次なる動き
大日本帝国はカナダ自治領での極秘作戦遂行以後、次なる動きを模索していた。皇軍統合作戦司令本部では皇軍戦略情報局を交えて、連日会議を開いていた。何せ開戦以来世界枢軸同盟に汎ゆる戦線で敗北しており、オランダ王国・ベルギー王国・デンマーク王国・ルクセンブルク・フランス共和国・大英帝国カナダ自治領と短期間に6ヶ国も既に降伏したのである。当然ながら開戦以後大日本帝国は大規模な軍事援助を連合国各国に行っていた。
だがそれでもフランス共和国は降伏してしまい、大英帝国には海路が断たれた為に援助不可能となっていた。その為に大日本帝国はロシア帝国とオスマン帝国への軍事援助を重視する事にし、オーストラリア領ニューギニアにアメリカ合衆国が侵攻している事から東南アジアの南シナ海とジャワ海を経由するルートで、オーストラリアとニュージーランドへの軍事援助が行われていた。
その為に大日本帝国は東南アジアの安定を図る事にし、オランダ領東インドに接触した。本国が第二神聖ローマ帝国による占領を受け大英帝国にオランダ王国が亡命政府を樹立していたが、オランダ領東インドはまだ独自裁量で行動していた。そこで大日本帝国はオランダ領東インド総督にアメリカ合衆国からの防衛を約束し、領域内の自由行動を要求したのである。
オランダ領東インド総督にしてみれば、文句など無い申し出であり大日本帝国の要求は全て受け入れられた。こうして大日本帝国はオーストラリアとニュージーランドへのルートを確保すると共に、オランダ領東インド防衛を担う事になったのである。
更に大日本帝国は行動しタイ王国とフィリピン共和国との、同盟と連合国加盟を果たした。タイ王国は古くからの友好関係にあり、フィリピン共和国は第一次世界大戦でアメリカ合衆国から独立させて以来の友好関係であった。両国共に経済援助を大日本帝国から受けており、かつてよりは重工業国家として成長を遂げていた。大日本帝国としては巻き込む事を恐れてあえて同盟は結んでいなかったが、第二次世界大戦勃発とヨーロッパでの情勢悪化を考慮し、東南アジアの絶対的安定を望み同盟を決定したのである。
それは黒崎妖華総理の決断であり、御前会議に於いて陛下に説明を行い賛同を得ての結果だった。このように大日本帝国は軍事行動を行う為の作戦会議をしながら、外交に於いても活発に動いていたのである。こうして大日本帝国は軍事作戦を行う準備をしながらも、着々と行動を行っていた。だが大日本帝国もようやく攻勢を行う事になり、その作戦は皇軍統合作戦司令本部にて具体的に練り上げられた。
そして1939年4月25日に、大日本帝国は第二次世界大戦における最初の攻勢作戦である、『中華民国侵攻作戦』を開始した。




