鉄の軍と金の道
1800年、江戸城の御座之間。春の陽光が障子越しに差し込み、畳に柔らかな影を落とす。11代将軍・徳川家斉は、29歳の若さで幕府の頂に君臨していた。その前には、老中首座・田沼意次と老中・松平定信が平伏する。田沼は80歳を超え、頭髪に白髪が混じるが、目はなお開国の炎を宿していた。28年前、1772年の開国決断から、日ノ本は激変していた。長崎と江戸は西洋の技術と金で沸き、幕府は経済力発展への道を突き進んでいた。だが、地方の不満は燻り、列強の影は濃くなる。田沼は新たな改革を胸に、将軍に進言する時を待っていた。
「上様、日ノ本は今、試練の時にございます」。田沼の声は低く、だが力強かった。「開国以来、長崎と江戸は繁栄し、金と技術が我々を強くしました。ですが、列強の脅威は迫り、地方の不満は高まっています。そこで『寛政の改革』を提議し、強力に推し進め、軍と経済を固めねば、日ノ本の未来は危ういと判断します。」
家斉は静かに頷き、松平定信に目を向けた。「定信、そなたの意見は如何か?」
定信、40代半ばの鋭い目で田沼を見据えた。「意次殿の開国は確かに富をもたらしました。しかしながら、地方の貧困と尊皇の声は無視できませぬ。改革は慎重に進めねば、幕府の基盤が揺らぐと、申し上げます。」
田沼は微笑み、反論した。「定信殿、慎重さは理解する。だが、列強は待たぬ。イギリスは工業の力で世界を握り、フランスは革命の嵐を乗り越え、アメリカは独立を果たした。我々も軍を興し、道を整え、列強と肩を並べねばならぬ」
開国から28年、田沼の改革は日ノ本を変貌させた。1772年の交易拡大で、長崎はオランダ船の坩堝となり、江戸は蘭学の中心になった。銀本位制への移行と低率租税は、金を天下に回し、豪商の富を増やした。だが、薩摩や長州等の地方藩は取り残され、尊皇攘夷の火種が育ちつつあった。田沼はこれを承知しつつ、さらなる飛躍を企図した。1800年、田沼意次による寛政の改革は、日ノ本を新たな段階へと突入させた。
田沼と定信は、家斉の命を受け、常備軍の編成に着手した。幕府陸軍は、従来の足軽に加え、マスケット銃部隊を中核に組織された。長崎の蘭学塾で学んだ若者たちが、フランス式の火砲とイギリス式の歩兵戦術を習得。江戸の練兵場では、銃声が響き、江戸幕府初の近代軍が姿を現した。幕府海軍はさらに大胆だった。長崎の造船所では、蒸気船が主力艦として建造された。蒸気船は波を切り裂き、幕府の海を睥睨した。「これぞ日ノ本の力だ」。田沼は長崎の港で、蒸気船の煙を見上げながら呟いた。
家斉もまた、江戸の試射場でマスケット銃の轟音に目を輝かせた。「意次、定信、この軍は列強に対抗できるか?」
定信は慎重に答えた。「上様、軍は強いが、地方の不満を抑えねば、内部から崩れる恐れがございます。」
田沼は笑みを浮かべた。「定信殿、軍は国を守る盾。だが、金と道が国を一つにする。公共工事を進め、富を地方に広げよう。」
寛政の改革は軍事にとどまらなかった。幕府は全国の街道と河川の改修に乗り出した。東海道や中山道等の主要な街道は石畳で舗装され、橋梁が強化された。江戸、大阪、長崎では、都市内鉄道の敷設が始まった。オランダから導入した蒸気機関が、レールを走る蒸気機関車を動かした。江戸の町人は、煙を吐く鉄道に驚き、豪商は新たな商機を見出した。幕府の公共工事は、民の暮らしを支え、地方の不満を和らげた。
外交でも、幕府は大胆な一歩を踏み出した。1782年のオランダとの国交樹立に続き、1800年、田沼の主導でイギリス、フランス、アメリカ合衆国と国交を結んだ。ロンドン、パリ、ワシントンに大使館が設けられ、御庭番が情報収集の要として暗躍した。イギリスの蒸気機関、フランスの海軍戦術、アメリカの独立精神――これらが幕府の手に渡った。田沼は家斉に進言した。
「上様、列強との国交は日ノ本を強くします。大使館は情報と技術の窓。御庭番が欧州の動乱を報じ、軍と経済の基盤を固めましょう」
家斉は頷き、決断を下した。「意次、定信、そなたらの改革は日ノ本を変えた。軍と道を整え、列強と肩を並べよ」
1800年、長崎の港にはイギリスとフランスの船が停泊し、江戸の鉄道は煙を上げた。幕府陸軍のマスケット銃が火を噴き、海軍の蒸気船が波を切る。だが、薩摩の武士たちは尊皇の旗を密かに掲げ、列強の目は日ノ本に注がれていた。田沼意次と松平定信の改革は、帝国の胎動をさらに加速させた。その先には、鉄と金の輝く未来――そして試練の嵐が待っていた。
これにより、ペリー来航は無いですし、不平等条約もありませんね。




