落日の帝国
1939年6月9日、大英帝国はある意味で見捨てられていた。グレートブリテン島のみならずアイルランド島と、その周囲の大小の島々から成るブリテン諸島全域が第二神聖ローマ帝国海軍潜水艦隊のUボートにより、機雷を散布され直接的な雷撃に加えて二重に封鎖していたのだ。これにより大英帝国海軍本国艦隊も身動きを封じられ、大英帝国は完全に孤立してしまったのだ。
そんな中でロンドンのダウニング街10番地にある首相官邸では、連日会議が行われていた。そしてその会議の合間を縫い、チャーチル首相は束の間の休憩を取っていた。大英帝国はもはや落日の帝国だった。第二神聖ローマ帝国海軍潜水艦隊により、汎ゆる海上ルートは封鎖され大英帝国は兵糧攻めにあっていた。
王立海軍本国艦隊が何度か出港しようとしたが、その度に第二神聖ローマ帝国海軍潜水艦隊の雷撃で阻止されていた。対潜攻撃を行う為に駆逐艦が速度を活かして出港しようとしたが、それでも不可能だったのである。
その為に汎ゆる海上ルートが封鎖された事から食料や燃料等、物資が極端に欠乏する事になった。国内備蓄物資は全て配給制が実施される事になり、特に燃料は厳しく規制された。その為に一般国民が自動車に乗ることは、事実上不可能となったのだ。
そして深刻なのは食料であり政府が音頭を取り、ありとあらゆる空き地が農地とされジャガイモの栽培が始まった。民家の庭さえもジャガイモを植えるのが命令されたが、命がかかっている為に誰も文句は言わなかった。
唯一の救いは第二神聖ローマ帝国が海軍での海上封鎖しか行わず、超弩級戦艦による艦砲射撃や航空機による空襲を実施しなかった事だ。これにより国民の被害や建物が破壊される事は無く、戦時中ながら攻撃に怯える必要が国民にはなかった。だが真綿で首を絞めるようにジワジワと兵糧攻めにされ、士気という点では日毎に低下し続けていた。
それが第二神聖ローマ帝国の目的でもあった。二正面作戦を避け、ロシア帝国侵攻に全力を投入する必要があったからだ。海上封鎖により孤立し距離的に大日本帝国からの支援も望めない以上、最近のロンドンの空気は降伏の機運が高まりつつあった。
それがあるからこそチャーチル首相は頭を悩ませていたのだ。このままでは落日では無く、亡国に突っ走る可能性が高かった。だが打つ手無しの状態に変わりはなく、名案はなかった。
チャーチル首相はただただ葉巻を吸うしかなかったのである。




