嵐の中の楔
1805年、松平定信の改革により、江戸幕府は議会なき政府として日ノ本を統治していた。将軍・徳川家斉は西洋列強でのいわゆる『内閣総理大臣』としての立場として国の顔となり、老中首座・松平定信は『官房長官』としての立ち位置として幕政を統括した。勘定奉行(大蔵省)、普請奉行(建設省)、軍務奉行(軍務省)、外交奉行(外務省)、京都所司代(宮内省)が西洋列強の省庁に倣い、日ノ本の柱を支えた。田沼意次の開国以来、経済力は拡大に次ぐ拡大を遂げ、幕府陸軍のマスケット銃部隊と幕府海軍の外輪駆動蒸気船は列強に匹敵する力を誇った。だが繁栄の裏で、薩摩と長州の尊皇攘夷の火種が燻っていた。
日ノ本の国策は、経済拡大と軍事力強化を軸に、専守防衛と全方位外交を貫いた。オランダ、イギリス、フランス、アメリカ、プロイセン、ロシアとの大使館は江戸に情報を集め、各国大使館駐在の御庭番が列強の動向を探り技術を吸収した。
平和を謳歌する日ノ本に反して、世界は荒れていた。1839年、アヘン戦争が日ノ本に衝撃を与えた。イギリスの蒸気船と火砲が清国を圧倒し、南京条約で香港を奪い、5港を開港させた。清国の敗北は、一方的虐殺とも呼べる惨状だった。
江戸城の御座之間、1843年。江戸幕府将軍徳川家斉は顔に危機感を滲ませ、老中井伊直弼に問うた。「直弼、アヘン戦争の報は本当か? 清国がかくも脆く崩れるとは」
井伊直弼は畳に手を突き、答えた。「上様、御庭番の報告は真実でございます。イギリスの蒸気船は波を切り、火砲は尽くを砕きました。田沼殿の開国がなければ、日ノ本も清国の轍を踏んだやもしれません。経済力と軍事力の強化は、正しかったのです。」
老中の一人が声を上げた。「直弼殿、だが、薩長の不満は高まっておる。経済格差を抑えねば、尊皇の志士が幕府を狙うやもしれん!」
直政は冷静に反論した。「勘定奉行の低率租税と普請奉行の鉄道・街道が、地方に富を広げつつある。軍務奉行は陸軍と海軍を鍛え、列強に対抗する。薩長の不満は、力で抑えねばならぬ。」
家斉は頷き、命じた。「直弼、軍と経済をさらに強化せよ。外交奉行は情報を集め、御庭番は技術を吸収するのだ。」
アヘン戦争の教訓は、幕府を突き動かした。長崎の造船所では、英国式蒸気船の改良が進み、試作の鋼鉄船が波を切った。軍務奉行は、フランスの火砲技術を導入し、マスケット銃部隊を増強。経済的余裕のある幕府は、列強の脅威に備えた。だが、世界の嵐は止まなかった。
1815年のナポレオン戦争終結後、欧州は革命の波に揺れた。1830年のフランス7月革命、1848年の欧州革命――自由主義と民族主義が列強を揺さぶった。各国大使館に潜む御庭番は、混乱に乗じて機密文書を奪取した。イギリスの製鉄技術、フランスの海軍戦術、プロイセンの軍事訓練法が、長崎と江戸の製鉄所や造船所に応用された。日ノ本の技術革新は、列強に肩を並べる勢いだった。
1855年、安政の大地震が江戸を襲った。だが経済力に余裕のある幕府は、勘定奉行の資金と普請奉行の公共工事で復旧を急いだ。江戸から長崎、薩摩への鉄道網が延び、街道が石畳で固められた。民衆は安定した暮らしを享受したが、薩長の武士は経済格差を糾弾し、尊皇攘夷の旗を密かに掲げた。外交奉行は、第二次アヘン戦争の報を受け、英仏の中国進出を注視した。御庭番はイギリスの目指すべき目標となる情報を入手し、清国の半植民地化を警告した。井伊直弼は徳川家斉に進言した。
「上様、清国の敗北は我々に教訓を与えております。軍務奉行は海軍を強化し、鋼鉄船を量産。外交奉行は列強と対等に交渉せねばなりませぬ。」
家斉は答えた。「直弼、田沼の遺志を継ぎ、日ノ本を守れ。薩長の動きは、御庭番で監視せよ」
そして1858年、幕府に新たな嵐が舞い込んだ。クリミア戦争(1853-1856年)で敗北したロシア帝国が、財政難と防衛難からアラスカ売却を日ノ本に提示してきたのだ。長崎のロシア大使館で、外交奉行がロシア公使と対峙した。アラスカ。その価値は、幕府海軍の未来を左右する。家斉と井伊直弼は、御座之間で協議した。
「直弼、ロシアの提案は本当か?」家斉の声は重かった。
「上様、御庭番の報告によれば、ロシアはアラスカ売却をアメリカにも打診中との事です。しかしながら我々が先に動けば、太平洋の楔を握れるやもしれませぬ。専守防衛から攻勢防御へ――これが日ノ本の新たな道となるかもしれません。」
老中がざわめいた。「直弼殿、攻勢とは無謀だ! 薩長の反発が高まる今、列強との交渉は危険である!」
直弼は目を細め、答えた。「危険を恐れていては、日ノ本は清国の二の舞となる。軍務奉行は鋼鉄船を揃え、外交奉行はロシアと交渉するのです。我々は、日ノ本を未来に残すのだ。」それを聞いた家斉は決断を下した。
1858年、長崎の港で鋼鉄船が汽笛を鳴らし、江戸の鉄道は煙を上げた。薩長の尊皇攘夷は嵐の前触れとなり、アラスカの提案は日ノ本の未来を切り開く楔だった。幕府の決断は、明治維新と鉄の巨艦への道を照らし始めた。




