第二神聖ローマ帝国の決意
1939年4月27日、第二神聖ローマ帝国帝都ベルリンの国防軍最高司令部ではヒトラー首相が作戦会議を開催していた。上座の国防軍最高司令部大元帥席には皇帝ヴィルヘルム3世が座っており、政府首脳陣と第二神聖ローマ帝国国防軍首脳陣の全員が参加する大規模なものになっていた。これ程の規模の作戦会議は1939年2月20日の、第二次世界大戦開戦前の時以来であり約2ヶ月振りの事であった。
第二神聖ローマ帝国は第二次世界大戦開戦以来、快進撃を続けヨーロッパ大陸全土を占領するに至った。4月8日のフランス共和国降伏以後大英帝国は、海軍のU-ボートを利用してグレートブリテン島に閉じ込め、スペイン王国とポルトガル共和国は軍事的恫喝により1939年4月25日に第二神聖ローマ帝国に無条件降伏したのである。
これによりヨーロッパには北欧のノルウェー王国とスウェーデン王国しか残っていなかった(フィンランドはロシア帝国が存続している為に、独立していない)のである。イタリア王国は世界枢軸同盟に加盟しており、ヨーロッパはそのほぼ全域が第二神聖ローマ帝国の支配下となっていた。第一次世界大戦と違い順風満帆な侵攻を成し遂げた第二神聖ローマ帝国は、再び大規模な作戦会議を開催し次なる大目標を策定する事になった。それは第一次世界大戦のリベンジとなる『ロシア帝国侵攻』であった。
皇帝ヴィルヘルム3世にしても父であるヴィルヘルム2世が成し遂げられなかった悲願であり、作戦会議に臨む熱量は高かった。ヒトラー首相もロシア帝国侵攻は何としても成功させなければならない、と熱弁を振るっていた。そして『ドアを蹴り破れば腐った納屋ごと倒壊する』、とロシア帝国は恐れるに足らずと断言した。やや誇張した意見だったが、政府首脳陣や軍首脳陣は概ねヒトラー首相の意見に賛同した。何せ第一次世界大戦の反省を活かして大規模な兵力を揃え、ロシア帝国国境線は万全の備えをしていた。そしてフランス共和国侵攻まで成し遂げスペイン王国とポルトガル共和国まで占領し、大英帝国はU-ボートにより海上封鎖する事に成功していた。これにより二正面作戦を行わずにロシア帝国に対して、全力で軍事行動を行う事が可能になったのだ。
もちろん第一次世界大戦時と同じく大日本帝国がロシア帝国を支援する事は想定されていたが、今やヨーロッパ全域を支配下にする程になっており大規模侵攻は可能だと判断していた。しかもアメリカ合衆国と更に中華民国が世界枢軸同盟に加盟しており、大日本帝国は二正面作戦を行わざるを得ない為にそれも第二神聖ローマ帝国がロシア帝国侵攻を決意させた理由だった。
こうして国防軍最高司令部での作戦会議は順調に進み、最終的に皇帝ヴィルヘルム3世によりロシア帝国侵攻作戦は裁可され、その作戦発起日は1939年5月1日となりロシア帝国侵攻作戦の、『バルバロッサ作戦』は発動される事になった。
そしてその作戦会議の内容は大日本帝国の皇軍戦略情報局の諜報員が入手する事になり、バルバロッサ作戦は早々に大日本帝国に漏洩する事になった。




