防衛体制構築
昨日の陸軍兵備紹介ですが、軽機関銃を忘れていたので追加しています。
1939年2月25日に開催された緊急対策会議で、大日本帝国は取り敢えずの場当たり的対応を決定し、実行に移すことにした。まずはクレタ県の地中海統合軍に対して、全面的な防衛体制の構築が命令された。地中海統合軍総司令官堀悌吉大将は、陸軍の地中海方面軍・空軍の地中海航空方面隊・海軍の地中海艦隊を総動員して、クレタ県の防衛体制構築を開始した。何せ大日本帝国領土で地中海にある飛び地であり、オスマン帝国がいるとはいえイタリア王国とは比較的距離が近く、第二神聖ローマ帝国がギリシャを占領した事から目と鼻の先だった。
その為に地中海統合軍総司令官堀悌吉大将は、矢継ぎ早に命令を下した。海軍の地中海艦隊はイラクリオン鎮守府を出港し、第二神聖ローマ帝国海軍とイタリア王国海軍警戒の為の哨戒活動を開始した。イラクリオン鎮守府の領海警備戦隊も、出港し哨戒活動を開始した。
空軍の地中海航空方面隊は偵察機を出撃させて索敵を開始すると共に、戦闘機による制空権保持が命令された。陸軍の地中海方面軍はクレタ県の沿岸要塞に展開し、上陸作戦を水際で迎撃する態勢に入った。クレタ県は大日本帝国最西端にある飛び地の領土である為に、補給兵站線が遮断される最悪の事態を想定し中心部に地下要塞と地下貯蔵施設が建設されていた。地下要塞は沿岸要塞が突破された時に備えて、最終的な籠城戦を行う事を想定した構造物だった。地下10キロに司令中枢施設を建設し、総全長85キロに及ぶ複雑な構造を誇っていた。核兵器が現時点で存在していない為に、現状汎ゆる兵器への耐久性を有していたのである。
そこに地下貯蔵施設も建設されており半年分に及ぶ弾薬・燃料・食糧・医療品・補修交換機材が備蓄されていた。半年分は最悪の事態を想定した物量であり、皇軍統合作戦司令本部は遅くとも2カ月以内には援軍派遣は可能だとしており、備蓄過多ではあるが半年分は備蓄されていた。これは人間の心理に基づいたものであり、人間は『無くなる事』よりも『減少していく事』に、より一層の危機感を抱くからであった。遅くとも2カ月で援軍が到着するなら、その3倍の量を備蓄しておけば精神的ストレスは軽減されるとの判断であった。
クレタ県に続いてディエゴガルシア県も防衛体制の構築が行われた。ディエゴガルシア県はインド洋に浮かぶ大日本帝国の重要な戦略拠点となっていた。海軍のみならず大日本帝国船籍の輸送船の中継地となり、重要性はかなりのものだった。その為に大日本帝国は約36平方キロメートルのディエゴガルシア県に、本土と同じ規模の軍港を整備し埠頭や整備ドックも建設した。海軍は1個艦隊と領海警備戦隊の常駐となっていた。
空軍も1000メートル滑走路を2本整備し1個航空群が常駐し、陸軍も1個機械化歩兵師団が常駐している。人口僅か2000人の島に20倍近くの軍人が常駐する事になったが、それを可能にする大規模なインフラ整備が行われ、居住環境が大幅に改善され当初の反対意見は早い段階で無くなった。いい意味でも悪い意味でもディエゴガルシア『島』の先住民達は、ディエゴガルシア『県』として大日本帝国に同化され呑み込まれた形となった。
そしてそれは太平洋の南洋府も同様に、同化され呑み込まれていた。『南洋府(南洋諸島のマリアナ諸島、カロリン諸島、マーシャル諸島とグアム島・ミッドウェー島』は大日本帝国に於いて、広大な海洋面積を誇る。その中の夏島に海軍は鎮守府を設置し1個艦隊と3個領海警備戦隊を常駐させ、陸軍は南洋府全体で2個機械化歩兵師団を分散配置し、空軍も2個航空群を分散配置していた。
だが開戦初頭の攻撃により、ミッドウェー島が占領された事により南洋府の防衛体制構築は急がれた。
大日本帝国は南洋府制定後硫黄島や南鳥島・サイパン島・夏島・クリスマス島を筆頭に、主要な島は総じて要塞化していた。それは安全保障上必要な措置であり、広大な海洋に点在する島の利点を活かした結果でもあった。それは大日本帝国とオーストラリア・ニュージーランドの海上輸送路を保護するのと同時に、第一次世界大戦以来仮想敵国筆頭のアメリカ合衆国に備えてのものだった。だがアメリカ合衆国はそれを入念に調べて環礁の為に、重厚な構造に出来ていないミッドウェー島を奇襲したのである。これにより防衛体制構築は急がれる事になったが、そもそもが広大な南洋府である為に南洋府駐留陸海空軍の各司令官達は、当然ながら援軍があると思っていた。
だが皇軍統合作戦司令本部からは命令が届いただけであり、援軍は一切無かった。それに不満を感じた各司令官達は援軍を求める要請を出したが、それは皇軍戦略情報局の重大な情報により現状兵力での対応を、再度命令されるだけだった。




