先遣部隊2
ロシア帝国に派遣されたロシア派遣軍司令官山下奉文大将はロシア帝国が帝都を遷都したモスクワに設置された、ロシア帝国軍総司令部を訪れた。ちなみにオスマン帝国に派遣されたオスマン派遣軍司令官は本間雅晴大将である。
スタフカは山下司令官の到着を歓迎していた。皇帝ニコライ3世も臨席し、ロシア帝国軍最高総司令官のミハイルトゥハチェフスキー陸軍元帥、陸軍参謀総長ゲオルギージューコフ陸軍元帥以下ロシア帝国軍首脳陣が全員集まっていた。
山下司令官はロシア派遣軍について説明を始めた。そもそも皇軍統合作戦司令本部は第二次世界大戦の戦域をロシア・オスマン・太平洋として、陸軍の投入兵力を各90個師団、合計で270個師団を戦力と策定したと語った。
だが90個師団全てが投入されるのでは無く60個師団を派遣軍として、残り30個師団は予備兵力となるのだ。そして各戦域に投入される60個師団の内訳を山下司令官は説明した。まずは機械化歩兵師団が42個となり戦線の維持と占領の主力を担う。機甲師団は15個であり、戦車を主力とした突破・機動部隊であった。そして空挺師団が3個となり合計60個となるのである。
90個師団というのは皇軍統合作戦司令本部が下した、戦略的判断によるものだった。この90個師団という数は、ロシア帝国や第二神聖ローマ帝国が投入している師団数に比べると、あえて数を少なく絞り込んでいた。これには理由があった。まずは『質』と『兵站』の重視だった。
何せ大日本帝国陸軍の師団兵力は重厚で強大なものとなり他国と比べて、火力と機動力に極振りした超重装備の組織だった。1個師団そもそもに圧倒的な火力と機動力があったのだ。大日本帝国陸軍の標準的な機械化歩兵師団を他国と比較すると、次の3点が際立っていた。まずは全員が半自動小銃を装備していた。大日本帝国陸軍は主力小銃として九三式小銃を配備しており、ガス圧作動方式により引き金を引くだけで連射できるセミオートしき小銃だった。それに対して他国の陸軍は1発撃つごとに手でボルトを動かすボルトアクション銃が主力であった。 これにより1人の歩兵が1分間に叩き込める弾の数が、他国の数倍はあったのである。
そして機械化歩兵師団の名前とおり完全機械化されており、 1個師団に約3000台〜約4000台の軍用トラックや高機動車を保有しており、榴弾砲もすべて軍用トラックで牽引するものだった。それに対して他国は軍用トラックの配備数が少なく、榴弾砲を引くのも物資を運ぶのも軍馬が主役であった。その為に進撃スピードと補給物資を運べる量が桁違いであり、大日本帝国陸軍は軍馬を一切使わなかった唯一の軍隊となるのだ。
最後は幕府陸軍からの流れを汲む凄まじい砲兵火力を誇っていたのだ。事前砲撃で砲身交換が必要になる程の砲撃を行うのは、大日本帝国陸軍だけだった。
これにより大日本帝国陸軍の師団は鋼鉄の暴風で押し出すという圧倒的な戦力を誇っていた。大日本帝国陸軍の1個師団が消費する弾薬量は、他国のそれの10倍以上と言われているのだ。大日本帝国の異常な生産力がそれを支えており『兵士の命を削るくらいなら、ガソリンと鉄クズ(弾丸)をばら撒け』という富豪の戦い方を徹底したのが、大日本帝国陸軍だった。
その大日本帝国陸軍が60個師団も派遣される事になり、ロシア戦線は大きく動く事になったのである。




