請うている。
この様子なら、遠くないうちに、俺の生前の歴史と同じく、空海は高野山に金剛峯寺を開くのだろう。
真言密教の聖地として、後世に残る寺院を。
(既に存在する比叡山延暦寺と共に、日本の仏教の二大支柱となるわけだ)
その存在の影響力がどれ程のものか。
そんな事を考えていた、その時だ。
(師匠、連れて来たぜ)
(……御身が、根乃国比古命であらせられるか)
スサノオに連れられた田村麻呂が、俺の元にやってきたのだ。
田村麻呂の肉体を魔力に変換する役目は、スサノオが望んだために任せていた。
田村麻呂の武の師として、何かを成したかったのだろう。
見たところ魔力に宿る意思となった田村麻呂は、生前の姿を保っている。
どうやら、問題なく変換できたようだ。
(お初にお目にかかります、根乃国比古命)
田村麻呂が、丁寧に挨拶してくる。
こうして間近で見ると、改めて威風の様なものを纏っているのが判った。
なるほど、アマテラスが惚れ込むのも無理はない。
(……俺の事は、アキトでいい。その名は、少し大仰すぎる)
(では、アキト様と。御身のお力になれるよう、務めましょう)
田村麻呂は頷き、受け入れてくれたようだ。
どうやら、俺達の役目についても凡そ聞いているらしい。
それは喜ばしいのだが、どうやらここに来たのはそれだけではないようだ。
(……一つ、頼みたいことがあるのです)
(頼み?)
(ああ、俺からも頼みたいことがあるんだぜ、師匠!)
田村麻呂とスサノオ。
この二人からの頼みとは、一体何だろうか。
俺が首をかしげていると、スサノオがニヤリと男臭い笑みを浮かべた。
(なあに、悪い話じゃないぜ? この田村麻呂と、阿弖流為。二人の勝負、見たくないか?)
続けて告げられた言葉に、俺は目を見開くのだった。




