妨害工作
1939年6月6日、第二神聖ローマ帝国帝都ベルリンとアメリカ合衆国首都ワシントンDCで同時多発的な爆発が起こった。その爆発はそれぞれの軍庁舎と空港・駅で同時多発に起こり、一時的に軍の指揮系統と首都インフラが麻痺状態となったのである。
このように第二神聖ローマ帝国帝都ベルリンとアメリカ合衆国首都ワシントンDCで、更に複数ヶ所で同時多発的に破壊工作が可能なのは世界広しといえど大日本帝国の皇軍戦略情報局だけであった。第二神聖ローマ帝国には複数の情報機関があったが、それは国内の反対派や過激派等の敵性分子を諜報・摘発・排除する政治警察機構的な色合いが強かった。アメリカ合衆国はOSS・戦略情報局(OfficeofStrategicServices)を大日本帝国の皇軍戦略情報局を真似て1920年に創設したが、その諜報能力と防諜能力は大きく劣っていた。
そもそも第二次世界大戦開戦時で大日本帝国の皇軍戦略情報局の予算は軍事予算とは別に、約28億円であり人員も約8万人に達する巨大組織だったのである。その能力は諜報能力・防諜能力・破壊工作汎ゆる点で世界最高を誇っていた。そしてそれを実行するのが皇軍戦略情報局の誇る特殊工作員だったのだ。江戸幕府御庭番の流れを汲む皇軍戦略情報局に於いて、真に忍術を継承している専門家集団だった。
その能力が発揮され、第二神聖ローマ帝国とアメリカ合衆国に対する破壊工作となった。ベルリンとワシントンDCは混乱状態となり、政府は対応に追われた。最初は当然ながら事故だと思われた。だがあまりにも同時多発的であり、戦時中で警備が厳重な軍庁舎まで被害にあったのだ。その為に破壊工作が疑われる事になり、当然ながら大日本帝国の皇軍戦略情報局しか成し得ないと両国は判断した。
何せ現場には一切の証拠が残されておらず、爆発してから事態が判明したのだ。第二神聖ローマ帝国は秘密警察であるゲシュタポ、アメリカ合衆国は連邦警察であるFBIを総動員して捜査を開始したがその結果は芳しくなかった。
それに併せて復旧作業も開始されたが、その被害は当初の想定以上に悪く麻痺状態の長期化が懸念された。第二神聖ローマ帝国とアメリカ合衆国にとっては、まさに『見えない敵』との戦いとなり対応の難しさが露呈し、ヒトラー首相とエメラルダ大統領は頭を悩ませる事になったのである。




