新型艦上戦闘機
1939年7月21日、大日本帝国岐阜県稲葉郡那加町各務原空軍基地。そこに黒崎妖華総理、石原莞爾国防大臣、風間麗子皇軍統合作戦司令本部総長、高橋知里連合艦隊司令長官、その他幹部陣が訪れていた。全員が一様に空を見つめ、そこでは模擬空戦が行われていた。1機は現役配備されている九六式艦上戦闘機だが、その相手は全く異なる姿をしていた。
九六式艦上戦闘機の主脚は固定脚であるが、相手は引き込み式であった。それは九六式艦上戦闘機と違い空気抵抗を削減する為に主脚及び尾輪を機体内へ引き込むという、空戦により優位性を確立する為の設計思想だったのである。
そしてそれは見事に発揮され九六式艦上戦闘機の背後に華麗に回り込むと、即座に撃墜判定を得ていた。華麗な機体の動きは格闘性能が高い証拠であった。その後新型機は滑走路に着陸し、黒崎総理達の前に停まった。
そしてそこに設計者である堀越二郎以下、開発担当である三菱重工の関係者も集まって来た。そこで黒崎総理達にこの新型戦闘機が『A6M十二試艦上戦闘機』だと説明された。まだ仮称であり正式名称は制式採用後になる予定だった。
堀越技師が説明を行ったが、十二試艦上戦闘機は九六式艦上戦闘機の欠点である格闘性能が大幅に向上していた。それを可能にしたのが1300馬力を発揮する新型エンジンと、新型合金である超々ジュラルミンであった。これにより機体構造を強化し九六式艦上戦闘機よりも強固な防弾装甲を備えながらも、機体合金が今迄に無い軽量でありながら従来通りかそれ以上の強度を有する超々ジュラルミンの実用化、そして九六式艦上戦闘機の900馬力を大幅に上回る1300馬力の大馬力エンジンが全てを裏付けていた。
そのおかげで武装も強化され、新型の20ミリ機関砲が搭載された。従来通りの13ミリ機銃は、搭載弾薬が増加される事になった。最高速度も550キロになり航続距離に至っては3500キロと、九六式艦上戦闘機の1350キロを倍以上も上回る航続距離を誇った。
格闘性能・防弾装甲・速度・航続距離の全てが向上し、それは即ち制空権の確保が万全なものになるという事であった。というよりもそれを目指したのが十二試艦上戦闘機だったのである。その高性能さを目の当たりにした黒崎総理は、実用化を加速させるように命令したのだった。




