長期戦
1939年7月10日、第二神聖ローマ帝国帝都ベルリンの国防軍最高司令部ではヒトラー首相が作戦会議を開催していた。上座の国防軍最高司令部大元帥席には皇帝ヴィルヘルム3世が座っており、政府首脳陣と第二神聖ローマ帝国国防軍首脳陣の全員が参加する大規模なものになっていた。これ程の規模の作戦会議は1939年4月27日の、バルバロッサ作戦立案の時以来であった。
第二神聖ローマ帝国によるロシア帝国侵攻は、予想以上に難航していた。バルバロッサ作戦での想定では既に東経37度線まで、各軍集団は侵攻している筈だった。だが北方軍集団はようやくサンクトペテルブルクを陥落させたばかりであり、中央軍集団はベラルーシ地方をようやく制圧しスモレンスクに向かって出撃準備中、南方軍集団はウクライナ地方を制圧しただけでバクー油田制圧はまだ遙か先の目標だった。
その進捗の遅さにヒトラー首相は国防軍首脳陣を叱責していた。何せこのバルバロッサ作戦をヒトラー首相は第一次世界大戦のリベンジとしており、皇帝ヴィルヘルム3世の父親であるヴィルヘルム2世の名誉挽回も兼ねていた。だがロシア帝国侵攻は長期戦になっていたのである。その最大の理由は物理的な『距離』と『インフラ』の壁だった。第二神聖ローマ帝国軍は、西欧諸国で見せた『電撃戦』がロシア帝国でも通用すると考えていたが、ロシア帝国の広大さは次元が違ったのである。
その結果としてまずは補給兵站線兵站が崩壊したのだ。進撃スピードが速すぎて食料・燃料・弾薬の補給が追いつかなかった。
そして道路の未整備も侵攻ペースを遅らせた。西欧地域と違いロシア帝国の道路は未舗装が多く、雨が降ると泥濘と呼ばれる底なし沼のような状態になり、車輌そのものが動けなくなったのである。これはそもそもの領土が広大であるのと、防衛によるロシア帝国の戦略でもあった。
そして最大の理由が鉄道規格の違いだった。ロシア帝国の線路は第二神聖ローマ帝国と幅(軌間)が異なっていたため、第二神聖ローマ帝国の列車をそのまま走らせることができず、物資輸送に致命的な遅れが生じたのだ。
更にロシア帝国軍の『粘り強さ』と『物量』が異常であった。第二神聖ローマ帝国軍はロシア帝国軍を『弱小』と過小評価していたが、実際には驚異的な継戦能力を持っていたのだ。無尽蔵の動員力とも呼べるものがあり、神聖ローマ帝国軍が数個師団を壊滅させても、ロシア帝国軍は後方から次々と新しい部隊を送り込んできていた。
そして徹底的な焦土作戦を行いロシア帝国軍は撤退する際に家屋や食料、インフラをすべて焼き払った。第二神聖ローマ帝国軍は現地で食料や住居を調達できず、疲弊した。
そして戦略的なミスの最大のものはヒトラー首相の介入だった。軍事的な合理性よりもヒトラー首相の政治的・経済的な執着が判断を鈍らせました。それがそもそもの目標の分散だった帝都サンクトペテルブルクのみを最優先にすべきという将軍たちの意見に対し、ヒトラー首相は穀倉地帯のウクライナや資源豊富なコーカサス地方、さらにはモスクワへの同時進攻を命じたため、兵力が分散してしまったのだ。
一言で言えば第二神聖ローマ帝国は『短期決戦』の準備しかしていなかったのに対し、ロシア帝国は『地獄のような長期戦』に耐えうる土壌・広さ・覚悟を持ち、そして大日本帝国という最大の支援者がいたのだ。
その為に国防軍首脳陣はヒトラー首相に無意味な叱責を受け、気を引き締めてロシア帝国侵攻のペースを上げるように厳命されたのであった。




