虎のたどり着いた森
寝つけない人が穏やかな夜を過ごせますように。
そんな想いをこめて一話完結の物語を綴っていきます。
このお話を読んでくださった、あなたが眠れますように。
昔むかし、ある森に虎が流れ着きました。
虎は遠くの土地からやってきました。群はありません。
森の動物たちは、虎の風貌に慄いて、近づこうとしませんでした。
虎はそんな扱いも気にはしませんでした。
虎のいた土地は、草や木の少ない、荒れた岩の場所でした。
そんな中で「食べる」ためには、他人を構ってなどいられなかったのです。
ある時、虎が森を歩いていると、とてもキレイな花を見つけました。
そんなものを見たことがない虎が、思わず「美しい」と口にするほどに。
虎は、初めて見たそれを誰かに伝えたくなりました。
誰かいないかと歩いていると、今度はとてもいい匂いの、とても瑞々しい果実を見つけました。
口にした途端、「なんておいしいんだろう!」とビックリするほど、それは新鮮なものでした。
虎はわくわくしてきます。
「おいしい」も、「美しい」も、初めての感動です。
「誰かいないか」
虎は、のっそりと森を歩き始めました。
うっそうと繁る薮の中には誰の姿も見えません。
ただがさがさと木々が揺れる音がします。
動物たちが虎を恐れて身を潜めている気配です。
虎は、気づかず歩き続けました。
すると、視界が開けて湖が現れました。
虎はその辺で一休みすることにしました。
腹ばいになると、初めて「独りだ」ということを感じました。
嬉しい気持ちを伝える人がいない。
これは、とても寂しいことです。
虎はなみなみと豊かな水面を覗きこみました。
そこには一匹の虎が映っています。
虎は、仲間だと思って話しかけました。
「やあ、君も一人かい?」
「さっき、そこでとてもキレイな花を見つけたんだ」
「その先には、とてもおいしい木の実もあったよ」
「君はそんな経験があるかい?」
虎は口をぱくぱくする、波打つ虎に向って言います。
「僕は初めてだったよ」
相手の虎は口を動かすだけで一言も発しません。
これでは聞いているのかいないのかわかりません。
虎は少しがっかりしました。
話すことをやめ、再び腹ばいになると、頭の上で小鳥がチチチと鳴きました。
「やあい虎さん、湖に向って独り言を言ってらあ」
虎は空を仰いで言いました。
「独り言じゃないよ、そら、向こうに虎がいる」
「それは水に映ったあなたの影だよ」
小鳥は高いところなら虎は届くまいと、遠慮もなしに笑いました。
「影だって? ……通りで返事のないわけだ」
虎は今度こそがっかりして、頭を垂れてしまいました。
小鳥は怖い顔をした虎が落ち込んでいることに驚いて、尋ねました。
何があったのかと問われ、虎はぽつりぽつりと話しました。
キレイな花を見つけたこと。
おいしい果実を見つけたこと。
誰かに話したかったこと。
誰もいなかったこと。
それを「寂しい」と、―――感じたこと。
今までの土地ではそんな感覚はなかった。
「不思議なんだ」
虎は、ぽつりと言いました。
「ふうん」
小鳥は、いつの間にかすっかり馴れて、虎の頭の上に止まっていました。
あんまり飛びっぱなしで羽が疲れてしまったため、牙の届かない額に足を留めたのです。
「君は、鳥は食べるかい」
「いいや、僕は血が苦手なんだ。そのことを馬鹿にされて、前の土地から追い出されてこの森へやってきたんだ」
「それじゃ、君は僕を食べないね」
「どうして僕が君を食べるの?」
虎は心底きょとんとして小鳥を見つめました。
小鳥はチチチッと楽しそうに鳴いて、高く空へ飛びました。
「それじゃあ今日から僕らは仲間だ! 楽しいことも哀しいことも共に話そう。昨日のことも明日のことも」
「今日あった出来事は?」
「もちろん聞かせてくれたまえ。そうして僕も君に話すよ」
虎は嬉しくなって、ガオッと一声鳴きました。
小鳥は「うひゃっ」と肩を竦めましたが、それは怖いからではありません。
どれだけ虎が嬉しいか、その気持ちがジンジンと伝わってきて、くすぐったかったからです。
「おおい、小鳥くん!」
二人の楽しそうなやり取りを聞いて、森の奥からうさぎや熊やキツネが集まってきました。
「やあ、みんな」
小鳥は仲間にいきさつを話すと、新たに友情を結んだ虎を紹介しました。
「血が苦手な虎だなんて変わってるなあ」
「それじゃ、おいしい木の実の場所を教えてあげるよ」
「キレイな花も好きなんじゃないか?」
虎を囲んで、みんなは口々に言います。
虎は嬉しくて、嬉しくて、目が回るくらいに頷きました。
木の実も、花も、これから始まる今までにない日々を、分かち合える仲間を見つけたのです。