戦争特需2
1939年6月12日、黒崎妖華総理以下閣僚達はそれぞれが各地に移動し起工式に参列していた。起工式は第二次世界大戦勃発により策定した『戦時急造第七次軍備拡張三カ年計画』による艦船のものであった。その計画は第二次世界大戦勃発後少ししてから、黒崎総理直々の命令で立案されたものであった。
国防省と皇軍統合作戦司令本部は、第二次世界大戦勃発直後に陸軍と空軍・海軍航空機の大量生産体制拡大と新型の開発を大規模に加速させる事を決定し、即座に戦時計画として立案を行い実施していた。だが海軍連合艦隊の艦艇に関しては第六次軍備拡張三カ年計画が終了した直後でありしかも第六次軍備拡張三カ年計画で大日本帝国海軍が量産した超弩級戦艦に、世界枢軸同盟が対抗して建造した超弩級戦艦を凌ぐ事を目標にして更なる超巨大戦艦を計画外で建造していた。
その為に当事者の海軍軍令部と連合艦隊司令部が戦時計画としての艦艇建造は求めていなかったのだ。何せ戦艦64隻・正規空母20隻・軽空母20隻・打撃巡洋艦220隻・巡洋艦380隻・駆逐艦840隻・潜水艦120隻・海防艦1020隻・工作艦128隻・補給艦164隻・潜水母艦42隻・水上機母艦62隻・上陸用舟艇母艦220隻・機動揚陸艦120隻の合計3420隻という艦艇数を誇る、世界最大の海軍だったのだ。だが黒崎総理が直々に指摘した。世界枢軸同盟が大軍拡を行っている為に、過去の戦争以上に被害が予想される事と、連合国各国への軍事援助に艦艇も行うべきだとした。
つまり黒崎総理は損耗の補充用と、連合国各国への軍事援助用としての艦艇建造を命令し、海軍の戦時計画が立案された。これにより超弩級戦艦天照級・装甲空母雲龍級・軽空母千歳級・打撃巡洋艦愛宕級・巡洋艦阿賀野級・駆逐艦秋月級・潜水艦伊200級・海防艦海龍級のそれぞれ戦時計画による簡易量産型を再設計し、超弩級戦艦と装甲空母は海軍工廠、それ以外は民間造船所で建造が開始される事になり、今回の起工式となった。
超弩級戦艦と装甲空母は構造が特殊であり巨大過ぎる為に海軍工廠での建造となっていたが、それ以外は民間造船所に発注された。これにより大日本帝国全土の民間造船所は戦標船の建造に加えて、大量の艦艇建造を行う事になり更なる戦争特需に沸くことになった。
これにより何処の民間造船所でも3交代の24時間体制で建造が開始される事になり、工員の雇用数は通常の数倍に及んだ。そしてその大規模な大量建造を決定した張本人として、黒崎総理は起工式に出席する事にし、閣僚達にもそれぞれ起工式に出席するように語り、大日本帝国全土を海軍工廠と民間造船所に出向いたのである。
戦時中の為に経済成長をしてもそれは軍需として消費され、経済指標と実体経済に差は出るが重要なのは国民への肌感であった。その為に戦時計画でありながらある種景気刺激策ともなり、国民に職も与える事になり何とか前向きに捉えてもらおうという、黒崎総理の思惑もあったのだ。




