流されてまいりました。―弐
険しい山や深い森など、厳しい環境の多いこの仙境。たが、人里との境界付近は四季があり、土地も気候も比較的穏やかで、暮らしやすい土地であった。まあ、獣の代わりに、妖ものの類が時折うろついているのだが。
そんな若干サバイバル込みなその土地には、しっかりとした造りではあるが、けして豪奢ではなく、質素なごく普通の一軒家という感じの住居があった。普通よりも少し広めのその家の生活感が、今だ人が暮らしていると示している。近くには、丁寧に整備された畑もあった。朝のうちに世話されたその畑は、まだ芽を出したばかりの作物が、その柔らかい葉の上に滴を湛えて虹色に反射させていた。
そして、昼餉の熱も冷め切る頃、ようやく住人の影が遠くから見えはじめた。
「ふぅ。今日の外でのやる事は、こんなもんか。」
そう言って、その家の主である老爺は、背中の荷物入りの籠を下ろした。
いつものように、夕餉の支度をする。そろそろ菊も帰る頃か。今日も平穏だった。娘も独り立ちして、仕事もほぼ隠居になったが、相変わらず術の探求はとどまるところを知らないし、興味は尽きない。今度同じものを試すときは、あそこの呪詛を弄ろうか。隠居してから退屈ではないけど、少しは刺激も欲しいな。
‥‥そんなふうに、一日を振り返っていると。
‥‥タタタタタタタタタ
なんだ、菊の奴、随分忙しないな。そんなに腹が減ったのか。
ダダダダダダダダダダタダ
ん?尋常じゃないな?珍しいもんでも拾ったか?
ドドドドドドドドドドドッッ
より激しくなったな。これは、戸を
―――、バゴオォォーーーンッッッ!!!!!
蹴破るな、と思ったタイミングピッタリで蹴破ってくれた。ほんと、想いって通じるのね。以心伝心。これこそが、長年の夫婦の賜物か。いや、関心しとる場合でなく。
「おかえりだが、急いでても蹴るなと言って―――」
「――はぁっ、はぁっ、‥‥じいさん!」
珍しく、息を切らせている。修業馬鹿で体力おばけの菊が。
そのことは、彼女と長く一緒に過ごし、また知り尽くしているからこそ、ただ事ではないのだと、すぐに察知した。
「どうした!!何があった!!!」
菊にしては余程急いだのか。彼女の姿を見ると、髪や衣服が少し崩れている。目の前に大妖がいきなり出たって動じないのに。一体何事か。
ふと背中を見やると、幼子をおぶっている。ぐったりとしていて、顔色が悪い。意識も無いようだ。
そうか、それなら焦る。目の前の幼い命が一刻を争うなら、そりゃあ。
「その子か、その子になにがあった!!とりあえず、寝かすぞ。」
布団をしいて、子供を寝かしてやる。
――酷い。これは、酷い。着物も身体も、顔もボロボロ。おまけに、苦しそうに悶えてる。これなら、急いで来るのもわかる。
「なんだこれは!一体、だれがこんな――。」
「じいさん!」
息が整ってきた菊が、少し重そうに口を開く。
「実はな、その子は、いつもの川で修業してたら、川上から流れてきて――」
菊が、この幼子を拾った経緯を話した。それを聞きながら手当の準備を始める。
「そうか。そんなことが。これは、ぐずぐずしてられん!すぐに――」
「それでな。」
少しそわそわして、先程よりも口が心持ち重くなっている菊が話す。
「仙桃食わせたんだ。」
そうか。なら、命に別状はないだろう。よかった。こういう事にはパニックを起こしがちな菊だったけど、案外、冷静じゃないか。成長したな。
「そうか、それは懸命じゃないか。けど、余程傷が重かったのか――」
「5つばかり。」
「そうか、それは大変だっ」
は?今なんと?
思わず、看病の手が止まる。
仙桃は、人には1つきりだ。でなければ、仙桃の霊力が暴走する。それを、この人は――
「もう一回」
思わず間の抜けた質問で聞き返す。
「だから、―――5つばかり食わせちゃったんだ‥‥!すまん!!!」
いやいやいや。1つだけでいいって。それを、5つ??いやいやいや。
治るんだって。1つで。てか、こんだけの怪我人に普通の桃でも5つは多いぞ。いや、今はそこじゃなくて。
ああ、とにかく、治療しないと。怪我か?いや、霊力が先か?どうしよう、あせるな、危険。
現に、目の前の奴がやらしている。わしまで焦るな。
ていうかな、全く、確かに、焦ったのは分かるけども、それじゃ――
「それじゃダメでしょうっっっ!!!!」
と、思わずおかんみたいな叱り方をしてしまった。
先程冷静だったとか、成長したとか。前言撤回だ。
――そして、彼は思った。確かに望みはしたが。
とんでもない刺激がきてしまった。
忙しくて、だいぶ遅くなりました。
すみません(>_<)