大日本帝国軍兵力2
軍備拡張三カ年計画が始動した1900年。大日本帝国は経済成長五カ年計画を成し遂げ日清戦争開戦時のGDP40億円、国家予算3億円からGDP100億円、国家予算15億円にまで経済力を拡大させていた。年平均の経済成長率は約20.1%という異常な経済成長を遂げた。この経済成長率は大日本帝国本土が未だに欧米列強に比べて発展途上だったのと、併合された地域もほぼ未開の地であった事に理由があった。
この成し遂げた経済力はロシア帝国に匹敵する規模になりロシア帝国と同率で、世界第3位の経済力を有する帝国となっていた。それが大英帝国に日英同盟を決断させる理由にもなっていた。
史実大日本帝国は日露戦争開戦時の国家予算総額約2億7000万円の約48%にあたる、軍事予算約1億3000万円を投入していた。物語の大日本帝国は国家予算約15億円の約35%にあたる、軍事予算約5億2500万円を投入していた。史実の4倍にも及ぶ軍事予算を投入していた。
大日本帝国陸軍
常備軍:77万人(30個師団各2万人と要塞要員16万人、司令部等後方勤務要員1万人)
動員時:96万人(20個師団を予備役・後備役含むから編成)
編成:近衛師団(東京)、第1~第29師団(東京、北海道、仙台、長野、神奈川、大阪、兵庫、名古屋、広島、三重、熊本、福岡、アラスカ、朝鮮、満州、遼東、山東、台湾、海南)。各師団に歩兵(2個旅団)、砲兵、騎兵、工兵、輜重兵(各1個連隊)。
満州・山東・海南・台湾に大規模要塞を建設。巨大な46センチ連装砲を要塞砲の主力として装備している。江戸幕府時代からの冶金技術の粋を見せ付ける大規模な砲台である。
小火器
三三式小銃(8ミリ)ボルトアクション式で8発弾倉を備える。歩兵部隊の基本装備。
二式大型自動拳銃(9ミリ)近接戦闘用の歩兵装備である。8発弾倉を備える。
三四式機関銃(8ミリ)120発弾倉を備える、ガトリングガンに代わる歩兵支援兵器である。
火砲
三十四年式野砲(75ミリ)本格的な駐退復座機を備えている。これにより駐退機を利用すれば砲身のみが後退し、また元に戻るので、照準調整のやり直しは不要となる。また大砲の設置の際に、後退する場合を考慮する必要が無くなる。その為に砲撃速度は飛躍的に向上した。
大日本帝国陸軍編成
陸軍総軍とその傘下の第1方面軍・第2方面軍は変わらないが、軍備拡張三カ年計画により新たに朝鮮半島と満州・遼東半島・山東半島を担当する第3方面軍、台湾と海南島を担当する第4方面軍が新設された。
日清戦争の下関講和条約により大日本帝国の領土が大幅に拡大した為に、大日本帝国は『島国』でありながら『半島国家』であり『大陸国』となった。その為に陸軍も大規模に拡大された。
砲兵工廠も日清戦争の教訓と根本的な陸軍の拡大により大阪砲兵工廠と名古屋砲兵工廠のみならず、アンカレッジ・釜山・旅順・基隆・青島・元山・三亜に砲兵工廠が新設された。これにより銃弾・砲弾の大量生産体制が、欧米列強に比べて格段に整えられた。
大日本帝国海軍
戦艦14隻
装甲巡洋艦14隻
巡洋艦26隻
駆逐艦120隻
水雷艇88隻
工作艦22隻
補給艦40隻
合計324隻
第1艦隊編成
戦艦8隻
巡洋艦4隻
駆逐艦20隻
第2艦隊編成
装甲巡洋艦8隻
巡洋艦4隻
駆逐艦20隻
第3艦隊編成
戦艦6隻
巡洋艦4隻
駆逐艦20隻
第4艦隊編成
装甲巡洋艦6隻
巡洋艦4隻
駆逐艦20隻
要員:約4万2800人(艦艇乗り込み、陸上施設後方勤務合計)
艦艇
戦艦敷島級(敷島・朝日・初瀬・三笠)
全長145メートル、満載排水量17950トン、32センチ砲連装4基8門、16.5センチ砲単装16基16門、8センチ砲単装28基28門、4.7センチ砲単装16基16門、20ミリガトリングガン8門、19ノット
戦艦富士級(富士・八島・丹後・丹波)
全長130メートル、満載排水量15890トン、32センチ砲連装4基8門、16.5センチ砲単装16基16門、8センチ砲単装24基24門、4.7センチ砲単装12基12門、20ミリガトリングガン8門、19ノット
装甲巡洋艦八雲級(八雲・吾妻・出雲・磐手・浅間・常磐・須磨・日進)
全長120メートル、満載排水量13900トン、25.5センチ砲連装4基8門、15.2センチ砲単装16基16門、8センチ砲単装22基22門、4.7センチ砲単装12基12門、20ミリガトリングガン4門、23ノット
各艦に装備してある20ミリガトリングガンは魚雷艇対策の近接戦闘用として、陸海軍共有兵器として採用された。陸軍は師団装備としては機関銃を採用したが、要塞装備にガトリングガンを採用している。陸海軍共に固定装備で装弾数の多さ(200発)により制圧用として装備した。改良が加えられておりかつての手動式から、機関銃と同じ発射機構となっている。
大日本帝国海軍が成し遂げた『八八艦隊』の主力艦である。この八八艦隊が今後の海軍連合艦隊拡充計画の基本となり、後に第一次・第二次等と順次計画されていった
軍備拡張三カ年計画に於いては日清戦争前の横須賀・呉・佐世保・舞鶴・ダッチハーバー各鎮守府で、艦艇は大量建造された。それと同時進行で鎮守府の新設が行われ、釜山・大連・高雄の3カ所に建設され各鎮守府には工廠や燃料廠を併設し後方支援体制を万全にした。
同じく警備府も増設され海軍連合艦隊は、この拡充計画により『外洋海軍』として生まれ変わった。




