奥州霊異譚 第八幕 姫巫女が告げる道しるべ
ちょっと手間取り遅刻しましたが更新です!
【三善高子】
大猛丸が消え去った後の空は、嘘のように晴れ渡っていました。
「やったぞ!」
「勝ったぞ!!」
朝廷の兵も、蝦夷の戦士たちも、共に声を上げています。
胆沢の戦いに続いて、また一つ。
怪異の長を、私たちは倒したのです。
その喜びに、私も心から頷き、田村麻呂様と喜びを分かち合いたい。
ですが……。
(これは……まさか)
その時、私は感じ取ったのです。
遠く北の地から漂ってくる、重く、暗い気配を。
瘴気とは違う……もっと深く、もっと根源的な、何か大きな力が動いた感覚。
そして私の脳裏に、確かな光景が浮かび上がりました。
北の地で立ち上がった、脅威を。
(悪路王……そして、大武丸が……こんな事が、可能だったのですか)
私は蒼褪め、思わず足を止めてしまいす。
その私の様子を、田村麻呂様はすぐに気づいたのです。
田村麻呂様が、お顔を引き締められ、私の傍に歩み寄ってきました。
「高子? どうした……いや、何があった?」
「高子殿、顔色が優れないようだが……」
阿弖流為殿も、怪訝そうに私を見ています。
私は、一つ深く息を吸いました。
伝えなければなりません。
どれほど厳しい内容であろうとも、隠してはならないのです。
それは、避けられない未来の脅威なのですから。
「田村麻呂様、阿弖流為殿。それから、副将殿、母禮殿、加茂の方々も」
私は、周囲の重鎮たちを見渡しました。
「皆様に、お伝えしなければならない事があります。どうか、あちらの神社へ」
私が指し示したのは、少し離れた丘の上に見える古びた神社でした。
その神社は、長い年月をかけて建てられた、古くからの社でした。
境内に入った瞬間、清浄な力が満ちているのを感じます。
荒れた様子もなく、この地の人々が長年に渡って大切に守ってきた場所なのでしょう。
そして……ありました。
拝殿の奥に密かな輝きを宿した、一枚の鏡。
「この鏡は……」
田村麻呂様が、その鏡に目を留めました。
「はい。かつて古の時代、姫巫女と呼ばれたある一人の女が使っていた鏡です。この地に、あって良かった……」
「姫巫女……それはもしや」
田村麻呂様が何かに気付かれましたが、今はそれどころではありません。
私は、鏡の前に立ち、両の手を鏡の縁に添え、静かに力を注ぎ込みます。
……かつて、姫巫女と呼ばれていた頃。遥か昔の記憶通りに。
この鏡は、外つ国よりもたらされたもの。
その頃から、ここにあり続けて、今此処にあるのは何かの運命を感じます。
「鏡よ、姫巫女の名のもとに、遠き地を映し出したまえ……」
私の声に応え、鏡の表面が、淡く光を帯び始めました。
そして、その光の中に、ここではない場所の光景が浮かび上がったのです。
それは、異臭に満ち、蒸気を各地から吹き上げる恐ろしい地の光景。
恐山、そう呼ばれる地の今の姿。
そして……。
「これは……!?」
「なんだ……あれは」
田村麻呂様が、息を呑みました。
阿弖流為殿も、低く唸ります。
副将や母禮殿、加茂の術師たちも、鏡に映し出された光景を前に、言葉を失っていました。
無理もありません。
鏡の中に映るのは、山と見紛う巨躯。
岩石と泥と瘴気が混ざり合い、人の形を成した、途方もない異形。
その足元には、これまで戦ってきた怪異たちが、まるで虫のように小さく見えていました。
副将が、震える声で言います。
「あれが……大怪異というものか」
「いいえ」
私は、静かに答えました。
「これは、残る怪異の長たる大武丸と、全ての怪異の王、悪路王が力を結集した姿なのです」
「二匹が……合わさったというのか!?」
阿弖流為殿が、瞠目します。
「はい。大武丸は、己の身を犠牲にして、あの巨体の力の源となりました。悪路王は、長い時間をかけて恐山の地脈を手中に収め、その力を以ってあの巨体を形作ったのです」
場の空気が、重く沈みました。
一山に匹敵する巨体。
かつての大怪異に比すとも劣らない、その圧倒的な存在感。
沈黙の中……しかし私は、田村麻呂様と阿弖流為殿の目に、揺るぎないものが宿るのを見ていました。
諦めではなく。
恐れでもなく。
田村麻呂様が、静かに、だが確固とした声でおっしゃいました。
「あれを倒さなければ、奥州に平和はない」
「……その通りだ」
阿弖流為殿も、頷きます。
その言葉に、私の胸が震えました。
この方々は、何があっても揺らがない。その猛き魂の、何と眩しい事でしょう。
「都に使いを送ろう。大仏を動かせば……」
田村麻呂様が考えを口にされます。
確かにかの大仏であれば、かつての大怪異のように、あの巨人もうちたせましょう。
しかし、私は静かに首を振りました。
「都から、あまりにとおすぎます。それに、間に合いません」
「……何?」
「あれをご覧ください」
私は力を込め、鏡の映す光景を、泥岩の巨人の胸元へと寄せていきました。
ずるりと拡大されるその場所に、脈動するように蠢く漆黒の塊が見えます。
その正体に気付かれた加茂の術師が、息を呑みました。
「なんだ、あの黒い岩は……いや、まさか!?」
「ええ、疑似的な魔穴核岩です。大武丸が変じたもの。今はまだ不完全で、あの巨体は恐山から動けませんが……」
私は、一同に告げました。
「ですが、地の底から力を引き出し続ければ、やがて完全な形へと至るでしょう。そうなれば……日乃本中を、荒らしまわるほどの脅威となります」
絶句する一同。
加茂の術師が、顔面を蒼白にしています。
母禮殿も、拳を握りしめていました。
副将は唇を引き結んで、鏡を凝視しています。
しばらくの沈黙の後、田村麻呂様が口を開きました。
私を真っ直ぐに見つめる視線。そこには、諦めなど全くありません。
「何か、手段はあるか?」
「あります」
その問いに、私は頷きました。
私の言葉に、田村麻呂様が僅かに、そして確かにほほ笑まれたのです。
ああ……田村麻呂様は何処までも私を信じて下さいます。
であるなら、妻たる私は期待に応えねばなりません。
「地の底から力を引き出しているのなら、その流れを断ち切れば良いのです」
「断ち切る? そのような手段が?」
阿弖流為殿が、前のめりになります。
「あの疑似魔穴核岩は、本来各地の魔穴が地の底から力を引き出す流れを、今はかすめ取っているに過ぎません。ならば……恐山にある魔穴で儀式を行い、その流れを正しく戻せば、あの巨体を維持する力は断たれます」
「それは……できるのか!?」
一同がざわめきました。
その声には、確かな希望が混じっていました。
ですが、私は表情を引き締めます。
「できます。ただし……その儀式を行う場所は、あの泥岩の巨人が立ち上がった、恐山にある魔穴でなければなりません」
再び、静寂が訪れました。
私は、鏡の映す光景を動かし、恐山の一角を映し出します。
泥岩の巨人が立ち上がった勢いで、半ば岩に塞がれた魔穴の入口。
そしてその周囲には、無数の怪異たちが群れていました。
副将が、苦々しく言います。
「何という群れだ……ここまでたどり着くだけでも、容易ではないぞ」
「ええ、その通り。さらに、儀式の間、泥岩の巨人の妨害も予想されます。誰かが、あの巨体を引き付けておかなければなりません」
私の言葉が終わるか終わらないかの、その瞬間でした。
「オレが行こう」
「おれも、同じ事を言うつもりだった」
田村麻呂様と阿弖流為殿が、同時に声を上げたのです。
二人は顔を見合わせ、そして互いに笑みを浮かべました。
(この方々は……)
私は、胸が熱くなるのを感じました。
あの泥岩の巨人を引き付けるなど、どう考えても、命懸けの話です。
ですが、この二人には迷いがない。
あの巨体にどうにかできるのは、自分たちしかいないと、その目が語っていました。
「田村麻呂様、阿弖流為殿」
私は、二人の前に進みました。
そして、いつも私の周囲を守るように飛んでいた、二振りの剣を前へ差し出します。
「これを、お二人に」
「高子、それはお前の……」
「はい。この二振りに神器の分け御霊を宿したのは、この時の為でした」
私は、静かに告げました。
「神器の力があれば、あの泥岩の巨人の攻撃からも、お二人は守られるでしょう。どうか……受け取ってください」
田村麻呂様と阿弖流為殿は、互いに目を見かわし、そして頷きました。
田村麻呂様が、右の剣を。
阿弖流為殿が、左の剣を。
それぞれの手に、しっかりと受け取ってくださいました。
「……また、高子の成果を待つ戦いになるな」
田村麻呂様が、朗らかに笑いながらおっしゃいました。
その言葉に、張り詰めていた場の空気が、ふっと緩みます。
「今度は神器持ちが二人だぞ、田村麻呂殿。ともすれば、先におれが倒してしまうかも知れぬな」
阿弖流為殿が、不敵に言います。
「ほう、それは面白い。では、高子が儀式を終える前に決着をつけてみせよう」
「ふん、望むところだ」
二人のやり取りに、一同から笑いが漏れました。
張り詰めていた空気が、確かに変わっていきます。
その笑いが収まるや否や、副将が力強く声を上げました。
「怪異の掃討は、我らに任せてください!」
「蝦夷の戦士も、露払いはやらせてもらう」
母禮殿が続きます。
「高子様が魔穴へと踏み入れるための道、必ず開いてみせましょう」
加茂の術師も、深く頭を下げました。
既にここにいる人々に、怯えや諦めはありません。誰もが、この地を平和にするための、最後の戦いに気勢を上げ始めました。
そう、此処に戦略は定まったのです。
田村麻呂様と阿弖流為殿が泥岩の巨人を引き付け、副将と母禮殿と兵たちが怪異の群れを払い、加茂をはじめとする術師たちが道を開く。
そして私が、恐山の魔穴へと踏み込み、儀式を成す。
それは確かに困難で……だけれど、確かな勝利への道しるべ。
「皆、行くぞ!」
田村麻呂様が、高らかに声を上げました。
「怪異共に、奥州の誇りを見せてやれ!!」
「「「「おおおおおっ!!!!」」」」
歓声が、この地の空へと響き渡ります。
私は、その声の中心にいる田村麻呂様を見つめていました。
あの方は、いつもそうなのです。
どれほどの絶望が目の前に立ちはだかろうとも、その笑顔一つで場を変えてしまう。
人々に希望を与え、その心に火を灯す。
それが、坂上田村麻呂という方なのです。
(田村麻呂様……)
私は、心の中で呼びかけます。
(必ず、儀式を成し遂げます。貴方様と共に、この戦いを終わらせます)
そして、深く、静かに、決心を固めました。
神として。
妻として。
そして、この地を守る者として。
私の全てを以って、この戦いを終わらせる。
泥岩の巨人は、遠く北の地で、今もその威容を増し続けているでしょう。
ですが、私たちは必ず辿り着きます。
恐山の魔穴へ。
そして、終わらせるのです。
私は、静かに歩き出しました。
北へ。
愛する夫と、頼もしき戦友たちと共に。




