表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

また夜が来る

作者: 良田めま

 僕の暮らす村は、とても貧しい村だ。貧しいだけでなく、旅人も訪れないような僻地にある。

 なんとか食い扶持を確保しようと、あちらこちらに畑を作り、乳を搾るためのヤギが数頭飼育されている。その合間に、数十戸の家がぽつぽつと点在しているといった有様だ。

 隣の家の人に「おはよう」と挨拶するのに数分歩かねばならず、子供の僕などは、丸一日母以外の誰にも会わないこともある。村の子供は僕の他に数人いるが、あまり遊ぶことはない。というより、遊ぶ暇がない。この村では、七歳の子供であっても重要な労働力だ。僕も日々母の家庭菜園を手伝っている。他には近くの川で魚を捕ったり、山菜を集めたり。

 森には入るなと言われている。西に広がる黒い森には、とても恐ろしい化物が住んでいるのだと、村長が怖い顔で言っていた。


 村長の話によれば、その昔、村ができるよりも前、西の森はこの辺りまで広がっていたそうな。その端っこを切り拓いてできたのが今の村なのだが、不運なことにこの地には化物が住んでいた。木こりや移住予定者が何人も化物に襲われ、喰われたと言う。しかし生き残った者が知恵を絞って化物を罠にかけ、終には倒すことができた。人間の勝利だ。

 じゃあなんで今さら化物に怯える必要があるのか。村長はその疑問にも答えた。

 見た人がいるのだと言う。


 村長がまだ子供だった頃、生まれたばかりの子ヤギが夜のうちに殺された。どうやら喰われたらしく、残っていたのは頭と骨だけだった。狼か何かにやられたのだろうと、村の男たちは数人で見張りを立てることにした。狼は恐ろしいが、大事な家畜を何度も殺されては堪らない。鍬や斧を装備した十人ほどの屈強な男が夜通し警戒にあたった。

 そしてそれは来た。幸いなことに、群れではなく単数だった。これならやれる、と彼らは思ったことだろう。

 しかし、月の光に照らされたそれの姿が見えた時、男たちは悲鳴を上げた。


 長く細い手足。一見人のようにも見えるが、指先には鋭い爪が伸びている。薄汚れた躰に襤褸をまとい、ざんばら髪がたてがみのように首や背にまとわりつき、背を丸く歪めた姿はまさに異形。何よりも、針のような前髪から覗く右目は、見ている方が正気を失うような悍ましいものだった。

 本能で分かる。あれは血に飢えた化物だ。化物の生き残りが森から出てきたのだ。


 一人がからんと鍬を落とし、悲鳴を上げながら走り去った。続いて一人、二人。屈強な男たちは決意をあっけなく瓦解させ、逃げ出した。残ったのはただ一人。それも、恐ろしさのあまり足が震えて動けなかった者である。


 翌朝、ヤギの無事が確認された。代わりに、一人の村男が命を落とした。逃げ遅れた男は立ったまま、下半身だけをその場に残して果てていた。


 ――というようなことを、村長はさも自分が見てきたかのように語った。思うように語れた満足感からか、僕たち村の子供を見回す顔はつやつやしている。反対に、僕以外の子供はみな恐ろしさに口を閉ざしていた。小さな女の子などは目に涙まで溜めている。僕はと言えば、聞いたことのある話だったし、今さら驚くのものな、といった感じだ。そんな僕を見て村長は訝しげに眉をひそめたが、特に何を言われるでもなく、無事に家へと帰り着いた。


 数日は平和に過ぎていった。僕の周りでは、少なくともそうだ。

 僕は母と二人暮らしだ。父親は昔死んでしまったらしい。それを聞いた時、母は特段悲しそうでもなく、僕もふうんと相槌を打つだけだった。過去に何があったとしても、もう過ぎたことだ。取り戻せないし、やり直せない。そういった現実を見なければならない環境がここにはある。

 実のところ、僕は飢えていた。しかし母はもっと辛いだろうと思う。小さな畑で取れる作物は、ほとんどが僕の腹に収まった。ここ数年、作物の実りが酷い。今年は特にそうだ。雨が降らず、土地は痩せる一方。実が生っても小さすぎて、味も不味い。他の家でも似たような状況らしい。子供が多い家など、口減らしする案さえ出ているようだ。


 そんなさなか、事件は起きた。いや、あれは事件と呼べるものだったのかどうか。

 前述した口減らしだが、何軒かが実行に移した。どうせならまとめてと考えたのか、昼のうちに幼子五人ほどを西の森に置き去りにしたらしい。そのうち比較的年嵩だった子が、真夜中に戻ってきて家の戸を叩いた。家族は戸を開けようとする者と開けまいとする者に分かれて押し問答したが、不意にノックする音が途切れたのだと言う。「ギャッ」という短い悲鳴。ビシャリ、と何か液体のようなものが戸に張り付く音。ガリ、ムシャリ、と固い物を砕き引き千切るような音。

 異様な雰囲気が扉越しにも伝わり、家族は身を寄せ合って朝まで震えた。そして翌朝戸を開けて見たものは、予想通りと言うべきか、捨てた子供の変わり果てた姿だった。

 目を見開き、口をぽかんと開け、耳にはさっそく蛆が出入りしていたそうな。首から下は骨しか残っていなかった。喰われたのだ。

 狼の仕業だと言う人はいなかった。みな、森の化物が村にやってきて子供を喰ったのだと確信していた。それは自分たちが生き延びるためとは言え、子を森に捨てた罪悪感から来るものだったのかもしれない。


 いずれにしても、喰われた子供は死ぬ運命だった。化物が喰わなくても森で獣に襲われたか、はたまた飢えて死んだか、生き残る道は万に一つもなかっただろう。

 その判断をしたのは大人たちだ。なのに母親は子の亡骸に寄り添って泣き、父親は無念さに項垂れ、埋葬を手伝う人々は口々に家族を慰める言葉を放っている。

 僕はわけが分からずに母を見上げた。母は美しい顔に微笑みをたたえ、優しく僕の頭を撫でてくれた。


 その事件――出来事――から一ヶ月程が経ち、村では再び口減らし計画が動き出そうとしていた。

 さっきは口減らしをした大人を穿つようなことを言ったけど、僕は別に口減らし反対派というわけではない。自分が対象にされればその限りではないが、今のところ僕が捨てられる可能性はないし。口減らしは子供の多い家庭から出されるのが通常で、僕は母との二人暮らしだから。

 ともかく、人数を減らさなければならないということは、それだけ生活が逼迫しているということだ。逼迫なんていうもんじゃないかもしれない。昨今の不作は、村の存続が危ぶまれる程の酷さである。集落が滅びれば大体の人は生きていけないし、口減らしも已む無しと言ったところだろう。


 そしてもう一つ。村長から、決して夜外を出歩かないようにというお達しが出た。子が一人食い殺された件はその日のうちに村人全員が知るところとなったし、言われなくてもみなそうしただろう。しかし、きちんとお触れを出すことで、万が一犠牲者が出た時、言いつけを守らなかった当人の責任だと非難を逃れることができる。巧妙である。


 こうして人々は夜が来るたびに戸口を固く閉ざし、怯えて過ごすようになった。口減らし計画も順調に進み、第二陣が選出され、新たに三人の子供が捨てられた。


 その日の夜のことである。僕はふと目が覚め、薄暗い部屋の中を起き出した。なんとなく土間へ行くと、母がこっそりと外へ出ようとしているところだった。母と目が合った僕は首を傾げて尋ねた。母はにこりと微笑み、人差し指を唇にあてる。子供の僕から見ても艶やかな仕草だ。男なら一発で落ちるだろう。

 僕は不満げに口を尖らせ、出て行く母を見送ってからベッドに戻った。天井を見ながら思うのは、母が向かった先である。さぞかし楽しみにしていたのだろう。あんなに嬉しそうな母の顔を見るのは久しぶりだもの。


 ずるいなあ。

 僕もお肉が食べたいよ。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ