料理屋
ナーダ諸島は、その名の通り何もない島々だ。
僅かにココヤシの生えるだけだったこの島々が変わったのは、百八十年前、ゼントラン大陸からサウザン大陸へ向かった王国の移民船団のうち、一隻が嵐で航路を外れ。ナーダ諸島最大の島ナーダの西の、小島のある珊瑚礁に座礁したことが切っ掛けだ。
移民船に乗っていた生存者四百名は生き残りを賭けて必死に足掻き。それでもバタバタと死に。次々に死者が出る中で新たな命も誕生し。
と演劇や書籍になるようなサバイバル劇を繰り広げた。
そして九十年前。ゼントラン大陸東方に位置する皇国の探検隊が、たまたまこの島々にたどり着き、弱っていた生存者とその子孫を保護したことで、この島の開拓が本格的に始まったのだ。
開拓は、生存者達が発見し『ただの洞窟』と思われていたモノが、二十年前に自然銅の採掘ポイントのある『ダンジョン』と判明してから加速した。
生存者達が必死に植えたココヤシの林は拡張されて立派なココヤシ畑となり。強い日差しを利用した塩田も、小さいながらも造られた。ダンジョンに潜る冒険者達の腹を満たすために漁師も増え、ヤギ牧場も造られている。
そんな、開拓と発展の熱気の中にあるのが、ナーダ諸島だ。
***
『変わった店がある』
ナーダ諸島唯一のダンジョン『粘液蠢く坑道』に潜る冒険者達の間で、そんな噂が流れていた。
『粘液蠢く坑道』はD級ダンジョンとはいえ、馬鹿みたいな広さと稼ぎの良さから、多くの冒険者が潜るダンジョンだ。多く、とはいえ、ナーダ諸島の開発はまだまだ始まったばかりなので、三百人も潜っていないだろうが。
そんな、大陸のダンジョンからすれば小さな界隈なので、その噂の出所もすぐに分かる。
「あそこか」
ナーダ諸島唯一のB級冒険者であるガル・ドゥオモは、ひと仕事終えた昼過ぎ。そんな噂の出所と思われる店の前に立っていた。
店はナーダ諸島によくある、ココヤシ製の柱と天井に、天井に安物の魔道ランプが垂れ下がるだけのシンプルな構造だったが、カウンターの壁が漆喰だということにガルは驚く。
(高くなかったか漆喰?)
漆喰は、ナーダ諸島では得られない石灰岩か、採掘の禁じられているサンゴが主な原料らしい。そんな漆喰が、カウンターとその向こうのキッチンの全面に使われていることに、ガルは目眩がする思いだった。
(一体いくらかけたんだよ!?)
これは、金持ちの道楽の店かもしれない。ガルはこの店にあまり期待しないよう覚悟を決めて、カウンター席に座る。幸いなことに、昼時は過ぎていて店にはあまり客がいなかった。
「いらっしゃい!」
女の声に驚くが、何の気負いもないその声から店員に声をかけられたのだろう、と思って声のしたカウンターの向こうを見ると。
「は?」
そこには『美』があった。
ミスリルみたいな銀の髪は肩の上で切られて赤いバンダナに収められ。ルビーみたいな瞳は全てを見通されているかのよう。肌はナーダ諸島の住人らしくよく日に焼けていて、顔は人形みたいに整っていた。惜しむらくは、着ている服がピナス麻の安物のシャツとエプロンだということだろう。
そんな『美』は、彼女が口を開いた途端壊れた。
「ん? お客さん初めて見る顔ですね」
人懐っこい声に、ガルは目の前の『美』が人間であることを思い出す。
「あ、ああ」
ガルは何とか意識を復活させ、答える。
「同僚に勧められてな。なんでも美味いメシが食えるそうじゃないか」
「同僚……、ははぁさては冒険者の方ですね。ウチは美味くて量が多いからね。その分、少しだけお高いけれど」
「なーに、この島で金の使い道なんて限られてんだ。多少高くても毎日食えるから、気にすんな」
事実、ガルは毎日大銀貨五枚も稼いでいた。大銀貨三枚もあれば、ひと家族四人が一か月は慎ましく生活出来る額を、一日かからずに稼げるのだ。
「いいねぇ。じゃあ、何にします?」
店員の挑発的な表情に、ガルはニヤリと笑う。
「この店で一番高いのをくれ!」
「おけおけ。予約の要らない中で、一番高い料理ですね」
そう言うと、店員はキッチンの奥へ行く。
「って、お前が料理人なのか!?」
「そうだよー。ついでに店主でもある」
帰ってきた気楽な声に、ガルは何だか心配になる。
(大丈夫かこの店……)
女、しかもあんな細くて綺麗な奴が料理人とは。女の料理人はいないことはないが、どいつもゴツい腕と背筋をしていた。
不安に思っている間に、店主はカウンターの前に立ち、透明な蓋のしてある木箱に入ったピンクや赤の肉を見せる。
「これが、元となる『マグロ』の『サク』です」
「マグロ!?」
ガルは恐怖に立ち上がる。
「お、お前! 『マグロという魚は腐りやすい』のは冒険者でも知ってるぞ! 腐ってたらどうする!?」
「腐ってないことを見せてるんですが」
苦笑する店主の言葉に冷静になり、ガルは椅子に座って『サク』を観察する。
「……魚のことはよく分からんが、肉の感覚で見ると新鮮そうだな」
「でしょう? 冷凍して半月経ってないものなので」
「冷凍?」
「凍らせるんですよ。箱、触ってみて?」
言われるがまま、木箱の部分を触ると。
「……冷たい」
まるで故郷の冬降る雪のような冷たさだった。
「でしょう? この冷たさが、マグロが腐らない秘訣です」
「……なるほど」
記憶を辿ると、確かに、雪の下に置いていた野菜は中々腐らなかった。それと同じことをしているのだろう。
「ということは、魔道具か?」
「ええ。私、本職錬金術師なんで」
「なるほど」
錬金術師といえば、魔法と道具作りのプロフェッショナルだ。モノを凍らせる道具位、作れるのだろう。
「まずは『解凍』してと。……では、いきます。見ててもいいですよ?」
その誘いに乗り、ガルは腰を上げてカウンターの向こうで行われる『調理』を見る。
「まずは『赤身』です」
木の板の上に置かれた赤い『サク』を紙で触れるように拭うと、店主はサ、サ、サ、と一口大に切っていく。何でもない動作のようだが、どの切り身も同じ厚さだ。ここに至るまでに、店主は多くの鍛練を積んできたのであろう。
「次は中トロです」
包丁を紙で拭き、赤身と同じよつにピンク色の『サク』を切っていく。赤身の時と音が違う。柔らかそうだ。
「最後は大トロです」
包丁を紙で拭いた後、ピンク、というよりも白にピンクが混じったような『サク』を紙でサッと拭う。拭うのに使った紙はまるで血糊を拭ったかのようにベトベトしている。
それだけで凄い脂だと分かるが、『サク』が切られていくにつれて、包丁が明らかに脂のものと分かるテカり具合でテカるので明らかだ。
それらが、黒い陶器の皿の、何やら香草らしき葉っぱと赤と緑の海藻の上に並べられる。
「『マグロの刺身三種盛り』です。この『醤油』を付けて食べてください」
ガルの目の前に置かれた皿は冷気を放っていて、『サシミ』とやらが痛まないよう工夫されていることがよく分かった。
「では」
神々への祈りを済ませると、ガルは早速フォークを握り、どれから食べようか思案する。
「まずは……、アカミ、か」
赤いサシミにフォークを刺し、口へ運ぶ。
「!?」
それは確かに、魚の肉だった。だが、まるで肥った鶏のような、それでいてちゃんと魚な脂の旨味と、肉独特の血の香りが融和して舌に広がる。
「マグロは、こんなに美味いんだな」
「ちゃんと処理すれば、ですけどね」
店主の声を聞き流し、中トロを口へ。
今度は、豚肉のような脂に魚の旨味が乗っている。肉の感じは減ったが、その分食べやすく感じた。
「柔らかい」
ほぼ噛まずに砕けていった中トロに残念な気持ちになる。
「大トロはもっと柔らかいですよ」
「ほほう」
乗せられるがまま、大トロを口にすると。
「!?!?!?!?」
口の中で溶けた。
魚の凝縮された旨味が、口の中を蹂躙する。慌てて差し出された木のコップの冷えた水を飲むも、旨味が舌に残っている。
「……すさまじいな、大トロ」
「ですので、好き嫌いが分かれるんですよね」
確かに、老人や女子供は嫌がりそうな脂だ。
だが、ただ切っただけの魚の肉でこの美味さ。ガルは圧倒された。
「次は、是非この醤油を使ってください」
「ん? ああ」
差し出された、魚醤らしき黒い液体の注がれた、小さく、平らに近い小鉢に怪訝な視線を向けるも、『意味があるのだろう』とガルは赤身からショーユを付けて食べる。
「んん!?」
旨味が、変わった。
旨味は魚のものだけだったアカミが、醬の旨味と混ざって昇華されている。おまけに、血の臭さも減って食べやすくなっている。
(これは!?)
中トロも付けてひと口。
脂の旨味が先程よりも強調されたというのに、大トロみたくくどくない。美味い、という言葉は、この中トロのためにあるようだ。
続いて大トロ。
「嗚呼……」
天国に登るかと思った。口の中が幸せだ。脂のくどさが全て旨味に変わって、甘くなっている。
この幸せを長く味わうため、ゆっくりと、しかし素早くガルは刺身を食べる。途中店主に勧められた『オオバ』で海藻と大トロを巻いて食べるやり方も試したが、それも絶品だった。
「……なくなってしまった」
「そんなに美味しかった?」
「ああ」
「でも、あれで銀貨一枚するのよね」
「三皿」
「ん?」
「三皿、追加で頼む。金は払う」
「まいどありがとう!」
食べ終えてから聞いたが、あの店は『ナーダ水産』というらしい。
「……今度は、後輩と来るか」
ガルは、その時が今から楽しみだった。
書いてみた感想
料理も食事も描写難しい!