第四のお客様:ゴブリンたちと大鍋カレー ―仲間と分け合うごちそう―
本日の仕込み:
・玉ねぎを山ほど
・骨付きの鶏ガラ
・干した唐辛子を一本
・香草を刻んで布袋に
・米を特大の釜で炊いておく
……大鍋で煮れば、匂いに誘われて誰かがやって来るかもしれない。
朝から玉ねぎを刻んでいた。
五玉、六玉と切るうちに、目の奥が熱くなる。涙が出るのは包丁のせいだ。
油を引いた特大鍋に投げ込み、木べらで押し広げると「じゅう」と甘い匂いが立ち上る。
飴色になるまで、気長に火を入れる。これがカレーの軸になる。
鶏ガラを大鍋に沈め、弱火でじっくり煮る。
骨から出る出汁は、脂の膜を張りながら澄んでいく。
にんじんと芋を加え、香草を布袋に詰めて放り込むと、厨房いっぱいに旨みの匂いが広がった。
――ちょうどその頃だった。
扉が「からん」と鳴る。
一度では済まない。わらわらと十五人、ぞろぞろ雪崩れ込んでくる。
「おーい! ここだ!」
「ほんとに人間の店かよ!」
「腹減ったー!」
「静かにしろよ!めいわくだろ!」
「でも匂いすげー! 腹がかってに鳴る!」
耳まで赤くした小柄な一人が、えへへと笑う。
その前に立つ、大きめのゴブリンが胸を張った。
耳につけた安っぽい鉄のピアスが、灯りを受けてキラリと光る。
「宴がしたいんだ!みんなで騒いで、笑って、腹いっぱい食ってさ!!」
俺は頷いた。
大鍋の中で煮込みがぐつぐつと泡を立て、答えるように香りを強める。
「なら、ちょうどいい」
俺は鍋の蓋を上げた。
もわりと湯気があふれ、スパイスの匂いが鼻をつく。
十五の影がいっせいに息を呑み、目を輝かせた。
米を特大の釜で炊き、大きな卓に木の大皿を並べる。
その上から、とろりとしたカレーを滝のようにかける。
黄金色の汁が米に沁み、芋と肉の塊がごろりと転がった。
匙を何本も放り出すと、手がいっせいに伸びた。
「でけえ!」
「まるで祭りじゃねえか!」
「肉は俺のだ! 返せ!」
「にんじん甘っ!」
「か、からっ! 舌が燃える!」
「でもうめえ! 止まんねえ!」
「水! 水くれ!」
「お前こぼすなー!」
「わはははは」
笑い声が重なり、狭い食堂は宴会場になった。
皿を囲み、頬をふくらませ、汁を垂らしながら笑い合う。
お調子者がむせ、気弱なのが背中を叩き、仲間が腹を抱えて笑った。
俺はカウンター越しにその光景を眺めていた。
戦場では見られなかった顔。
魔物の牙が、ただ笑いの形になる瞬間。
わいわいとした声は、狭い食堂を満たす。人間の宴と何も違いはない。
皿を囲んで笑い転げる声を聞いていると、胸の奥に、いつかの笑い声がかすかに重なった。
大鍋はあっという間に空になった。
米粒一つ残らず、皿の端まで舐め尽くし、十五の腹が膨らむ。
「うぷ……もう食えねえ……」
「俺の腹、破裂する……」
「でもまだ匂いする! もうひと口……いや無理!」
「お前さっき五回おかわりしたろ!」
「ははは、見ろよ、みんな転がってやがる!」
土間にごろんと転がり、腹を叩いて笑う。
小さな宴は、満腹の呻き声と笑い声で締めくくられた。
やがて笑いも落ち着き、息を整えたリーダー格のゴブリンが、ゆっくりと身を起こした。
額の汗を拭い、深く息を吐いてから俺を見た。
「……なあ、人間。また来てもいいか?」
俺は答えなかった。
返せる言葉を探すより早く、胸の奥に冷たいものが沈んだからだ。
彼らが次に腹を空かせて来る日が、訪れるかどうか――わからない。
布巾で皿を拭きながら、小さく呟いた。
「……また腹が減ったら、来い」
十五の顔がいっせいに笑い、外の夕闇へ散っていった。
「うまかったー!」
「腹が幸せだー!」
「今夜は夢でも食える!」
「こんなの初めてだ!」
「肉も芋も甘ぇ!」
「舌がまだ熱い!」
「腹が丸い!」
「でも気持ちいい!」
「俺、明日も食いたい!」
「オレも!」
「オレもだ!」
「人間の鍋、すげーぞ!」
「腹の中で祭りがやってる!」
「おれ、もう動けねー」
「帰ったら仲間に自慢してやる!」
わいわいと名残惜しげに叫びながら、影は闇に溶けていった。
皿を囲んで笑い転げる声を聞いていると、胸の奥に、もう帰ってこない笑い声がかすかに重なった。
残ったのは、香辛料の匂いと、笑い声の余韻だけだった。
――
外では夜風が強くなり、遠くで角笛が鳴った。
その音は戦いの合図かもしれない。
だが俺の店に響いていたのは、さっきまでの笑い声の残響だった。
しばらくして、若い冒険者たちが、疲れた足取りでドタドタと入ってきた。
「あー! 疲れた!! オヤジ! 酒をくれ!!」
「腹も空っぽだ。飯もくれ」
「……ん? この匂いはカレーか?」
「いいね! カレーの口になってきた。オヤジ、カレーくれ!!!」
「おうよ」
俺は特大鍋の底をさらい、残っていたルーを温め直した。
玉ねぎの甘さがまだ香っている。
「おい、聞いたか? さっきの討伐」
「すげぇいたぞ。でけえ巣だったな」
「全部やったのか?」
「いや、何匹か逃げたらしい」
「ふん、またすぐ狩られるさ」
「証拠は持ってきた。明日ギルドに出すぞ」
笑い声とともに、背負っていた革袋が足元に落ちる。
口がほどけ、湿った音を立てて数枚の耳が覗いた。
その中に――安っぽい鉄のピアスが、灯りを受けてきらりと光った。
冒険者たちは気づかず、カレーをがつがつ掻き込み、酒をあおる。
「うめえ! オヤジの店の飯はやっぱ違う!」
「辛っ……でも最高だ!」
「戦の後はこれに限る!」
俺は黙って皿を拭き、火を落とした。
笑い声が店の中に響く。
だが耳の奥には、さっきまで土間で転がっていたゴブリンたちの笑い声が、まだ残っていた。
――同じ鍋を囲んだ笑い声なのに、片方はもう戻らない。
俺は視線を落とし、布巾を握り直した。
――
看板の端に、小さな字で書き足す。
「仲間と分ける皿も、歓迎」
墨が木目に沁み、夜風に乾いていく。
あのゴブリンたちが、もう一度この字を読みに来られる日があるかどうか――それは、神のみぞ知ることだ。
俺はただ、次の客に備えて玉ねぎをまた刻む。
涙が出るのは、包丁のせい。今日も、きっとそうだ。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
次回は サキュバスとフルーツサンド の物語。
妖艶な姿の彼女が望んだのは、どんな願いなのでしょうか。
金曜日のおやつの時間、お腹がすいたら遊びに来てください。




