朝敵の烙印
江戸城の大広間。蝋燭の火が障子に揺れ、畳に重い緊張が漂う。14代将軍・徳川家茂は上座に立ち、幕臣たちの前に毅然と佇んだ。家茂の決断――薩摩と長州を朝敵と指定する――は、京都所司代を通じ、朝廷に極秘裏に直訴されていた。そして5月15日、その布告が日ノ本全土に発せられた。薩摩藩と長州藩が朝敵となった衝撃は、日ノ本全土に響き渡った。幕府の繁栄――1772年田沼意次の開国による経済力拡大、1859年のアラスカ購入――は、薩長の尊皇攘夷を抑えきれなかった。老中首座井伊直弼は家茂の傍らで、薩長の倒幕計画を御庭番が掴んだと報告していた。
家茂は幕臣を見据え、声を張り上げた。「皆のもの、薩摩と長州は幕府を倒し、帝を担いで日ノ本を乱そうとしている。御庭番の報によれば、薩長は既に同盟を結び、倒幕の兵を挙げつつある。だが我々は田沼の開国以来、経済力を拡大し、鋼鉄の海軍と近代の陸軍を築いた。日ノ本は清国の轍を踏まぬ! 薩長を朝敵とし、幕府の名の下に討伐する。これこそ、新しき国家への第一歩となるのだ!」
幕臣たちが息を呑んだ。老中の一人が呟いた。「朝敵とは、戦国のごとき内乱を意味する。上様、かくも大胆な決断を!」井伊直弼は静かに進み出た。「上様の志は、船中八策に示された。幕府自らが大政奉還し、議会を開き、男女平等の新国家を築く。だがその前に、薩長の乱を断ち切らねばならぬ。軍務奉行に命じ、陸海の全軍を動かす」
家茂は頷き、命じた。「軍務奉行、薩長連合を討伐せよ。幕府陸軍と幕府海軍を出撃させるのだ。日ノ本の未来を、鉄と血で守る!」
江戸城の練兵場では、幕府陸軍10万名が整列していた。その幕府陸軍の指揮官は女流剣士・中沢琴である。男装で長刀を手に、5個師団を統率する。彼女の姿は船中八策の『男女平等』を先取りして体現しており、幕臣を驚愕させた。第1師団は中沢琴の直属である。幕府陸軍の1個師団は2万名(ミニエー銃1万挺、68ポンド砲100門、24ポンド砲200門、ガトリングガン40挺、足軽2000名刀と短銃、竜騎兵4000名刀とミニエー銃)が基本編成であった。第2師団は近藤勇が司令官、2万名(同構成)。第3師団は土方歳三が司令官、2万名。第4師団は沖田総司が司令官、2万名。第5師団は斎藤一が司令官、2万名。各師団はフランス式密集隊形、プロイセン式集中砲撃、ガトリングガン掃射、刀と短銃による近接戦で、薩長の旧式装備を圧倒する準備を整えたていた。
江戸の港では、幕府海軍100隻が汽笛を鳴らした。幕府海軍は勝海舟が指揮官を務める。幕府海軍の主力を務めるのは鋼鉄船大龍級10隻であった。そして主力の鋼鉄船大龍を補完する巡洋艦鳳翔級が20隻存在する。そして補助艦70隻――外輪船と戦列艦、旧式ながら列強では現役――は輸送と補給を支える。
幕府海軍は第1艦隊と第2艦隊が編成され、各鋼鉄船5隻・巡洋艦10隻・補助艦35隻ずつが配備されていた。第1艦隊は幕府海軍指揮官勝海舟が直属し、第2艦隊は榎本武揚が司令官を務める。長崎造船所で国産化された鋼鉄船は、年10万トンの製鉄で鍛えられ、薩長の木造船を一掃する。
家茂の演説が響く中、幕臣の一人が進言した。「上様、薩長は強大です。内乱は日ノ本を分断する可能性はありませんか?」井伊直弼が変わりに答えた。「薩長の倒幕は、既に戦を仕掛けたも同然。琴殿と勝殿の軍は、鉄と血で乱を鎮める。大政奉還は、その後に我々が成す」
1865年5月18日、幕府軍は出撃した。中沢琴率いる幕府陸軍は幕府海軍の補助艦に乗り込み、幕府軍は陸海軍共同で、薩摩藩を目指した。薩長の志士たちは、朝敵の烙印に怒り、尊皇の旗を掲げた。日ノ本の歴史は、鉄の巨艦と血の嵐の中に突入した。




