追い込み
1939年7月20日、中華民国首都重慶。大日本帝国の侵攻を受け劣勢になっている中華民国首都重慶に於いて、突如として同時多発的な爆発が起きた。それは狙いすましたようにインフラ設備に集中しており、破壊工作としては完璧なものであった。
駅の爆発は徹底的なものであり、駅舎や線路・分岐点等がピンポイントで破壊されていた。これ程までに大規模で徹底的な破壊工作は、大日本帝国皇軍戦略情報局にしか成し遂げられない事であり、一報を聞いた蒋介石首席は首謀者は分かっていたが先に被害状況の確認を命令した。だが内心では皇軍戦略情報局が行った破壊工作であり、被害は計り知れないと思っていた。
そしてその後開催かれた対策会議で破壊工作の被害についての報告が行われた。その被害は蒋介石首席の想像通りであり、重慶に於けるインフラ設備は壊滅状態となっていた。更に深刻なのがこれにより重慶は陸の孤島とも呼べる状態になり、中華民国の中に孤立してしまったのだ。
それこそがまさに大日本帝国の狙いだったのである。重慶の地理的状況は四川盆地にあり、大河や山脈に囲まれた位置にあった。その為に交通インフラを破壊すれば、重慶は天然の要害に孤立する事になるのだ。
報告を聞いた蒋介石首席や政府首脳陣は、その事態を察知し表情を曇らせた。重慶が孤立したとなると前線部隊への指揮系統が機能せず、そして双方向に物資が途絶するという事だった。そうなれば前線部隊は物資が豊富な大日本帝国に降伏するのは確実であり、重慶に残され孤立した蒋介石首席達は指揮系統も途絶している為にただ事態を静観するしか手段は無かった。
だが既に孤立という最悪の事態に重慶は陥っていた。そんな状況にある事から蒋介石首席の立場は、ますます追い詰められる事になった。このような事から政府首脳陣は、蒋介石首席に対して今後の対応を迫った。
何せ大日本帝国の降伏勧告を黙認した事から、西安と武漢が同時攻撃を受け占領されていた。それに加えて空襲も各地で激化しており、戦争継続そのものが困難になっていた。そこに追い打ちをかけるように重慶が孤立するという事態になった。だが蒋介石首席はまだ戦える、と断言したのである。
その言葉に誰もが驚いた。しかしだからといってどうにか出来る訳でも無かった。何せ重慶は孤立したのだ。クーデターをしようにも出来る兵力がいないのも事実だった。その為に対策会議はただ無意味な時間を刻んでいくだけとなった。




