アレキサンダー作戦2
1939年8月10日、オスマン帝国ババエスキでは第二神聖ローマ帝国陸軍とオスマン帝国陸軍が激突していた。第二神聖ローマ帝国は約100個師団約200万人・戦車は約1000輌・航空機は約900機・火砲約3000門を投入し、オスマン帝国は約80個師団約160万人・戦車は約800輌・航空機は約700機・火砲約1800門を投入していた。
オスマン帝国は兵士以外は全て武器・燃料・弾薬そして食料に至るまでが、大日本帝国からの大規模軍事援助により賄われており経済破綻したオスマン帝国の軍事力編成を助けていた。この大規模軍事援助は第二神聖ローマ帝国の想像を遥かに上回る規模であり、第二神聖ローマ帝国国防軍最高司令部の作戦会議での結果を最初から躓かせる程だった。
何せ第二神聖ローマ帝国にしてみればロシア帝国侵攻に難航している事から、迂回路としてオスマン帝国への侵攻を決定したのだ。その為にロシア帝国侵攻が最優先事項でありオスマン帝国侵攻には、あまり兵力を投入出来ないが経済破綻したオスマン帝国には十分だとして、約100個師団約200万人・戦車は約1000輌・航空機は約900機・火砲約3000門の軍事力としたのである。
それだけ投入すればオスマン帝国侵攻は簡単に成功すると思われたが、初期攻略目標であるババエスキにようやく接近出来た程だった。国防軍最高司令部での作戦会議では1939年8月1日のアレキサンダー作戦開始から、1週間後にはババエスキを攻略している想定だった。しかし現状では1週間以上経過してようやく、ババエスキに接近出来ただけだったのである。
オスマン帝国陸軍は大日本帝国からの大規模軍事援助により、それこそ第二神聖ローマ帝国陸軍を上回る規模の砲撃を敢行していた。それは壮絶でありオスマン帝国陸軍は、第二神聖ローマ帝国陸軍の侵攻を困難にさせる程の弾幕を加えていた。まさに大日本帝国からの大規模軍事援助のお陰であり、消費砲弾を気にする事無く砲撃が可能なのはオスマン帝国陸軍史上初の事だった。
更に制空権はオスマン帝国空軍がしっかいと確保していた。大日本帝国が大規模軍事援助で提供した航空機は全て戦闘機であり、制空権確保を優先したものだった。その為に第二神聖ローマ帝国は制空権を失いそこに圧倒的な砲撃を受ける事になり、作戦での想定以上に時間が必要になったのである。
しかも第二神聖ローマ帝国陸軍がようやく接近したババエスキは、第二神聖ローマ帝国が想定していたよりも防衛体制が構築されていたのだ。




