バルバロッサ作戦
1939年5月1日、第二神聖ローマ帝国によるロシア帝国侵攻作戦『バルバロッサ作戦』が開始された。第二神聖ローマ帝国が投入した総兵力は約500万人にも及んだ。総師団数は約280師団になり、戦車は約6000輌・航空機は約4800機・火砲約9300門という膨大なものだった。この大規模な兵力はロシア帝国領内への侵攻のみを目的として、北から南へかけて3つの主要な軍集団に分けられて展開された。
北方軍集団はサンクトペテルブルク方面へ進撃、中央軍集団はミンスクとスモレンスクを経てモスクワ方面へ進撃、南方軍集団はウクライナのキエフ方面へ進撃した。この作戦は第二神聖ローマ帝国にとっては非常に大規模なものになり、ロシア帝国侵攻に全てのリソースを投入しての実行となった。
第二神聖ローマ帝国は万全を期しての総攻撃を行ったが、ロシア帝国も万全の状態で待ち構えていた。それは大日本帝国が皇軍戦略情報局によりバルバロッサ作戦の情報を入手し、それをロシア帝国に最優先事項として通達したからである。これによりロシア帝国は第二次世界大戦開戦以来の動員体制を整えていた事もあり、第一次世界大戦の時以上に盤石な体制を構築していた。
ロシア帝国は皇帝ニコライ3世が第二次世界大戦開戦直後から、『ロシア帝国軍総司令部』を設置した。そしてロシア帝国軍最高総司令官に、ミハイルトゥハチェフスキー陸軍元帥を任命したのである。トゥハチェフスキー総司令官は大日本帝国の情報と大規模な軍事援助から、徹底的に防戦する事にしていた。春の雪解の止め処無い濁流のような大日本帝国からの大規模な軍事援助は、ロシア帝国軍の備蓄分を大幅に上回る弾薬を確保する事が可能となり、大量の兵器も提供された。
それを操る人員も動員体制が整い、更には大日本帝国空軍まで援軍として迎い入れていた。そして情報通り1939年5月1日に第二神聖ローマ帝国による侵攻作戦が開始され、ロシア帝国は大日本帝国が同盟国なのを感謝すると共に防衛戦を開始したのである。
大日本帝国による軍事援助で火砲は1万4000門にも及び、侵攻する第二神聖ローマ帝国軍以上の激しい弾幕を加えた。その規模は第二神聖ローマ帝国軍の想像を絶するものであり、ある種恐怖を与える程であった。その為に第二神聖ローマ帝国軍の侵攻は、開始直後に停滞する事になったのである。




