緊急対策会議2
1939年4月28日深夜、大日本帝国では黒崎妖華総理が首相官邸で緊急対策会議を開催した。閣僚全員と、皇軍統合作戦司令本部総長を筆頭に大日本帝国軍の幹部陣と、皇軍戦略情報局長官と幹部陣も出席していた。黒崎妖華総理は早速、緊急対処が必要だと提議した皇軍戦略情報局長官の川島芳子陸軍大将に、提議内容を促した。
川島長官は第二神聖ローマ帝国に潜入中の諜報員が、ロシア帝国侵攻作戦を入手したと語ったのである。その言葉に全員が驚愕の表情を浮かべた。特に陸軍参謀総長杉山元将と陸軍総軍司令長官東條英機大将は、浮き足立っていた。何せ中華民国侵攻を開始したばかりであり、その状況で第二神聖ローマ帝国によるロシア帝国侵攻だった。ロシア帝国も陸軍国家である為にそう簡単に負けるとは思わなかったが、支援は絶対的に必要であった。
東條司令長官は、ロシア帝国への侵攻作戦発起日は何時か把握しているのか尋ねた。それに川島長官は1939年5月1日だと答えた。それを聞いた全員は再び驚いた。もはや時間は無かった。川島長官は、如何に皇軍戦略情報局といえども万能では無くしかも第二神聖ローマ帝国も十分な作戦を練っており、今回の作戦会議が最終的な裁可を下すものであったと語った。
松岡洋右外務大臣は時間が無いのは百も承知ですがロシア帝国は何としても救援するべきです、と力説した。松岡外務大臣はロシア帝国が第二神聖ローマ帝国に屈する事になれば、シベリア府が直接的な脅威に晒される事になりそうならない為にもロシア帝国を今以上に支援して、クッションの役目を果たしてもらわないといけないと語ったのであった。松岡外務大臣の外交的立場では無く、純粋な軍事的意見に石原莞爾国防大臣は驚きつつも賞賛し賛同した。石原国防大臣には皇軍統合作戦司令本部総長風間麗子海軍元帥・海軍軍令部総長永野修身大将・連合艦隊司令長官高橋知里大将・空軍統合総長菅原道大大将・空軍航空総隊総司令官大西瀧治郎大将も賛同していた。
軍事援助は当然だと黒崎総理は語ったが、問題は時間であった。現状でも軍事援助は行っていたがその規模を拡大するにしても、侵攻開始までには到底間に合いそうに無かった。暫く黒崎総理は沈黙し考えていたが、力強く頷くと立ち上がり有無を言わせぬ迫力で決断を下した。
松岡外務大臣にはロシア帝国に対して援軍派遣と軍事援助について外交交渉を行う事を命じた。クッションの役割を果たして貰うために、決して見捨てない事を外交的美辞麗句で伝える事にしたのである。
石渡荘太郎大蔵大臣にはロシア帝国への大規模軍事援助に関する臨時予算編成を命じた。現状の連合国への支援とは別枠で、ロシア帝国専従の軍事援助を実行する事にしたのである。
石原国防大臣には国防省外局の軍需庁と協力して、国内軍需企業の生産体制の抜本的改善を命じた。大日本帝国が経験した事の無いかつてない規模の総力戦が始まった為に、国内軍需企業に対して発破をかける必要があった。
空軍統合総長菅原道大大将と空軍航空総隊総司令官大西瀧治郎大将には第5航空方面隊の中で、シベリア府に配備している航空群を早急にロシア帝国に派遣するように命じた。陸軍は現状では中華民国支援に注力し、海軍に更なる支援を行ってもらう事にし空軍をロシア帝国に支援として派遣する事にしたのである。
風間皇軍統合作戦司令本部総長には陸海軍の総力をあげて中華民国侵攻を早急に完了させるように命じた。現状でさえ中華民国とアメリカ合衆国との二正面作戦なのに、その上でロシア帝国への援軍派遣となると三正面作戦になってしまう為に、早急に対処可能な中華民国を処理する事にしたのである。
その黒崎総理の命令を受けて、全員が動き出した。かつてない規模の総力戦が幕を開けた瞬間だった。




