深夜ラジオ
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私の趣味はラジオを聴くことだ。読書や映画鑑賞と比べると、少しマイナーな趣味かもしれないが、私にとっては生活の一部と言っても過言ではない。
時には勉強しながら、時には何もせずただぼーっと、スピーカーから流れる音声に耳を傾けると、不思議と心が安らいだ。ラジオを聴いている間は嫌なことも全部、忘れることができた。
亡くなった母の遺品である古いラジカセは音質があまり良くないが、これでラジオを聴くことで母と繋がっているような気がするのだ。
子どもの頃、このラジカセで母と一緒に子ども向けのラジオ番組をよく聴いていたっけ。
机に突っ伏して想い出に耽っていると、聞き慣れたオープニング曲が流れた。
深夜零時から始まるこの深夜ラジオ番組は、人気芸人がパーソナリティを務め、視聴者からのお悩み相談に生放送で答えるという内容になっている。
恋愛相談や仕事の悩み、どうやったら石油王と結婚できるかなんてものまで、多種多様なお悩みに芸人が時には軽快なツッコミを入れ、時には真剣に向き合う。その絶妙な空気感が好きで、いつか自分のお便りも読んでもらいたいと思うようになった。
そしてつい先日、お悩み相談にメールを送ってみた。まあ、そう簡単に採用されることはないだろうと諦め半分で全国のお悩み相談を聴いていた。
番組も終わりに近づいた、その時だった。
『え〜それでは最後のお便り行きましょう。東京都の……え?【今貴方の後ろにいるの】さんより……?怖っ!なんやねんこのラジオネーム!?いないよな!?後ろに誰もいないよな!?』
「嘘!?」
採用された!
思わず椅子から立ち上がり、ガッツポーズを決めた。
少しでも目立つように変わったラジオネームを付けたのが功を奏したのだろうか。一生分の運を使ってしまったかもしれない。
『まったくやめろや悪ふざけは。チビったらどうすんねん。気を取り直して……えー、こんばんは。いつも放送楽しく聴いています。突然ですが私には優しくて大好きな母がいました。一年前他界してしまったのですが、苦労ばかりかけて、何の恩返しも出来なかったのが心残りです。今の私に出来ることは何でしょうか……なるほど。出来ることなぁ……』
暫しの沈黙。適当に答えようとせず、真剣に考えてくれているのだと分かり嬉しくなる。
いったいどんな返事が貰えるのだろう。期待と不安が入り混じる。
徐々に速度を上げていく心音と、滲み出る汗。少しでも平静を取り戻そうと、ペットボトルの麦茶を手に取った。
『ーー自首してください』
沈黙を破ったのは、いつもの軽快な関西弁ではなく、冷たい声で紡がれた標準語だった。声質は同じなのに、まるで人が変わったようだ。
口元まで持ってきていたペットボトルがするりと手から滑り落ちて、床に茶色い水溜まりを作った。早く拭かなければいけないのに、身体が凍りついて動かない。
今、なんて言った?
ジシュって、あの自首?
『お母さん、今スタジオに来てます。怒ってますよ。あの時貴方に崖から突き落されたこと』
心臓が止まるかと思った。
母がスタジオにいる?そんな馬鹿な話があるわけない。母は間違いなく死んだのだ。悪ふざけだろうか。
だとしても、送ったメールは匿名なのに、母の死因が崖からの転落であることを何故知っているのか。いや、そんなことより、何故私が突き落としたことにされているのか。
確かにあの日、私と母は二人で登山に出かけた。登山は元々母の趣味で、一緒に行こうと誘われたのだ。険しい山道を慎重に進んでいたけれど、母が突然バランスを崩して……手を伸ばしたけれど間に合わなかった。あの時のことは悔やんでも悔やみ切れない。それなのに、どうしてそんなことをーー
混乱する私を置き去りにして、芸人は淡々と話を続ける。
『確かにお母さんも言い過ぎだったと思いますよ。貴方のこと失敗作呼ばわりしたのはね。でもだからって突き落とすことはないでしょう』
ーー失敗作。
その言葉に、頭を殴られたような衝撃を受けた。その衝撃で閉ざしていた記憶の扉が無理矢理こじ開けられていく。
ああ、思い出した。あの時、ついカッとなって母の背中を押してしまったんだ。つまり、私がお母さんをーー
いや、違う。私は悪くない。お母さんが悪いんだ。私を失敗作だなんて言うから。私を否定したから。
昔はそんな人じゃなかったのに。優しくて大好きだったのに。私が受験に失敗してから態度が変わったのだ。まともに口を聞かない日がずっと続いていた。
だからあの日、母が一緒に行こうと誘ってきたから、登山なんて別に興味がなかったけれどついて行ったんだ。母なりに私との関係を修復しようとしてくれたんじゃないかと思ったのに、その期待はあっさり裏切られた。
私は悪くない!あんな人、死んで当然なんだ!
もうこんなラジオ聴いていられないと、電源ボタンに手を伸ばしたその瞬間ーー
『ーーいますよ、後ろに』
その言葉に、一気に血の気が引いた。
『【今貴方の後ろにいるの】さんの後ろに、いますよ。お母さん。直接話したいそうなので、そちらに伺わせましたから。それでは』
それを最後に、ブツっとラジオが途切れた。部屋が静寂に包まれたと同時に、背後に冷たい空気と懐かしい気配を感じる。
ーー母だ。そう直感した。
先程までの怒りが引いて、代わりに恐怖が込み上げる。
「……ッ、ごめんなさい!ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい」
祈るように両手を組みながら念仏のように唱えるも、気配はどんどん近づいてきて、私の背中にぴたりと張り付いた。
殺される……!
手足がガタガタ震える。全身にぐっしょり汗をかいて、喉がカラカラに乾いている。
「本当にごめんなさい許してくださいお願いしますお願いします……」
ドッと押し寄せる後悔と自責の念に押しつぶされそうになりながら、目をぎゅっと瞑る。
「まったく仕方のない子なんだから」
背後から降ってきたのは穏やかで優しい声。
それは、紛れもなく母の声だった。
ああ、私はこの声が好きだった。母のことが好きだった。
それなのに、なんであんなことをしてしまったんだろう。死んで当然だなんて、どうして思えたんだろう。きちんと話し合って、やり直すきっかけはいくらでもあったのに。
私はきっとどうかしていた。こんなに優しくて大好きな母を手にかけるなんてーー
「許して……くれるの?」
「もちろん」
涙がとめどなく溢れ出して、視界が滲む。
夜が明けたら自首しよう。全て正直に話そう。何もかも失うかもしれないけれど、きちんと罪を償って、やり直そう。許してくれた母のためにも。
立派な人間にはもうなれないけれど、せめてこれ以上失敗作にはなりたくないから。
「ありがとう、お母さん」
勇気を出して振り返る。穏やかに微笑む母の顔はあの頃と変わらない。
安堵した瞬間、その笑顔が剥がれ落ち、憎悪に満ちた表情に変わった。
「ーーもちろん、許すわけないでしょう。私があなたを突き落とすつもりだったのに。本当に失敗作なんだから」