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「いやー、お疲れ様でございました来栖教官!現場の方々の貴重な声、ご意見!やはり重みが違いますなぁ!」
壇上で小一時間ほど熱弁を振るい終え、ホールの外に続く通路へと足を踏み入れる。その瞬間に、スーツ姿の中年男が駆け寄ってきた。でっぷりとした腹の上で辛うじてジャケットのボタンを留め、バーコードのような模様に禿げ上がった頭の上で、雀の涙程の髪の毛が、走る度にそよそよと上下している。見ているだけで暑苦しくなる光景に、来栖は軍服の襟元をわずかに緩めた。
「おべっかは止めていただきたい。それに元はと言えば、こういう事はあなた方政府の職務なのでは?私のような一介の軍人が、中学生相手にPR活動など……それも、ダイバー2期生の公募とは……」
「いやいや、やはり現場で実際に教鞭を執っている来栖教官のお話があってこそ、使命感に目覚めた生徒達が次期ダイバーへ志願してくれるというものですよ。そりゃ確かに、現在1期生の指導をされている貴女からすれば、2期生の募集っていうのは面白い話じゃないでしょう。1期生がまだ探査へ向かう前だというのに、すでに2期生を集めようとしているわけですから。けどそれって別に、1期生が失敗すると思って次善策を用意しているわけじゃないんですよ?でも、ほら、ね?万が一って事も有り得るじゃないですか。それに備えるのも我々の役目というか……」
狸め、と内心毒づいて、来栖は睨むように目を細める。大方、彼女が女性であるのをいい事に、こちらの事を広告塔ぐらいにしか思っていないのだろう。随分と舐められた話だった。
「それで?その使命感に目覚めた生徒達というのは、何人ほど残りそうですか?」
「いやぁ、それは、えっと……」
途端に、歯切れが悪くなる。それを見ただけで、後に続く言葉が概ね予測出来てしまった。
「この後の施設内見学に参加する希望者は、20名程で……いやいや、これでも充分凄い数なんですよ?我々が募集かけた時なんて2、3人残るか残らないかくらいですから」
「興味本意で来ていた連中が、帰っただけの事でしょう。好都合です。命懸けの仕事が、半端な覚悟の奴らになんて務まりませんから」
取りつく島もない、淡々とした口調で彼女は言った。そして、再び男が弁舌を振るおうとするのに先んじて、続け様に口にする。
「改めて言わせていただきますが、今後このような仕事はお断りします。私の職務は、ダイバー達の生存率を少しでも高めるため、彼らを鍛え上げ、生き抜く術を身に付けさせること。私は、彼らの命を預かっている身です。断じて、あなた方の広告塔ではない」
少しばかり強い口調で告げてやると、流石に男は一瞬押し黙る。しかしそれも刹那の出来事で、次の瞬間には、
「ええ、ええ!まことに、仰る通りでございます!ですが、まあ、今後は今後として、とりあえず今は施設内見学の引率に参りましょう!私も同行させていただきますので!」
などと、脂ぎった顔に分かりやすい作り笑いを浮かべて口にしだしたため、来栖は内心で舌打ちをしていた。
それからきっかり10分後、『使命感に目覚めた生徒達』とやらを20名程引き連れ、来栖教官による施設案内が開始される。しかし、施設とは言っても、ここはあくまで訓練所だ。その名の通り、大半が体を鍛える為の設備である。訓練生達がむさ苦しく体作りに勤しんでいる場面ばかりを見たところで、得られる物があるかと問われれば、甚だ疑問だった。
案の定、演習場、プール、ラペリングなどを見た辺りから生徒達の表情に飽きの色が表れてくる。だからといって、他に彼らの興味を惹ける設備があるわけでもなく、ならば「食堂のチーズささみカツカレーがウマイ」とかそんな事が聞きたいのかと問われれば、そういうわけでもないだろう。
「ここが射撃訓練場だ」
何もない八王子市の山奥を存分に開拓して作られた施設なだけに、敷地面積ばかりが無駄に大きく、移動するのにも時間がかかる。案内を開始してから数十分、彼らを射撃訓練場まで連れてくる頃には、大半の生徒から『使命感』が抜け落ちていた。
「おや?あれ?ひょっとして、あれ『サヤちゃん』じゃありません?」
何やら興奮ぎみに言い出したのは、件の男だった。どうやら、今まさに射座についている少女に、心当たりがあるらしい。
「私テレビで見た事ありますよ、彼女!クレー射撃の選手でしたよね?何でこんな所にいるんです?」
概ね、この男の認識は外れていなかった。今彼らの目の前で銃を握っている少女は、クレー射撃の名手としての実力と、それを17歳という若さで成し遂げたというエピソード、そして整った顔立ちとで、一時期取り沙汰になっていた事があるのだ。今も、黒髪を後ろで束ねただけの髪型に、化粧っけのない顔をしているが、黒目がちで丸みのある大きな瞳や、それを守る長い睫、小ぶりな口など、どこか儚さを覚えさせる種類の美人だった。
「……『こんな所』にいる時点で、分かると思いますが。彼女……鷺沢沙耶香は、魔素への耐性を認められ、ダイバーとして選ばれた一人です」
「へぇ~、そうだったんですね!いや、ほら、彼女って確か、大きな大会の前に突然引退宣言をして、話題になっていたじゃないですか。まさか、クレー射撃の選手からダイバーなんかに転身しているとは、思いもしませんでしたよ!」
一々神経を逆撫でする言い方に、来栖は眉をひそめる。この男の中で、果たして人類の危機とはどれ程のウェイトを占めている物なのか、頭を割って確認したいところだった。しかし、男が騒ぎ立てた事もあってか、生徒達も些かの興味を呼び起こされたようだ。真剣に的を狙う彼女の事を、何人かの生徒が熱心に眺めている。
「ひょっとして、他にも有名人がいたりするんですかね?」
「確かに、彼女のように各分野で優秀な成績を残した人間も、中にはいます。経歴は関係ない、とまでは言いませんが、しかし私にとっては、彼女も教え子の一人に過ぎません。他の者たちと同じように鍛えていますよ。では、そろそろ次の場所へ」
未だ名残惜しそうに鷺沢の事を眺めている生徒達を連れて、来栖は一旦建物の外に出ると、別塔へと向かう。先述したが、限られた時間で全施設を紹介しようとすれば、当然ゆっくりしている余裕はないのだ。
「ここの道場では、主に対人格闘の……」
そう言って、来栖が引き戸を開けた、直後だった。ズドン、と重い物を落としたような音が、道場内へと響き渡る。何事かと総員が目を見開いていると、身長180cmを悠に越えるだろう大男が、今まさにマットの上に倒れ、沈んだところだった。そしてその向こう側に、恐らくは組手をしていた相手だと思われる少年が、肩で息をしながら立っていた。
「おお、凄いですね……あの体格差で……彼も、何かの選手だったりするんですか?」
「いいえ。半年前までは普通の高校生だった奴ですよ。今じゃ、対人戦闘では5本の指に入る程ですが」
来栖はそう答えながら、倒れていた男に近付くと、手を貸して体を起こさせる。それから、彼女は対戦相手の少年に目を向けた。
「火宮、お前はそろそろ加減の仕方を覚えろ。全力で相手を打ちのめすだけが、戦闘ではないと言っているだろう」
「はっ!肝に銘じます!」
170cm前後のごく平均的な身長、短めに切り揃えられた黒髪、目付きばかりが鋭い顔立ちと、見目には凡庸な少年は、ハキハキと答えて敬礼をする。見るからに平凡そうなこの少年が、大男を殴り飛ばしたという事実に圧倒されているのだろう、見学中だった生徒達は呆気にとられたように口を開いていた。
「……えっと、教官?これは……?」
衆目に晒されている事に戸惑い、少年は視線を泳がせる。すると、例の太った男が徐に近付いてきて、半ば強引に握手を求めてきた。
「いやぁ、君のような優秀なダイバーがいてくれて、心強いよ。実はね、今ね、ダイバー2期生の公募をしていてね、そのための施設見学なんて事をやっているんだよ。つまり、君の後輩になるかもしれない子達って事!良かったら君からも、何か意気込みとか、そういうのを聞かせてあげてくれないかな?」
「何か……って……そんな唐突な……」
少年は、しどろもどろになりながら、言葉に迷う。その様子を見かね、男の不遜な態度にそろそろ嫌気がさしていた来栖が、口を挟もうとした時だった。
「言ってやれよ。ここにいる連中、大体が金の為にやってるってさ」
先程少年に殴り飛ばされた男が、面白くなさそうな口調で、吐き捨てるように言った。その一言で、場の空気が瞬間的に悪くなる。
「魔素への耐性を持った連中はな、ダイバーに志願した時点で、莫大な金額の金を支払われる。まあ、こちとら命懸けなんだから、そのくらいしてもらわないと、割りに合わないわな。そしてその上、ダイバーとしての職務を終えた暁には、一生遊んで暮らせる生活を保証されている。大概の奴が、それ目当てで参加したって連中だ。俺を含めてな。別に、世界を救うだのと本気で考えている奴は……」
「少なくとも俺は、本気で考えてるぞ」
遮るように口にすると、少年はグッと詰め寄った。自らより遥かに大きな男を見上げるようにして睨めつけ、彼は威圧感のこもった声で続けた。
「綺麗事ばっかり言ってもしょうがないから、汚い部分の話もするけどな、確かに俺達は金で雇われた身だ。だがもし、俺達が失敗したとしてみろ。何も無ければいいが、もし仮に『向こう側』の怒りを買って、攻撃に本腰入れてくるような事態になったら……俺達の住んでいるこの国が、世界が、ズタボロになるまで追い込まれたりしたら……その時、一体誰が生活を保証してくれるっていうんだ?」
不服な顔をしながらも、男はグッと押し黙る。少年の言に、いくらかの説得力がある事を認めたのだろう。彼はそれ以上何も言う事なく、少年に背を向けると、その場を後にしようとする。
「目先の銭に踊らされずに、後の事を気にかけろよ。その金を充分に使う為にも、まずは世界を救わないと、始まらないだろうが」
その背に向かって、少年は言葉で追い討ちをかける。衆目が集まる中、彼は一層強い口調で言い放った。
「どう思われようが、何度でも言うぞ。俺達は、世界を救う為に、ここに集まったんだってな!」