奥州霊異譚 第六幕 胆沢の戦い 結
【坂上田村麻呂】
おれは、もう限界に近かった。
突風を操る鬼との戦いで、心身ともに消耗し切っている。
特に、前衛として直接鬼と対峙し続けたおれは、全身に無数の傷を負っていた。
暴風の様な勢いで振り回される金棒に、その余波で飛び散る礫が、おれの身体を容赦なく削っていく。
顔に、腕に、脚に。
細かな傷が、総身を覆って、時には鎧さえも貫いていた。
一つ一つは浅い傷だが、その数があまりにも多く、出血も、徐々におれの体力を奪っていく。
(だが……まだだ。この程度で倒れては、師に笑われよう)
おれは、歯を食いしばった。
かつて魔穴の中で出会った、試練の鬼。
師と仰ぐあの鬼との修練の日々の中、今以上に追い込まれた事もある。
それを思えば、この程度どうとでもなるというモノだ。
故に、倒れるわけにはいかない。
高子が来るまで、耐え抜かねばならない。
阿弖流為殿も、おれと同じように消耗している。
矢を放ち続け、その腕は疲労で震えているだろう。
心の疲労も尋常ではないはずだ。
鬼が再び天空からの突風を放てば、おれたちは倒れ伏し蹂躙されてしまう。
それを防ぐために、阿弖流為殿は一瞬の緩みなく、鬼の力の発動を封じているのだ。
彼も決して諦めていない。
一方で、鬼は未だ勢いよく暴れているものの、その顔には、忌々し気な色が浮かんでいる。
おれたちを、殺しきれない。
それが、鬼の苛立ちを募らせているのだ。
おれと阿弖流為殿は、その理由を悟り、思わず笑みを浮かべた。
鬼以外の怪異たちが、朝廷の兵と蝦夷の連合に、駆逐されかけている。
高子に教えを受けた術師たちが、浄化された領域を密かに広げていた。
怪異の軍勢を、囲むように。
そして、その領域内では、怪異の再生が封じられる。
術師たちの浄化の力が、怪異を弱体化させているのだ。
そこへ、兵たちが一気に攻勢に出た。
交代しながら戦っていた兵たちは、消耗も少ない。
怪異たちを、次々と討ち取っていく。
「押せ! 押し切れ!」
「この地に生きる者の意地を見せよ!」
副将と母禮殿の声が、戦場で響き渡る。
兵たちが、雄叫びを上げ、矢を射かけ突撃する。
これまで再生頼みだった怪異たちは、その勢いに対抗し切れず、遂に壊走を始めた。
群れとしての体裁さえ崩れ、逃げ惑う怪異たち。
長たる者以外に、統制を取れる者など居ないのだ。
その様に、鬼は険し気に顔を歪ませた。
怪異たちの不甲斐なさに怒りを感じているのか、それとも屈辱か……。
それでも、壊走を押しとどめようと、大きく吸い込んだ。
威嚇の咆哮か。
だが、
「させぬ!!」
おれは、剣を振るい、阿弖流為殿も、矢を放つ。
鬼の喉を、おれたちの攻撃が同時に襲う。
そのような隙を、おれたちが見逃すはずがない。
鬼は咆哮を上げることができず、忌々し気におれ達を睨むが、最早どうしようもない。
そして、遂には、怪異たちは残らず駆逐された。
残るは、この鬼一匹。
立場が、逆転した。
「弓を射かけよ!」
「術師よ、田村麻呂様を援護せよ!」
多くの兵が怪異の群れの追撃に移る中、副将や母禮殿の指揮で、この鬼の方にも兵が差し向けられた。
蝦夷の戦士たちが、四方から矢を放ち始める。
鬼めがけて、無数の矢が降り注ぎ、その全身に突き立った。
「グォォォ!???」
鬼が苦痛に悲鳴を上げる中、術師たちも、動く。
瘴気の浄化を試み、大柄な式神を召喚して、鬼にけしかけ始めたのだ。
鬼は金棒を振り回し、式神を破壊するが、その数と槍の援護に倒しきれず、組みつかれて動きを封じられていく。
その間に、おれと阿弖流為殿は、ようやく一息ついた。
一旦下がり、いままで重荷でしかなかった水を取り出し、飲み干す。
その途端、おれの膝が崩れた。
「ぐっ……」
全身の細かな傷と、疲労。
暴風の如き鬼の猛攻の中身を置いていたために、心もまた疲労していた。
師との鍛錬を経験をしていなければ、どうなっていた事か……。
阿弖流為殿も、緊張の糸が切れたのか、座り込んでいる。
そこへ、兵たちが、駆け寄ってきた。
「田村麻呂様! こちらを!」
「阿弖流為殿も!」
兵達が取り出したのは、封を解かれた小さな瓶だ。
朝廷が物資として用意した貴重な薬であり、時折高子が何やら力を込めていたもの。
兵たちが、おれの傷に薬を塗っていくと、その瞬間、傷が、瞬く間に癒えていく。
痛みが消え、出血も止まり、鬼が為した再生のように傷さえも消えてゆく。
「これは……凄まじいものだな」
おれは、驚愕した。なんという効果だ。
これまで何度か似たような薬を使った事はあるが、これほどまでに効果が高いのは初めてだった。
阿弖流為殿も、同じ薬を塗られて、湧き上がる活力に、目を見開いていた。
「田村麻呂殿……この薬は……」
「魔穴……いや、神域から得られる薬だ。そのうえ、高子が効用を高めてくれたらしい」
おれは、答えつつ、瞠目する。
またしても、高子の助けだ。
(感謝してもし切れん……)
おれは、心の中で呟いた。
こうして、体勢を立て直したおれと阿弖流為殿。
だが、同時に、未だ倒れない鬼を見て、表情を曇らせた。
結局、これまで多くの傷を鬼に負わせたが、その一切が、再生されていたのだ。
今も、射かけられた矢で全身を貫かれているが、悉く再生をしている。
また、内に取り込んだ瘴気の量が多いのか、術師たちが浄化を試みても、再生が衰える気配がない。
(やはり……神器の分け御霊が必要なのか)
おれは、歯噛みした。
その時だ。
「田村麻呂様!」
空から、おれを呼ぶ声が聞こえた。
聞き慣れた、愛しい声。
見上げると、太陽を背にした鳥の群れがおれの目に映った。
白い鶴の式神。
その上に乗るのは、高子と護衛たちだ。
「高子……!」
おれは、戦場でありながら、喜色を浮かべるのを押さえられない。
高子が、式神を降下させ、おれの元に、降り立った。
その目には、涙が浮かんでいる。
高子が、おれの名を呼ぶ。
「田村麻呂様……!」
「よくぞ、間に合ってくれた……!」
おれは、高子に駆け寄った。
阿弖流為殿や兵たちも、高子の到着に安堵の表情を浮かべている。
「高子殿、よく来てくれた」
阿弖流為殿も、感謝の言葉を述べる。
高子も、再会を喜びたいのだろう。
だが、彼女は表情を引き締めた。
「田村麻呂様、神器の分け御霊を、再び託したく思います」
高子が、凛とした声で言う。
おれは、頷いた。
そして、愛用の剣を掲げる。
高子は、携えた光の珠を、剣に触れさせた。
その瞬間、剣が光を放ち始め、変容していく。
かつて、鈴鹿の山で降臨した神剣、天羽々斬の姿へと。
「これは……」
おれは、その圧倒的な力を、感じ取っていた。
あの鈴鹿の山で感じたのと同じ、圧倒的な神気を。
更に高子は、続けた。
「阿弖流為殿も、弓をかざしてください」
「オレもか……?」
阿弖流為殿が、戸惑いながらも、弓をかざす。
高子は、別の光の珠を、その弓に触れさせた。
すると弓は、輝きを内に秘めた神弓へと変容したのだ。
阿弖流為殿が、驚愕する。
「これは……なんという……」
「これなるは、天之麻迦古弓。神弓です」
高子が、説明する。
「怪異の長たちを倒すまで、この地を守る意志ある者に託します」
「……分かった。この力、確かに受け取ろう」
阿弖流為殿は、高子の様子に驚きつつも、それを受け入れるようだ。
おそらく、高子がただならぬ者であると、阿弖流為殿も察した事だろう。
さらに、高子は、己が使うひとりでに動く二本の剣にも、光の珠を近づける。
二本の剣も、神々しい光を纏った。
そして、高子は、おれたちに告げた。
「あの鬼のような怪異の長が、今四体います」
「四体……」
おれは、呟いた。
阿弖流為殿もまた、告げられた言葉に眉根を寄せる。
「突風を操るあの鬼、大岳丸。雷を操る大猛丸。豪雨を操る大武丸。そして、全ての怪異の王、悪路王が」
高子の言葉に、おれたちは息を呑んだ。
薄々は感じていたものの、あのような鬼がそれほどにいるとは。
しかし、怖れが浮かびそうなものだというのに、おれはむしろ戦意が高まるのを感じていた。
それは、この手の中にある神器がもたらす物であろうか?
「その全てを倒すまで、これらの神器は、お二方に貸し与えられたのです」
その言葉に、おれたちは察した。
四匹の怪異の長を対処するには、四つの神器が必要なのだ。
だから、高子も自分の剣を強化し、阿弖流為殿にも神器を授けたのだと。
おれは、納得し、そして、天羽々斬を手に、鬼へと視線を向ける。
四方から射かけられ、次々に襲いかかる式神に、動きを封じられている鬼……いや、大岳丸か。
傷こそ再生するものの、最早、敵ではなかった。
おれは、大きく上段に神器を構えた。
全身の力を、この一撃に込める。
一方で大岳丸もおれの姿を見て何か察したのか、暴れ様を激しくするも……もはや手遅れだ。
そして……。
「はああああああっ!!!」
おれは裂帛の気合と共に、天羽々斬を振り下ろした!
その瞬間、天が、割れた。
かつて鈴鹿の山で為したような、嵐さえ切り伏せる一撃。
天空の雲さえ切り開きながら、鬼へと光の刃が天より降り注ぐ。
斬ッ!!!
「っ!???!??」
まとわりつかれた式神ごと、脳天から真っ二つに唐竹割りにされた大岳丸。
余りの威力に、悲鳴すら形にならない。
さらに、その斬撃に込められた神気が、再生など許さずに内側から瘴気を浄化する。
数瞬後、鬼の身体が、光の中に溶けるように消滅していった。
跡形もなく、大岳丸は消滅したのだ。
残されたのは、神器の一撃に吹き飛ばされ、墓標のように突き立った金棒だけ。
そのあまりの凄まじさに、朝廷の兵も、蝦夷の戦士たちも、声を失っていた。
おれは、天羽々斬を振り上げ、そして、叫んだ。
「勝ったぞ! 我らの勝利だ!」
その声に、兵たちが我に返った。
「勝った……!」
「俺たちが勝ったんだ!」
歓声が、上がる。
兵たちが、戦友たちと抱き合い、無事を祝い合う。
朝廷の兵も、蝦夷の戦士たちも、共に喜んでいる。
その様子に、おれはこの地の未来を見た。
朝廷と蝦夷が、共に手を取り合う。
その第一歩を、ここで踏み出したのだ。
「田村麻呂様」
「ああ、高子。お前のおかげだ」
高子が、おれの隣に立つ。
おれは、その手を取った。
高子が、微笑む。
そこには深い安堵の色が見えた。
きっと、俺も同じような表情を浮かべているのだろう。
「いえ、貴方様が、耐え抜いてくださったからです」
「……だが、まだ終わりではないな」
阿弖流為殿が、神弓を見つめながら言った。
おれは、頷いた。
「ああ。残り三体の怪異の長が、いる」
「だが、今日の勝利が、我らに希望を与えた」
おれは、兵たちを見渡した。
「この勝利を、糧にしよう。そして、次の戦いも、必ず勝つ」
「おおおおっ!」
おれの言葉に、兵たちが応える。
歓声が、胆沢の地に響き渡った。
おれは、天羽々斬を鞘に収める。
変容していた筈の刀身がそのまま収まった事に、不思議さを感じながら、おれは高子と、阿弖流為殿たち共に、この勝利の余韻に浸った。
次の戦いもまた、厳しいものになるだろう。
だが、おれたちは、必ず勝つ……この地を守るために。
朝廷と蝦夷の、未来のために。
おれは、そう誓ったのだった。




