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想いはいつまで憶えられているのだろう?  作者: 並矢美樹
国番匠
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国番匠

 「てぇーへんだ ! てぇーへんだ !」


 大声を上げながら若い男が走って来るという珍しい事態に、部落の中にいた者たちは一斉に顔を出した。

 何が起こったのか、確認に誰かを外にやる必要もなく、その声を張り上げている男が土間へと入って来て、その理由を言った。


 「てぇーへんだ 、番匠様が橋から落ちた」


 「で、どうなったんだ。 親父は無事なのか?」


 「心配ない、水面に落ちたので大きな怪我はない。 周りにいた者がすぐに気がついて、川の中から助け上げた。

  ただ、落ちた時に腰を打ったようで、まともに動けず、今、戸板で運ばれて来る。

  寝床を大急ぎで用意してやってくれ」


 村の川に架かる橋は、落ちた親父自身が頼まれて架けた物だが、そんなに大きな橋ではない。 暑い時期には、その橋から川に、子どもが飛び込んで遊ぶ程度の橋なのだ。

 その橋が架かる川も、通称は大川と呼ばれているけど、それはこの山間の地では、他は本当に小さな沢川しかないので、それらとの比較では大きな川という程度の川なのだ。

 ただ、橋が架かっている部分は地形の関係で水深が少しだけ深くなっていて、以前は渡る為に迂回する必要があった。 その不便を無くすために橋が架けられていたのだ。


 大急ぎで、母屋ではなく隠居屋の方に布団を伸べるのがやっと間に合うだけの間で、また喧騒が近づいて来た。

 滅多にない騒ぎに、部落の者が集まってきたのか、親父を乗せる戸板の周りには多くの人が集まってきた。


 「番匠様、大丈夫か? 生きてるか」


 「生きているわ。 勝手に殺すな」


 「番匠様、目が覚めたか。 欄干で居眠りしちゃ、危ねぇぞ」


 「目が覚めるどころか、せっかくの酔いまで醒めてしまったわ。 全くもったいないことに。

  しかし、流石に川に落ちたのは失敗だった」


 「そりゃそうだ。 普通、欄干に腰掛けて居眠りして、そのまま後ろに落ちる者なぞおらんぞ」


 その言葉を聞いた番匠様の苦虫を噛み潰したような顔が可笑しかったのか、戸板の周りに集まった者たちの中に爆笑が起こった。

 最初の緊迫感はすぐに消えて、もう普段あまり変化のない生活の中に今後何年にも亘って話の種となる出来事が起こったという、何だかお祭り気分のような雰囲気になっている。


 「この酔っ払いのくそジジイが、まだ日も高いのに、一体何をやっているんだ。

  こんなに村の衆に迷惑を掛けて」


 「まあまあ、お松さん。

  ちょっと腰を打って、今は立って歩けないらしいが、大して怪我もしていないようだ。

  番匠様もちょっと酒が過ぎたようだが、これで深酒は懲りたんじゃないか。

  まあ大したことはなかったんだ、良い薬だったんじゃないか」


 「このくらいのことで、このくそジジイが懲りるもんかね。

  大川を登り歩くどころか、溺れ死に掛けても、それでも懲りるもんかね。 この大酒飲みは」


 この言葉に集まった者たちは、またドッと笑った。


 「大川を登り歩けるは我一人」


 これが番匠様の口癖だったからだ。 でもこの言葉には続きの下の句がある。

 「国番匠とは我のことなり」と。


 番匠様はそっぽを向いて、その言葉を聞いていない。

 番匠様は片方の耳が全く聞こえないので、そちら側の耳を向けていると、ほとんどその方向での会話など聞こえないのだ。

 うるさい老妻の小言を、完全に無視しようとしている訳だ。


 「とにかくお義父さん、濡れた着物を着替えて、寝床に横になってください。

  いつまでも戸板に乗っているわけにもいかないでしょうから。 着替えは用意してあります」


 「たまき、ありがとう。 そうさせてもらおう。

  川に落ちた時に腰を打ったのか、痛くて敵わんから少し横になる」


 「はい、そうしてください」


 「全くこのくそジジイは、儂の言うことは何も聞かないくせに、嫁の言葉にだけは従いやがって」


 「当たり前だ。 五月蝿いだけのババアの言葉を誰が聞く」


 「誰がババアだ。 あんたの妻だろうが」


 「そう言うなら、ジジイ、ジジイと喚くな。 もう耳にタコができたわ。

  あ痛たっ!!」


 「ほら番匠様、腰が痛くて動けねえんだから、いつもの勢いでお松さんとやり合えはしねえだろう。 とにかく今は、たまきさんの言うように、早く布団に寝転ぶことだ」


 「仕方ねえな。 今は休戦だ」


 「ほら、お松さんも怒ってねえで、手伝ってやれ。 喧嘩はしても、大事な旦那さんだろう」


 「こんなジジイ、大事なんかであるものか」


 その言葉にまたムッとした顔をした番匠様だけど、そうは言いつつ濡れた服を脱ぐのを手伝う妻のお松さんに対して、それ以上の憎まれ口は止めたようだ。

 実際問題として、濡れた服を脱ぐために立ち上がっていることでもかなりの痛みがあるようで、文句を言うどころではなかったようだ。

 私は母親の肩を持つつもりもないのだが、良い機会だと思って言う。


 「親父、親父の酒は悪い酒だ。 良い機会だ、これをきっかけに酒をやめたらどうだ。 どうせ、飲みだせば止まらないのだから、初めから飲まなければ良い」


 「まあ兄貴、今回はちょっと酷かったが、いつもはそれ程じゃない。 せいぜい酔っ払って動けないのを担いで来るぐらいだ。

  やめろじゃなくて、控えろよ程度で良いんじゃないか」


 私は番匠様つまり親父の不様な酔態を見て、自分では酒は一滴も飲まないことに決めている。 体質的にもどうも酒は合わないようで美味いとも思わないから、それが苦痛でもない。

 弟は逆に体質が親父に似たのか、酒を自分でも飲む。 それで親父に甘いのかも知れない。


 「それなら、これからはいつもお前が担いで来い。 だいたい3に2は俺が担いで来る羽目になるじゃないか」


 本音を言えば、そんなことは問題じゃない。

 番匠様と周りの人に呼ばれ、自分で言うだけでなく他の大工たちに国番匠と一目も二目も置かれる親父に、そういった酷い醜態を晒して欲しくないのだ。


 親父の名前が国太郎で、その名前をもじって国番匠と言われている訳ではない。

 国一番の、国と言っても昔風の国の意味だからこの地方のくらいの話だけど、その中で一番の大工という意味の国番匠だ。 その昔なら、何か大きな普請があれば、都からの使者に呼ばれることもあるという、そんな地位にある大工のことなのだ。

 だけどそういった機会は、時代も悪くて、親父の生涯には一度も訪れなかった。 どんなに腕があっても、それを活かすことが出来る機会がなくては、大工は何も残せないのだ。


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