アレキサンダー作戦
1939年8月1日、第二神聖ローマ帝国がオスマン帝国への侵攻を開始した。それは大日本帝国皇軍戦略情報局が入手した通りの作戦開始であった。第二神聖ローマ帝国はロシア戦線に、約350個師団約700万人・戦車は約8000輌・航空機は約7000機・火砲約1万2000門を既に投入している事から、オスマン帝国にはあまり大規模な部隊を投入出来なかった。
その規模は約100個師団約200万人・戦車は約1000輌・航空機は約900機・火砲約3000門であった。これが第二神聖ローマ帝国が新たな戦線に投入可能な兵力だった。何せロシア帝国は予備役動員により約400個師団約800万人・戦車は約7900輌・航空機は約6000機・火砲約2万門を投入しており、ある意味拮抗した兵力となっており、趨勢を決するとはいかないが、侵攻を進めるか食い止めるかの戦いにはなるものであった。
まさに人類史上最大の戦線にロシア戦線はなっており、その上更にオスマン帝国へ侵攻するとなると兵力の確保からして第二神聖ローマ帝国には負担だった。しかしロシア戦線がある種膠着状態になりかける程に進撃が停滞している為に、第二神聖ローマ帝国は状況打破に迫られオスマン帝国侵攻を決定したのだ。
だがオスマン帝国侵攻の情報を掴んだ大日本帝国は、大規模な軍事援助をオスマン帝国に行う事にした。これによりオスマン帝国はある種全てを大日本帝国に依存する事になりながら、第二神聖ローマ帝国の侵攻に対抗する為に『防衛』にひたすら特化した軍事力を整備した。
何せ1935年にオスマン帝国は経済破綻を招いており軍備増強は鈍化しており、そのまま第二次世界大戦勃発を迎える事になった。そして今迄は第二神聖ローマ帝国の視線がロシア帝国に向いていた為に、何とかなっていたがロシア戦線への迂回路としてオスマン帝国が目をつけられた事から、防衛体制の構築が最優先事項になった。
それを大日本帝国は承知であった為に、武器・燃料・弾薬・食料という全面的な大規模軍事援助を開始した。そんな中でオスマン帝国は苦心して編成した兵力は、約80個師団約160万人・戦車は約800輌・航空機は約700機・火砲約1800門となった。
兵士以外全てが大日本帝国からの軍事援助により編成されており、経済破綻した国家の悲哀があらわれていた。だが国家存亡の危機となる第二神聖ローマ帝国の侵攻であり、オスマン帝国は全力で防衛戦を開始したのである。




