無力
「ーーーーーっていう事があったんですよ。何かちょっと不気味で...」
兵舎についた奈白は早速見つけたブラズに見たままを伝えていた。
「うーむ。何だろうな?結界が破られたり傷付いたという報告もこちらには上がっては無いようだが…。まぁ、俺もそんなに偉い立場じゃないから話がまだ届いてないのかもしれんが。新手かもしれんから上に報告して見回りの数を増やすよう掛け合ってみよう」
(割りとすんなりと受け入れてくれたな…。異常がないなら気のせいだなんて言われるかと思ったけど…)
「ありがとうございます!じゃあ俺はこれで」
「あぁ、こちらこそ情報ありがとう。気を付けてな」
去り際、再度振り向くとブラズは何やら空中に向かって話している様子。
(手には何も持ってないように見えるが、この世界の連絡方法だろうか?)
奈白は黒い液体の落ちたらしき方へとまた戻っていった。
何故自分で不気味だと、危険だと思った場所へ立ち入っていくのか。
漠然とした根拠の無い自信が頭の端に沸いては消える。
異世界に来たのだから何かしら得体の知れない強力な力が備わっているんじゃないかと。
漫画で見た英雄のように、誰かを救えると。
この世界に連れて来られた意味が自己の中で都合良く集束していく。
ただ、そうであって欲しいと。
土地勘の無い知らない街で、さっき見た光景を思い出しながら、もうすぐ近くまで来ていた。
慢心した正義感だけを携えて。
周りを見回すと巡回らしき装備の人物がチラホラ散見される。
(おぉ、行動早っ!よし、見回りもいるみたいだな…。たしかここら辺だったと思うんだけどなぁ)
路地裏にも入り、更に奥へと進む。
「すみません。この近くでスライムみたいな…ヘドロみたいなドロドロの黒い液体が降ってきませんでした?」
1階の窓から顔を出して、密集する建物の頭からかろうじて先端だけが見える塔の方角を見つめていた男性に声を掛けてみた。
「……何故…?」
男性は急に話しかけられたせいか驚いた表情を見せる。
「いや、見間違いかもしれませんけど何か変なものが落ちたんですよ。気になっちゃって」
ハハハと笑う奈白の視界が一瞬歪み、ふらつく。
「おい、君?」
「…すいません。あまり食べてなくて。…アハハ、疲れてるのかな?」
一瞬だけの視界の歪み。
正確には視界全体ではなく、目の前で話していた男性の姿が歪んだ。
ほんの一瞬、到底人間とは思えない異形の形相を伴って…。
「…君、見えてるね?」
「…は?」
「…何故…見えてるのかと聞いているんだ」
表情が無い。
問いと同時に急に目の前の男から生気が無くなったというか、死人と話しているような気分に襲われる。
これ以上話してはいけないと本能的に肌が震え、手足を動かせと体温が上昇するのを感じた。
次の瞬間、急な衝撃と破壊音とともに家の一部と奈白が吹き飛ばされ地面を転げていく。
「ぅぐッ…!?」
(何だよ、こんなの…)
巻き上がった砂煙の中、男が近付いてくる。
一瞬にして傷だらけだ。
対抗するための武器は持っていない。
一緒に飛ばされてきた瓦礫を力一杯投げ付けるが、ただ虫を払うかのように簡単に弾かれる。
「君の記憶も頂いた方が良さそうだ」
「何言ってんだよ…」
たとえここが異世界だとしても、あまりに異常すぎる行動に奈白はほとんど確信に近い疑惑を抱く。
そして目の前に立った男は一つ身を震わせると身体の一部を獣と言うには禍々しく、いわゆる怪物と呼ぶに相応しい姿に変容させていく。
人間を丸飲みに出来そうな程バカでかい口に、鋭い爪のあるドラム缶程の太さの右腕。
人間の体と怪物の体がアンバランスに共存している。
「気持ち悪いですか?ふふっ、人間の口では食べるのに小さ…過ぎましてね」
やっぱりか、という言葉の代わりに少し震えた息が漏れ出る。
奈白は手首・足首等身体の可動を簡単に確認すると、振り下ろされた怪物の巨碗をなんとか躱しながらバッと立ち上がり、来た道を猛ダッシュで駆けた。
(無理だった、無理だった!やっぱパワーアップしてねぇわ俺ッ!クッソ、どうにかなると思うじゃん異世界来たんだしぃぃぃ!)
小路、路地裏を駆け抜け、さっきの記憶を頼りに近くにいた見回りを探しながら走る。
数秒の静けさの後、後ろの方から激しい衝突音と建物の倒壊する音が近付いてきた。
「オーイッ!!お巡りさァァァん!バケモンに追われてまぁっす!助けてぇぇぇぇッ!」
怪物はいつの間にか全身を完全な怪物の姿に変えて大きな体を揺らしながら迫っていた。
4足歩行。口の更に大きい太ったコモドドラゴンのような。
ドラゴンになれなかったカエルのような。
不格好な見た目ではある。
「うぉい!マジかよ。こっちだ、抜けていけ!」
「はいッ!」
衛兵は奈白が横を通り抜けた瞬間、取り出したサイコロのようなキューブを2~3個目の前に放ると、それに対して魔力を放出した。
「バリシルドッ!!」
空間に巨大な魔法の壁の様なものが2重3重と連なり急に現れ、怪物は激突。
衝突の衝撃により、現れた防壁はすぐさま2つほどガラスの割れたような音を響かせ粉砕された。
「アルバより本部。モーレ区にてエンカウント。繰り返します、モーレ区にてエンカウント。変異体の可能性あり。応援願います」
衛兵の男は空間に話しながらさっきのキューブを再度複数個取り出している。
「体当たりだけで2枚持ってくかよ普通…。バリシ…!」
また防壁を出そうとした瞬間、残された1枚の防壁がぶち破られ、破り出た巨腕の勢いそのまま衛兵を薙ぎ払い飛ばした。
後ろを振り返りながら走って見ていた奈白はその光景に再度速度をトップギアに入れ直し、腕を振り切り走る。
「なんなんだよ…コイツはマジでッ!ちょっと聞いただけだろぉッ!!」
逃げ惑う民衆には脇目も振らず一直線に怪物は奈白を追い掛け続け、道を曲がる度に綺麗に曲がるつもりのない怪物の巨体が音を立てて建物を抉っていく。
必死に走り続け、いつの間にか食事処の見える場所まで戻ってきていた。
後方確認後、店の方をチラリと見るとあの女の子が顔を覗かせているではないか。
「うっさいわねぇ!一体何の騒ぎ…」
「バカッ、隠れてろッ!!」
「うわ!バカはどっちよ!なんてもの連れてきてんのッ!?」
他の客は慌てて店の中に隠れたりするなか、隠れるどころか女の子は飛び出してきて腰に携えた袋に手を突っ込むとジャラッと音を鳴らし、ビー玉くらいの玉をその手一杯に握りこぼしながら取り出すと奈白の方へ向かって頭上高く放り投げる。
「頑張って避けてよ!…堕ちろッ、シューティングスターッ!」
「嘘だろオイ…」
奈白が慌てて前方に飛び込むと、そのすぐ後ろを様々な属性を持った槍の様なものが超速度で連射的に降りそそぎ、後ろを来ていた怪物に次々と着弾していく。
さながら流星群が墜ちたかの如く被弾した地面は抉れ、多量の土煙が舞い上がる。
一瞬の静寂の後、土煙を掻き消すような巨碗の一振り。
「…ぁあぁぁ…痛いですねぇ」
怪物の体に無数の切創、裂傷、刺傷等あるものの傷は極めて浅いようで、無力化には至らない。
「硬ぁぁぁ、何なのよこいつ!?」
「何か、空から落ちてきた…みたいな?」
「はあ?こんなデカイのがどうして落ちてくんのよッ!?」
言いながら女の子は腰の袋に再度手を入れジャララと玉を取り出すと溜め息混じりの不満と一緒に怪物に向かって放り投げる。
「貫けッ、ラピッド・ショット!」
先程と同じく無数の玉が槍のように姿を変え様々な属性を発しながら、超速度で今度はまっすぐ地面を走っていく。
ーーードパパパパパァン!と、もはや鋭利なものが突き刺さる音とは思えぬような音が轟く。
続け様にジャララと音を鳴らし、取り出した手一杯の玉をぐっと握り締めるとほのかな光を孕み少しだけ大きな一つの玉へと変わった。
その玉を怪物の頭上へと振りかぶって投げる。
「押し潰せッ、ミル・グランデ!」
巨大な独楽のようなものが激しく回転しながら急速落下。
怪物の体に重くのしかかり、重さと回転とで皮膚に食い込んでいく。
しかし、すぐに踏み外したかのようにガタンと回転独楽が外れ地面に落ちて消えていった。
「あぁもう!やっぱだめか。逃げるわ…よ」
女の子が奈白の手を引き走り出そうとしたその時、この世界に来て間もない奈白にも見知った顔が衛兵を連れて現れた。
「あ…」
「遅れてすまない。後は任せてくれ」