中華民国無条件降伏
中華民国首都重慶を占領し、無条件降伏した事は大日本帝国本土に報告された。報告を受けた皇軍統合作戦司令本部は総長の風間麗子海軍元帥が自ら、国防大臣の石原莞爾陸軍元帥に伝えに行った。そして2人は首相官邸に向かい、黒崎妖華総理に中華民国無条件降伏を報告したのである。黒崎総理にとっては待ち望んだ報告であり、第二次世界大戦における初期目標を成し遂げた瞬間だったのだ。
そこに情報を纏める為に少し遅れていた、皇軍戦略情報局長官の川島芳子陸軍大将も首相官邸に到着した。川島長官は中華民国全体の状況は落ち着いており、寧ろ中華民国統治時より安定していると語った。それは大日本帝国が明治維新以後全ての戦争に勝利し、領土を併合して来た成果でもあった。
明治維新による帝国主義たる大日本帝国になって以後、大日本帝国は世界史上初めて一貫して植民地は有していなかった。全てが領土の拡大である併合であり、権力と義務が同じの日本人としたのである。立憲君主制国家であるのを利用し国家元首たる、天皇陛下の下に全ての臣民は平等であるとされたのだ。
併合された人々にしてみればある日強制的に日本人にされるというある種植民地政策よりも強圧的なものであるが、権力と義務は平等に保障され文化も風習としては残るのである。そして以後は大日本帝国の地方になり汎ゆるインフラや社会保障が構築される事により、併合された地域の生活水準等は向上していた。その結果大日本帝国は戦争での占領地域も、将来の領土という前提で占領統治を行っていたのだ。それにより中華民国の占領地域は安定し、憲兵隊や駐留部隊は比較的に少数で事足りていた。
黒崎総理は中華民国の処遇について早急に決定するとして、緊急対策会議を開催する事にした。そして石原国防大臣と風間総長には中華民国の占領統治に関する詳細な計画を立案するように命じ、川島長官にも中華民国内の反日分子を摘発し治安維持を行う詳細な計画を立案するように命じたのである。




