中華民国無条件降伏3
その他の国民党・軍人・財界関係者についても、各種国際法違反者、人道にもとる行為をした者以外は、ごく一部を除いて当初の予測よりもずっと穏便な処置で済まされた。ただし全ての者が一度は公職から追放され、社会的な制裁も十分以上に実施する事とされた。国民党を支援した財閥も徹底的に解体する事が決定されていた。不正蓄財も没収の上で、税金の足しとされた。その上で大日本帝国の各財閥が、一種の経済植民地にするべく中華地域に進出する事になっていた。
黒崎総理が想定している占領統治後の新たな中華民国像についてだが、ある種の現実的な国家像になっていた。
中華地域の占領した各地では民族調査がかなり詳細に実施された。基本的に中華民国は蒋介石を中心とする独裁国家、全体主義国家なので少数民族が抑圧されていると考えられていた。混乱を避けるため統一国家としての再スタートの方が正統だとして、清朝の事を持ち出した者もいたが、清朝こそが前近代的な帝国主義だと断じられてしまい、大日本帝国は民族ごとの分離独立が相応しいと判断したのである。中華民国内からの声は完全に無視された。
そしてこの案を大日本帝国は、中華民国との戦争中から計画していたのだ。そして占領統治の中で、内モンゴルでの国民党軍の非道、以前から独立を訴えていたチベットへの高圧的な態度などが明らかになると、中華地域の民族自決が基本方針として強く前面に打ち出されるようになった。そして戦争中なので、事態は急速に進められていった。
それによりそれぞれの地域の占領統治と後の独立政府作りを手助けする事を大日本帝国は決定したのだ。東トルキスタン・内蒙古・モンゴル・チベット・雲南地域を中華地域から切り離す事が決められた。そしてこれらの地域は占領統治後に、独立政府が大日本帝国の支援により樹立する事になった。それに加え占領統治後は沿岸部全域を大日本帝国は割譲する事にしていた。計画として中華民国に残されるのは、10~11世紀にあった宋朝の領域にかなり近い地域だけだった。
歴史上阿片戦争から約百年かけて、中華地域が遂に分割されたという意見もある。このため大日本帝国が強烈な帝国主義を発揮したという意見は、後世においても根強いものであった。
中華民国は戦争中に官僚や軍人の多くが失われるか離散している事もあり、統治能力の低下を助長していた。このため大日本帝国が強い軍政を敷くしかなかったのも事実だった。現地政府を立てた上での間接統治が理想だが、したくても出来なかったのだ。しかも中華の多くの者が職業意識ではなく賄賂で動き、賄賂を渡さないと簡単にサボタージュするという酷さのため、大日本帝国による強い統治が進められる事となる。公正な税制と相応の経済安定があっても変化がなかったので、この点で中華社会に対する大日本帝国の態度は厳しかった。
だが戦争はまだ継続中で、これか大日本帝国はヨーロッパに進軍して行かなくてはならなかった。このため中華地域の統治に多くの労力、兵力を割くことはできず占領統治を実施する事になる南中派遣軍も順次警備用の軽装備部隊と交代する事が、皇軍統合作戦司令本部では決定していた。それと平行して設置する中華地域連合軍総司令部の任務に、軍閥など中華既存の軍事組織を大日本帝国式の再教育と訓練、そして監視のもとで利用する事にしていた。
必然的に統治能力は低下すると判断されたが、既に中華地域で連合軍に敵対する国家、政府がない事と、戦時と言うことで許容されていた。




