奥州霊異譚 第三幕 胆沢の戦い 序
【三善高子】
次の日、田村麻呂様と阿弖流為殿が軍議をしている場に、私は姿を現しました。
陣幕の中では、お二人が地図を広げて、今後の作戦を話し合っていらっしゃいます。
田村麻呂様が、驚いた顔で私を見ました。
その顔を見るだけで、私の心は安らぎます。
ああ、この方を守りたい。
「高子? どうした?」
「貴方様、阿弖流為殿、お話があります」
私は、お二人に向かって、深く礼をしました。
「各地の怪異に、長の様なものが現れた事、御存じでしょうか?」
「ああ、その事で今話している。動きがただの群れから統制された軍になりつつあるとな」
やはり、この方も気づいておられた。
であれば、話は早いというものです。
「その各地の怪異の長を倒すのであれば、ただ兵を差し向けるだけでは足りないでしょう……田村麻呂様、鈴鹿の山を思い出してくださいまし」
「鈴鹿の山……もしや!」
「ええ、怪異の長とは、あのようなモノでありましょう」
私がお伝えすると、田村麻呂様は瞠目されました。
あの恐るべき鬼を思い出されているのでしょう。
「故に、此度も神器が必要かと思われます」
「神器……? 鈴鹿の山……?」
阿弖流為殿が、興味深そうに訊ねられました。
「はい。かつて、鈴鹿山で大嶽丸を討った際、田村麻呂様に貸した神器の分け御霊です」
私は、あの時のことを思い出します。
大嶽丸との戦い。
田村麻呂様が、神器を手に勇敢に戦われた姿。
あの時も、私は心配で心配で仕方ありませんでした。
「ですが、それを作り上げるには、霊山にある……」
私は、言葉を選びます。
ダンジョン、という言葉は、彼らには通じないでしょう。
「霊山にある、魔穴。その最奥、魔力の満ちた場所に赴く必要があります」
私は、内心でダンジョンと呼んでいる場所を、そう説明しました。
田村麻呂様が、理解を示してくださり、頷かれます。
「魔力の満ちた場所……神域の奥か」
「ええ、精錬かつ濃厚な魔力があってこそ、私でも神器の分け御霊を作り上げることができるのです」
私は、真摯に言いました。
実際、神器の分け御霊を作るには、膨大な魔力が必要なのです。
私一人の力では、どうしても足りません。
ですが、ダンジョンの魔力を借りれば、可能になります。
「ですから、霊山の神域に赴くことを、お許しください」
「分かった。これは高子にしか頼めぬ事であろう……護衛も付けよう」
田村麻呂様は、少し考えられましたが、直ぐに首肯してくださいました。
そして、副将をお呼びになろうとした……その時です。
「阿弖流為殿!」
蝦夷の民が、慌てた様子で駆け込んできたのです。
その顔は蒼白で、ただならぬ様子。
何事かと視線を向けた御二方に、その民はこう叫んだのです。
「急報です! 胆沢の地に、怪異の群れが襲来しています!」
「なんだと!?」
阿弖流為殿が、勢いよく立ち上がられました。
「さらに、その群れを率いるのは、巨大な鬼だと……! 至急お戻りを!!」
兵の報告に、場が凍りつきました。
胆沢は、阿弖流為殿の本拠です。
あの方の民が、そこにいらっしゃるのです。
「……オレは、行く。オレの民を、守らねばならん」
阿弖流為殿が、田村麻呂様を見て、低く、ですが確固とした声でおっしゃいました。
そのまま陣幕を飛び出さん勢いの阿弖流為様の背に、田村麻呂様は叫ばれます。
「阿弖流為殿! こちらも直ぐに兵とまとめ、向かう!」
「田村麻呂殿……」
阿弖流為殿が、田村麻呂様を振り返られました。。
その目には、感謝の色があります。
「共闘の約定を交わした以上、当然のことだ」
田村麻呂様は、力強くおっしゃいました。
一つ頷いた阿弖流為様は外へと駆けてゆかれました。
残された田村麻呂様も、戦支度にとりかかられます。
そして、私を振り返ったのです。
その瞳に、私は心を奪われました。
真っ直ぐで、優しくて、強い瞳。
「高子、お前には、先に言ったように護衛を付ける。そして、分け御霊を、頼む!」
「貴方様……お任せくださいませ」
「おれたちが、時間を稼ぐ。神器の分け御霊がもたらされるまで、必ず耐えてみせる」
田村麻呂様は、私の肩に手を置かれました。
その手の温もりが、私を満たします。
ですが、私が力を尽くさなければ、この温もりも失われてしまう……!
「頼むぞ、高子」
「必ず間に合わせます。貴方様のために」
私は、田村麻呂様の手を握りました。
「どうか、ご無事で」
「ああ。約束する」
田村麻呂様は、優しく微笑まれました。
その笑顔を、私は心に刻みます。
私たちは、それぞれの道を進むことになったのです。
田村麻呂様と阿弖流為殿は、胆沢へ。
私は、霊山のダンジョンへ。
急ぎ準備を整えた私は、護衛の術者たちと共に、霊山へ向かいました。
馬に乗り、全速力で駆けます。
一刻も早く、神器を作り上げなければなりません。
田村麻呂様が、待っていらっしゃるのです。
(田村麻呂様、どうか無事で……)
私は、祈りながら、霊山への道を急ぎました。
貴方様を、必ず守ってみせます。
私の全てを賭けて。
【阿弖流為】
オレは、急ぎ胆沢の地へ駆けていた。
同時に、軍議の共に連れていた選りすぐりの戦士たちの何人かを、伝令として各地の村に送る。
オレの胆沢の地への襲撃は脅威だが、恐らくはそれだけではあるまい。
この最近の怪異たちの動きの妖しさに、オレと田村麻呂殿は大規模な攻勢が在り得ると予想していたのだ。
奇しくも怪異たちに先手を取られその予測が正しかったと証明されてしまった。
しかし、同時に、一種の確信がある。
襲撃が一カ所だけではあるまいと。
胆沢の地を襲撃したのは、恐らく初手。
この襲撃に釣られ、各地より援軍を送ろうものなら、その隙を怪異共は突きかねない。
そのような動きもまた、田村麻呂殿は読んでおられた。
だが……。
(首魁たる怪異は、田村麻呂殿をして、尋常ならざる手を使わねばならぬ相手か……)
あの巫女殿が言うには、かつて田村麻呂殿がその様な怪異の同類を倒した折、特別な力が必要だったと語っていた。
その力を、この地でも用意しなければならぬと。
(あの武で倒せぬ怪異とは!)
暫く共闘するうちに、田村麻呂殿の武の凄まじさは、十分に理解している。
軍であろうと、将であろうと、田村麻呂殿が斃せぬものなど想像もつかぬ。
オレ自身、もし田村麻呂殿に挑もうものなら、どれほど持つか……。
共闘を選ばず、ただ朝廷の軍を迎撃していたのならば、どうなっていた事か。
そんな想いと共に、全速力で山野を駆け抜ける。
馬を駆り、険しい山道も厭わず、オレたちは最短距離を突き進んだ。
幸い、オレたちは軽装で、少数精鋭だ。
故に、速い。
田村麻呂殿は、大軍を率いているため、胆沢の地にたどり着くまで、時間がかかるだろう。
オレたちが先に到着し、何とか持ちこたえなければならない。
(待っていろ、オレの民よ)
オレは、歯を食いしばって馬を駆った。
そして、集落が見えてきたとき、オレは目を見開いた。
「これは……!」
怪異の群れが、集落を取り囲んでいた。
その数は、百を超える……いや、更に後続も居るか。
黒い靄を纏った怪異たちが蠢いて、集落にとりつかんと攻め寄せている。
対して、集落側は良く守っていた。
留守を任せていた母禮が、戦士たちを率いて防衛を指揮している。
奇妙なことに、怪異たちは、集落に踏み込めずにいた。
集落を何重にも取り囲む、怪異や朝廷対策の柵や濠に、奴らは阻まれている。
しかしそれ以上に、集落に近寄るほどにその動きが鈍るのだ。
「何故だ……? いや、まさか……」
訝しげに呟くも、オレはすぐに理解した。
(巫女殿の、浄化か!)
集落の中心には神社があり、そこから、清浄な力が放たれているのが見える。
いや、見えるというより、感じ取れた。
神域の力が、以前よりも遥かに強くなっている。
それが、怪異たちを寄せ付けないのだ。
(あの巫女殿を連れてきた、田村麻呂殿に感謝せねばならんな)
オレは、心の中で頷いた。
巫女殿がいなければ、今頃この集落は、怪異に蹂躙されていただろう。
そして、戦士たちに命じる。
「突撃するぞ! 怪異の横腹を突く!」
「おう!」
戦士たちが、雄叫びを上げる。
オレたちは、怪異の群れに横から突撃した。
「うおおおおっ!!!」
オレは、素早く矢を放つ。
無数の隼の如き矢が、怪異共のの首を次々に貫いた。
崩れ落ちた怪異から、黒い靄が、消えていく。
後続の戦士たちも、次々と怪異を討ち取っていく。
「死ね、化け物め!」
「オレたちの土地を荒らすな!」
戦士たちの声が、響く。
瘴気で凶暴化しているとはいえ、横合いから攻められては、混乱するしかない。
怪異たちは、右往左往している。
方向感覚を失い、仲間同士でぶつかり合い、混乱しているのか同士討ちを始める者さえいた。
(よし、このまま……!)
オレは、さらに矢を放たんとした……その時だ。
ゴォォォォォッ!
後方から、低く、だが圧倒的な吠え声が響いた。
その瞬間、怪異たちの動きが、一変する。
混乱していた怪異たちが、ピタリと動きを止め、そして、一斉に統制されたのだ。
(恐怖が、混乱を上回った……いや、恐怖以上のもの、か?)
絶対的な服従。
「何だ……?」
オレは、畏怖を感じながら、吠え声の源を探した。
戦士たちも、動きを止めている。
あの吠え声には、それだけの力があった。
そして、見つけた。
怪異たちが担ぐ、輿のようなもの。
いや、玉座と言うべきか。
骨で作られた、禍々しい玉座。
その上に、巨大な鬼が、座っていた。
馬に乗っていたとしても、見上げるであろう、巨躯。
赤黒い肌に、鋭く長い角が二本。
筋肉は盛り上がり、まるで岩のようだ。
そしてその目は、歪んだ知性を宿していた。
ただの怪異では、断じてない。
明確な意思を持ち、戦略を練り、配下を率いる、怪異の将。
その様な者が、この怪異たちを率いている。
(これが……怪異の長か)
オレは、直感した。
この襲撃を仕掛けたのは、この鬼だ。
そして、この鬼こそが、オレたちが倒さねばならない、最初の強敵だった。
鬼は、ゆっくりとオレたちを見下ろし……いや、見下していた。
その視線には、侮蔑と、そして戦意がある。
(来るか……!)
オレは斧を構え直し、戦士たちも身構える。
だが、怪異の長の行動は、オレの想像を超えていた。
玉座に座わったまま、巨躯の鬼はおもむろに天へと手を突き上げたのだ。
「っ!???」
轟!!!!
その瞬間、天が落ちて来た。
更に、視界が回り、おれは地を丸太の様に転がされている。
(一体何が起こったのか!?)
慌てて飛び起きると、蝦夷の戦士たちと、前線の怪異たちが、まとめて放射状に倒れ伏していた。
(まさか、これをあの鬼がやったというのか……)
未だ見下すような鬼を身を起こしつつ睨みつけながら、オレは何をされたのか、ようやく理解する。
天が落ちてきた、そう思ったのは、あながち間違いではない。
そう思うような上からたたきつける様な風が、オレも兵達もまとめて押しつぶしたのだ!
更に、地に吹き付けた風が、その勢いのまま四方に散らばり、オレ達は木っ端を散らすかのように吹き飛ばした。
(これが……これが怪異の長というモノか!!)
田村麻呂殿でさえ神器の力を借りねば倒せなかったという、バケモノ。
その力を前に、オレは恐怖が湧き上がるのを、必死に押さえ続けねばならなかった。




