スモレンスク攻防戦2
中華民国無条件降伏の知らせは、ロシア帝国の士気を大いに高めた。ロシア帝国モスクワから西南西へ360キロドニエプル川沿いに位置するスモレンスクにて、ロシア帝国陸軍と第二神聖ローマ帝国陸軍は激戦を繰り広げていた。1939年8月7日の攻防戦開始から9日が経過しており、血で血を洗う激戦となっていた。
ロシア帝国は大日本帝国からの大規模軍事援助を受けて、驚異的な物量戦を展開していた。そもそもスモレンスク攻防戦は第二神聖ローマ帝国陸軍の歩兵部隊が装甲部隊へ合流し、東への進撃を再開した事で惹起した。だがそれまでに主な装甲部隊は1週間停止しており、攻撃が再開された時期には季節的な突然の暴風雨の為に道が泥濘化しており、部隊を進めることには困難が伴う状況で、数時間停止することもあった。その間にロシア帝国陸軍は防衛を固め、多くの橋が爆破していた。更にロシア帝国陸軍は第二神聖ローマ帝国陸軍の進撃を鈍らせるため多くの地雷を敷設していた。その為に第二神聖ローマ帝国陸軍は極めて限られた道を進撃路とせざるを得なかった。そしてこの遅延こそがロシア帝国陸軍装甲部隊による大規模な反撃を組織化する時間を与える事になったのである。
第二神聖ローマ帝国陸軍中央軍集団の目的はモスクワへの道を制する事となるスモレンスクの制圧であったが、第二神聖ローマ帝国陸軍が向かうドニエプル川と西ドヴィナ河付近はロシア帝国陸軍の防衛線、通称『トゥハチェフスキー線』の防衛範囲内であった。そこで激戦を繰り広げていたのである。ロシア帝国軍最高総司令官ミハイルトゥハチェフスキー陸軍元帥と陸軍参謀総長ゲオルギージューコフ陸軍元帥が直々に、スモレンスクでの防衛線構築を行ったのだ。
そして攻防戦開始後にトゥハチェフスキー最高総司令官とジューコフ参謀総長は視察を行い、前線部隊を鼓舞した。更にはジューコフ参謀総長直々に指揮を執る事にし、ロシア帝国陸軍は防衛戦を行っていた。そしてそこに中華民国無条件降伏の知らせが入ったのである。
これにより大日本帝国は周辺の安全確保が出来た事から、直接的な援軍派遣が可能になるとロシア帝国は判断したのだ。これで更に戦えるとして、士気は大幅に向上した。それに対して第二神聖ローマ帝国は、事態が悪化すると判断していた。何せ直接的に大日本帝国を拘束して時間稼ぎをする筈だった中華民国が、容易く無条件降伏してしまったのである。
しかも遷都先も含め首都を2度も占領され、全土も占領されるという徹底的な負けっぷりだった。あまり中華民国に期待はしていなかったが、ここまで早い敗北は予想外だった。その為にスモレンスク攻防戦を行う第二神聖ローマ帝国陸軍中央軍集団の兵士達には、動揺が広がっていたのだ。第2装甲集団司令官ハインツグデーリアン上級大将と第3装甲集団司令官ヘルマンホト上級大将は、攻防戦と部隊の士気維持の両方を考慮しなければならなくなったのである。




