補給兵站線の危機
1939年6月1日。ロシア帝国の広大なロシア平原にて第二神聖ローマ帝国軍と、ロシア帝国軍による大規模な会戦が行われた。それはかつてない規模の兵士が投入された戦いだった。第二神聖ローマ帝国陸軍は増援を送り込み約350個師団約700万人にまで拡大し、ロシア帝国陸軍も予備役動員により約400個師団約800万人にまで拡大していた。まさに人類史上最大の戦線だった。
第二神聖ローマ帝国陸軍は第一次世界大戦のリベンジとして、ロシア帝国に対して真っ向から勝負を挑んだのである。しかも驚くべき事に大西洋側には300万人に及ぶ陸軍を展開させ、防衛体制も整えていたのだ。そして安定させたヨーロッパ全域に及ぶ領土から、大量の人員を徴兵し促成培養ながら訓練を行っていたのだ。イタリア王国にはオスマン帝国方面を担当させる事にし負担軽減を図りつつも、イタリア王国に対して期待しているとして自尊心を高めさせていた。
その上で第二神聖ローマ帝国はヒトラー首相の手腕により全力を、ロシア帝国侵攻に注ぎ込んだのである。皇帝ヴィルヘルム3世にしても父であるヴィルヘルム2世が成し遂げられなかった悲願であり、ヒトラー首相の手腕を高く評価し全面的に支持していた。
その結果が約350個師団約700万人に及ぶ巨大な侵攻兵力となった。だがその大規模な侵攻兵力こそが、第二神聖ローマ帝国陸軍の侵攻速度を著しく低下させる最大の障害にもなっていたのである。それは単純に『補給兵站線』であった。約700万人という大都市圏の人口に匹敵する人数は、一切の生産性も無いただ消耗するだけの集団なのである。
その人数に3食の食事と武器・兵器・燃料・弾薬・補修機材等々、供給しなければならないのだ。兵站担当者には悪夢の様な事態だった。バルバロッサ作戦に於ける第二神聖ローマ帝国の兵站計画は楽観的かつ短期間での決着を前提としており、その実態は広大なロシア帝国の地理、インフラの未整備、そしてロシア帝国の抵抗によって、早期に破綻したのである。
第二神聖ローマ帝国国防軍最高司令部での兵站計画は、『電撃戦』の成功と、その結果として数週間から数ヶ月でソ連を崩壊させるというヒトラー首相の政治的・軍事的期待に基づき、極めて楽観的に立てられていた。その為にバルバロッサ作戦は短期決戦の前提に策定されていたのだ。目標は作戦開始後、秋の泥濘期が来る前にサンクトペテルブルク・モスクワ・ウクライナといった戦略目標占領を達成する事であった。
兵站の役割は初期は迅速な進撃を支えるための補給に重点を置き、占領地が広がるにつれて鉄道への依存度を高める計画だったが、作戦では現地徴発の重視も行っていた。第二神聖ローマ帝国は、特に食料や一部の燃料について、ロシア帝国現地からの徴発(現地調達)に大きく依存する事にした。これはナポレオン時代の教訓にもかかわらず、広大なロシアの補給線を維持する能力に限界を感じていた為だった。
そしてそれは『飢餓計画』とも呼ばれこの現地徴発は、ロシア帝国住民への食料供給網を意図的に停止し、飢餓を引き起こす事と表裏一体であり、作戦の非人道的な側面を形成していたのだ。
侵攻による数百キロメートルに伸びる後方への物資輸送は、鉄道に頼る長距離輸送計画を想定していた。だが鉄道は第二神聖ローマ帝国の標準軌(1.435m)とロシア帝国の広軌(1.524m)という線路の軌間の違いが存在し、工兵部隊が占領と同時に線路幅を標準軌規格へ迅速に変更する事で対応する計画だった。
だが実態は兵站の破綻と深刻な問題が発生したのだ。確かに作戦開始直後のロシア帝国の要塞線での抵抗はあったが、そこを突破すると迅速な進撃が可能となった。だがその進撃とは裏腹に兵站はすぐに限界に達し、第二神聖ローマ帝国軍の攻勢が頓挫する主要因となった。
まず輸送手段の深刻な問題があった。それはロシア帝国の道路にあった。ロシア帝国の広大な領土には、第二神聖ローマ帝国軍の軍用トラックや装甲車が高速で走行できる全天候型の舗装道路が極めて少なかったのである。それは泥濘化と摩耗にも表れ悪路はそこに雨が降ると、道路が沼地と化すことで、車輌の速度は大幅に低下し、計算の1.5倍から2倍の燃料を消費したのだ。その結果、侵攻開始から1ヶ月で軍用トラックの約3分の1が故障・破損により失われたのである。
その為に第二神聖ローマ帝国は馬への依存をせざるを得なかった。第二神聖ローマ帝国陸軍は機械化が進んでいたとはいえ、約62万5000頭以上の軍馬を輸送に利用し、馬の飼料補給も大きな負担となった。
兵站計画での最大の誤算が鉄道作業の遅延だった。鉄道の規格変更作業は予想以上に時間がかかりこれにより、トラック輸送と鉄道輸送の連携が滞り、補給物資が前線に届かないという決定的な問題が生じたのである。その理由は資材と石炭にあり鉄道の復旧資材自体が不足したほか、ロシア帝国製の機関車で使う石炭が第二神聖ローマ帝国製機関車には使えず、追加の燃料供給が必要になるなど、複雑な問題が発生したのだ。
更なる理由は現地徴発の失敗だった。ロシア帝国軍は撤退時に焦土作戦を実行し、食料や物資を組織的に破壊したため、第二神聖ローマ帝国軍は計画した現地徴発を十分に行えなかった。しかも後方地域ではパルチザン(遊撃隊)が活動し、伸びきった補給線や鉄道を攻撃したため、物資輸送の安全性が大きく損なわれたのである。
そんな中でのロシア平原での大規模会戦は、状況を打破する為の時間稼ぎという側面もあった。




