フランス共和国降伏2
大英帝国本土の軍港であるポーツマスやデヴォンポート等から出港しようとした、大英帝国海軍本国艦隊に対して突如として海面を覆う程の、雷撃が襲い掛かったのである。これが大日本帝国海軍のなら酸素魚雷である為に、視認出来なかっただろうが、世界各国の標準的な魚雷は空気魚雷である為に視認は容易だった。
その雷撃は第二神聖ローマ帝国海軍の潜水艦隊によるものであった。世界的に大艦巨砲主義が海軍の金科玉条になっている中で肩身の狭い思いをしている潜水艦隊だが、第二神聖ローマ帝国海軍は潜水艦隊司令長官カールデーニッツ少将の確固たる信念のもとに『Uボート』は整備された。そしてそのUボートによる一斉雷撃が大英帝国海軍に襲い掛かり、大洋に進出するのを防いだのである。
この一斉雷撃により大英帝国海軍本国艦隊は出撃しようとした艦隊の2割を撃沈され、大量の艦艇が被雷による損傷を受けた。軍艦は大洋に出てこそ活躍出来る為に、無傷の艦艇も沈没艦や損傷による事故で軍港を封鎖される形になった為に、閉じ込められてしまった。それに追い打ちをかけるように第二神聖ローマ帝国海軍潜水艦隊のUボートは、機雷を散布し二重に大英帝国海軍本国艦隊を封鎖した。
その結果ダイナモ作戦によりフランス共和国最北端ダンケルクに集結していた大英帝国陸軍BEFとフランス共和国陸軍には、第二神聖ローマ帝国海軍司令長官エーリッヒレーダー元帥が率いる大洋艦隊が熾烈な艦砲射撃を浴びせたのである。それは攻撃というよりも殺戮であった。
ダイナモ作戦によりダンケルクに集結した大英帝国陸軍BEFとフランス共和国陸軍は、再残兵の集まりでありまともな装備も有していなかった。矢尽き刀折れ逃げ延びた者達だった。そこに海上を埋め尽くす艦艇からの情け容赦無い艦砲射撃が降り注いだのである。
その中で一際目を引く存在だったのは第二神聖ローマ帝国がその技術力の粋を集めて建造した、超弩級戦艦フリードリヒデアグロッセ級であった。
全長380メートル・最大幅64メートル・速力28ノットであり、満載排水量279300トン・55センチ連装砲4基8門を誇るこの当時で世界最大の超弩級戦艦であった。
大日本帝国が第六次軍備拡張三カ年計画で建造した超弩級戦艦群の最終形態である、超弩級戦艦天照級を凌ぐのを目的に建造され開戦直後に竣工した超弩級戦艦だった。だが大日本帝国との決定的な違いは、大日本帝国が同型艦を8隻ずつ建造していたのに対して第二神聖ローマ帝国は、超弩級戦艦フリードリヒデアグロッセ級を4隻しか建造出来なかった点であった。そこが第二神聖ローマ帝国の技術力と港湾施設の限界を示す、明確な欠点であった。
とはいえそれ以外の51センチ主砲を搭載する超弩級戦艦ビスマルク級10隻と、48センチ主砲を搭載するを主力にする超弩級戦艦ジークフリート級14隻も含めて48隻もの鋼鉄のリヴァイアサンを保有している為に、世界の五大海軍国に名を連ねる存在になっていた。その超弩級戦艦群を有する第二神聖ローマ帝国海軍大洋艦隊は、ダンケルクに集結した陸軍将兵達に情け容赦無い艦砲射撃を実施し殲滅戦を展開したのである。
竣工したばかりの超弩級戦艦フリードリヒデアグロッセ級は極端な練度不足だが、対艦攻撃では無く艦砲射撃である為にある種実戦訓練と位置付けられていた。何せ反撃を一切受けない、地上展開の部隊相手への攻撃だったからだ。
その艦砲射撃を受ける事になった大英帝国陸軍BEFとフランス共和国陸軍は、悲鳴や断末魔を帯びた救援を求める通信を最大出力で発信したが、現実的に救援に駆け付けられる兵力は一切存在しなかった。その間にも非情なる艦砲射撃は続けられ、僅か1時間後にはダンケルクは瓦礫の山となっていた。艦砲射撃を終えた海軍大洋艦隊が引き揚げるのと同時に、残敵掃討としてダンケルクに第二神聖ローマ帝国陸軍第7装甲師団が突入した。
だがその第7装甲師団の将兵達が目撃したのは瓦礫の山となった建物と、肉片だけであった。その惨状に第7装甲師団のエルヴィンロンメル師団長は、言葉を失った。瓦礫の山や黒焦げの死体が散乱していたのである。そんな状況では生存者を見つける事が困難であり、第7装甲師団師団長ロンメル少将は暫く捜索を行った後に、ダンケルク制圧を帝都ベルリンにある国防軍最高司令部に報告した。この第二神聖ローマ帝国による攻撃により大英帝国は、ダイナモ作戦を完膚無きまでに叩き潰され
約40万人もの将兵を失ってしまった。
以上が1939年4月6日の事である。これによりフランス共和国は継戦能力と継戦意思を喪失し、第二神聖ローマ帝国に降伏を通達したのである。そして1939年4月8日、フランス共和国は無条件降伏したのである。




