スモレンスク攻防戦
1939年8月7日。ロシア帝国モスクワから西南西へ360キロ、ドニエプル川沿いに位置するスモレンスクにてロシア帝国陸軍と第二神聖ローマ帝国陸軍が激突した。世にいう『スモレンスク攻防戦』の始まりだった。スモレンスクを攻めるのは第二神聖ローマ帝国陸軍中央軍集団所属、司令官ハインツグデーリアン上級大将率いる第2装甲集団と司令官ヘルマンホト上級大将率いる第3装甲集団であった。
ロシア帝国侵攻を続ける第二神聖ローマ帝国陸軍の北方軍集団・中央軍集団・南方軍集団に於いて、中央軍集団は第2装甲集団と第3装甲集団を与えられ、最大の戦力を有していた。そして第2装甲集団のハインツグデーリアン上級大将と、第3装甲集団のヘルマンホト上級大将は協力して作戦を遂行していた。
その2人にスモレンスク攻略が命令され、ロシア帝国スモレンスクには圧倒的な戦力が襲い掛かった。それは投入戦力に表れており、兵士約120万人・戦車約1200輌・火砲1000門というものだった。対するロシア帝国陸軍もスモレンスクに4個軍を配備しており、兵士約80万人・戦車約1000輌・火砲約800門となっていた。
第二神聖ローマ帝国にとってはこのスモレンスクは、もっと早くにスモレンスクを攻略している計画だった。だが第二神聖ローマ帝国の想定以上にロシア帝国は抵抗を続けていた。それは当然ながら大日本帝国がロシア帝国に対して、大規模な軍事援助を行ったからであった。その大規模軍事援助があったからこそロシア帝国は、国家としての総力を戦争遂行にのみ全力投入出来たのであった。
そしてこのスモレンスクに第二神聖ローマ帝国が接近しているのを察知したロシア帝国は、ロシア帝国軍最高総司令官ミハイルトゥハチェフスキー陸軍元帥と陸軍参謀総長ゲオルギージューコフ陸軍元帥が直々に、スモレンスクでの防衛線構築を行った。
ロシア帝国としては大日本帝国からの大規模軍事援助を活かした、ある種物量戦を展開する事にしたのである。何せ自国での生産能力を圧倒的に上回る規模の生産力を誇る、大日本帝国からの大規模軍事援助でありその量はある種異常なものになっていた。
だからこそロシア帝国はスモレンスクで第二神聖ローマ帝国を迎え撃つ事を決意したのである。そのスモレンスクを舞台にした、激戦が始まろうとしていた。




