中華民国降伏勧告
1939年7月15日、大日本帝国帝都東京首相官邸では黒崎妖華総理による国民と中華民国への演説が行われた。それはラジオによる大日本帝国全土への生放送のみならず、史上初のテレビによる生放送も同時に行われた。ラジオは大量生産により一般家庭でも日用家電として普及していたが、テレビは大日本帝国に於いても一般的では無かった。
その最大の理由が電波であった。ラジオの電波は『中波』で波長が長い為に、山や建物の裏に回り込むのである。それに対してテレビの電波は『超短波』で光と同じように、直線でしか飛ばないのだ。そうなると地球が丸い惑星である以上は、数十キロ離れると届かなくなってしまうのだ。その為にテレビ放送の為には大日本帝国全土に電波塔を乱立させる必要があった。
そして帝都東京や大阪等の大都市圏では高層ビルの屋上に電波塔を建設された。更に都市圏近郊に電波を届ける為に300メートル前後の、拠点となる巨大電波塔の建設まで構想された。だがテレビに関してはそもそもの量産がされていない事から、そのペースは鈍化していた。
そうなるとテレビの普及事態にも影響が出て、大都市圏の高所得者や国鉄主要駅にしか設置されなかった。そうこうしていると第二次世界大戦勃発により、民間消費財の生産が停止され軍需品生産が最優先とされ大日本帝国全土に於けるテレビ生放送は、第二次世界大戦終結後まで待たなければならなかった。だが一部とはいえ普及はしている為に、ラジオとテレビによる同時生放送となったのである。
黒崎総理は結論から述べた。中華民国に対して降伏勧告をしたのだ。現状でも大規模な侵攻が続いており、既に中華民国は沿岸部を全て大日本帝国により占領されていた。その包囲網は日に日に狭まっており、武漢と西安への攻撃も数日以内に開始されると黒崎総理は断言した。
逃げ込んだ重慶にも昆明を占領した部隊が進撃を続けており、これ以上の戦争継続は中華民国という国家に対しても国民に対しても不利益が大き過ぎる、と語った。それは占領地域での統治体制からみても、明白だった。何せ占領地域では大日本帝国の方針により、食糧支援や医療支援を行い農村部等の地方部では圧倒的な支持を大日本帝国は受けていた。
都市部でさえも中華民国支配下よりも安定性があるとして、支持されていたのだ。そして黒崎総理は中華民国に対して無条件降伏を受け入れ、全面的な占領統治を受け入れるように語った。そしてその期限として48時間を設定し、それまでに無条件降伏を受け入れなければ圧倒的なる攻撃を開始すると宣言したのだ。
最後に黒崎総理は、これ以後如何なる事態になろうとも中華民国に全面的な責任があると付け加えた。




