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鉄と海の帝国  作者: 007
第2章 加熱

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北京総攻撃

1939年5月20日、大日本帝国陸軍総軍は満州府からの第3方面軍と山東県からの第4方面軍が、大日本帝国空軍航空総隊は満州府からの第3航空方面隊と山東県からの第4航空方面隊が、中華民国首都北京に対して総攻撃を開始した。インドシナ府からは第7方面軍が侵攻を続け、上海には西日本からの第2方面軍が上陸し侵攻を行っており中華民国は、多方面から着実に侵略されていた。そんな中での北京総攻撃であり、第二次日清戦争での1900年7月22日の北京入城より更に踏み込んだ行動を開始した瞬間だった。

しかし中華民国は清国とは違い、狡猾であった。大日本帝国陸軍が北京を包囲する前に中華民国政府は北京を脱出し、北京には民間人と軍人達が残された。北京を脱出した中華民国政府は重慶に移動しており、一時的に外交交渉は寸断されたのである。

そして大日本帝国陸軍が北京を包囲したのが1939年5月17日であり、翌日には黒崎妖華総理が中華民国に対して降伏要求を行った。だが中華民国政府は先に述べた通り既に北京を脱出しており、一切の外交的反応を示さなかった。だがそれは大日本帝国は百も承知の事だった。皇軍戦略情報局の諜報員により中華民国政府の脱出は手に取るように分かっていた。それを知っていたからこそ黒崎総理は中華民国に対して降伏要求を行い、国内外的に中華民国は黙殺したと大々的に宣伝し逆手に取る事にしたのだ。

それを受けて大日本帝国は北京に対する総攻撃を決定し、民間人は1939年5月20日までの脱出を汎ゆる手段で伝えた。大日本帝国は2日間の猶予を与え、民間人の被害は最小限にしようとしたのである。そして大日本帝国は時間は十分に与えたとして予定通り、1939年5月20日に中華民国首都北京に対して総攻撃を開始した。民間人は脱出しており中華民国陸軍も一部は降伏していたが、かなりの数の陸軍守備隊が踏み止まっていた。しかも中華民国陸軍守備隊は紫禁城等の歴史的建造物に、敢えて展開していたのだ。

こうして中華民国首都北京への攻撃は困難となった。何せ大日本帝国陸軍は幕府陸軍以来の砲兵戦力の充実を第一にしており、その圧倒的砲撃こそが真骨頂だった。その為に機械化歩兵師団の機動砲兵連隊と、機械化装甲師団(機甲師団)の自走砲旅団は各国に比べて重厚な布陣を誇った。それを知っていたからこそ中華民国陸軍は歴史的建造物に展開したのだ。

こうなると大日本帝国陸軍の圧倒的砲撃能力が仇となり、紫禁城等の歴史的建造物を破壊してしまうのだ。困り果てた北中派遣軍(第3方面軍と第4方面軍を一時的に統合した、中華民国侵攻に於ける呼称)司令官松井石根大将は大日本帝国本土の皇軍統合作戦司令本部に判断を仰いだ。

国防省内にある皇軍統合作戦司令本部では、総長の風間麗子海軍元帥以下軍人達が全員詰めており国防大臣の石原莞爾陸軍元帥もいた。風間総長は連絡を受け石原国防大臣と顔を見合わせたが、判断は政治的影響もあるとして石原国防大臣は即座に首相官邸直通電話を手に取った。

それは即座に首相官邸の黒崎総理に繋がり、石原国防大臣は状況を説明した。状況を聞いた黒崎総理は即座に判断し、紫禁城等の歴史的建造物も考慮せずに攻撃するように命令した。陛下にはこれから説明しに参内するとし、全将兵は一切の責任を感じる事無く作戦を遂行し、全責任は黒崎妖華が全てとると断言したのだ。

黒崎総理の断固とした決意に石原国防大臣以下軍人達は感動し、その命令を北中派遣軍司令官松井大将に伝えた。そして空軍に対しても躊躇無く北京を空爆するように命令したのである。

ここに中華民国陸軍の思惑は外れ、大惨事を招く事になった。

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