昆明総攻撃2
機械化歩兵師団の機動砲兵連隊と、機械化装甲師団(機甲師団)の自走砲旅団は配備する各種砲兵戦力を投射した。機械化歩兵師団の機動砲兵連隊は軍用トラック牽引式の100ミリ榴弾砲と150ミリ榴弾砲、機械化装甲師団(機甲師団)の自走砲旅団は150ミリ自走榴弾砲と130ミリ自走噴進砲が一斉に火を噴いた。
中華民国陸軍にとっては幾度かの悲劇だった。一切躊躇する事無い大日本帝国陸軍の砲撃は、市街地や歴史的建造物関係無く吹き飛ばした。しかも上空からは大日本帝国空軍の九七式戦術爆撃機と九七式戦略爆撃機が、それぞれ搭載する500キロ爆弾を大量に投下したのである。砲撃と空爆による大規模な攻撃に中華民国陸軍は次々と撃破された。北京総攻撃に次ぐ大日本帝国が行った無差別攻撃だった。
絶え間なく降り注ぐ砲弾と爆弾は、中華民国陸軍を次々と吹き飛ばした。そしてそれは延々と5時間以上も続けられたのである。その連続した砲撃により大日本帝国陸軍は全ての榴弾砲の砲身を磨耗させ、砲身交換が必要になる程であった。南中派遣軍司令官小磯大将は全砲兵部隊を引き揚げさせ、砲身交換を命令。そして機械化歩兵旅団と各種戦車旅団・連隊により昆明を徹底的に包囲し続けた。
大日本帝国空軍は九七式戦術爆撃機と九七式戦略爆撃機は引き揚げたが、九八式戦闘機が引き続き制空権維持の為に展開を続けた。これにより昆明は完全に孤立したのである。中華民国陸軍守備隊は残存兵力の再編をしようとしたが、全域が瓦礫の山であり連絡や移動も困難であった。そして何よりも武器弾薬のみならず、燃料や食料も破壊され枯渇していたのだ。唯一の救いは大日本帝国が攻撃に猶予を与えた為に民間人は昆明から脱出していた事だった。
中華民国陸軍守備隊司令部では会議が開かれた。このままでは北京と同じ過ちを繰り返すだけだった。だが現実問題として残存兵力は大日本帝国による攻撃前の、1割強でしか無かった。僅か5時間の攻撃で部隊の9割が失われた(死傷者合計)のである。しかも兵器の大半は破壊されており、小銃や拳銃しか残されていなかった。更に大日本帝国陸軍が周囲を完全に包囲しており、逃げる事も不可能だった。
その為に司令部での会議は降伏すると結論付けたのである。




