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「2019年、2月3日。今から半年以上前になるわけだが、これが何の日かは、諸君もまだ記憶に新しいところだと思う」
軍服を身に纏った、高潔さを絵に描いたような女性が、壇上から厳とした声で口にする。高い鼻と、掘りの深い切れ長の目からは、聡明さが滲み出ているようだった。講義室を思わせる広いホールの中には、中学生くらいの年頃の子供たちが300人ほど、その話に耳を傾けている。
「この日、突如アメリカ上空に、肉眼でも確認出来る程のワームホールが発生した。原因も、発生した経緯も不明。突拍子もない話だが、はっきりとしている事は、このワームホールの向こう側に文明を持つ何者かが存在しているという一点のみだ」
その言葉と共に、照明が落とされ、壇上のスクリーンへと像が映し出される。それは、今まさしく彼女が話していた当時のニューヨーク上空の写真だった。雲を押し退けるかの如く空に空いた、黒々と大きな穴。そしてその向こう側に、蜃気楼のように朧気ではあるが、何か建築物のような物が見て取れた。城塞、という言葉が適切だろうか。高くそびえ立つ壁、それに守られるように立つルネサンス風の宮殿、そして、ちょうど『こちら側』を狙うように設置された、砲塔のような何か。
「そしてこの直後、あの穴から……『あちら側』にある城塞から、火の雨が振り注いだ。直径1m大の火球が、それこそ雨あられのようにな。都市部だけを狙っていた事からも分かるように、これは明らかに人為的な攻撃だった。この攻撃のすぐ後にワームホールは消滅したが、さらにこの2週間後、ロシア、中国などのアジア諸国、そして日本の空にまで、同様の穴が出現。いずれも、主要都市のみを狙った攻撃により、各国は多大な損害を被った。我が国も、その攻撃により壊滅的な被害を受け、都内の交通機関は半年以上経った今でも復旧工事をしている状況だ。そして、さらにその一週間後、新たな事件が起こった」
映像が切り替わり、別の写真が映し出される。それはまさに、空に空いたワームホールへと、旅客機が吸い込まれている場面だった。
「スペイン上空、飛行中の旅客機が、突如発生したワームホールの内部へと、突入してしまったのだ。あらゆる通信手段を以てしても、内部との連絡を取る事は不可能。生還は絶望的かと思われた。しかしその2日後、イギリス南部に現れた別のワームホールから、なんとこの旅客機が姿を現した。乗っていた全員を、そのままにな。すぐさま世界各国の権威が、ワームホールの内部を解き明かすべく調査を開始した。無論、乗客への聞き込みも行われる。しかし結果は芳しくなかった。乗客やパイロットなど、乗っていた人間全てが、異常に錯乱してまともに口も利けなかったためだ。ちょうど、その映像がある。少々ショッキングかもしれないが、現実に起こった事として、受け止めてほしい」
再び画面が切り替わる。そこに、年齢も国籍もバラバラな数名の男女が、次々と診察を受けているような体で映し出された。
『ひ、ひ、火の玉が!火の玉が追ってくる!や、焼け、ひぁぁぁぁ‼』
と泣き叫ぶ初老の白人男性がいれば、
『ああ、神よ。どうかお救いください。神、神、神ぃ!』
と狂信的に祈りを捧げる黒人女性がおり、
『ラピュータは本当にあったんだ!父さんは嘘つきじゃなかった!』
と倒錯して訳の分からない事を口走る少年がいたりと、反応は様々だった。あまりに凄惨な映像に、見させられた子供たちがざわめき始める。それを黙らせるように、再び軍服の女性が凛とした声で続けた。
「飛行機内の空気を調査した結果、現代の地球上には存在しない物質が検出される。そしてこれが、人々に重大な精神汚染を及ぼすという事が、明らかとなった。まるで悪魔の如く人々を狂わす事から、その成分は研究者たちの間で『魔素』と呼ばれている」
スクリーンの映像が消え、再び照明がつけられる。改めて照らし出された壇上の女性は、一際厳しい表情をしていた。
「各国の安全を守るため、ワームホール内の調査をする事は不可欠。しかし、この魔素が充満した空間の中で調査活動を行うのは、尋常ではない困難を伴う。普通の人間では、ものの数秒で発狂してしまうわけだからな。だが、研究を続けていった結果、ごく稀だが生来的に、魔素へ強い耐性を持つ人間がいると判明した。そこで我々は、国民の中からこの特異体質者たちを募り、訓練を積ませる事で、内部を調査するための特殊探査班を結成する事にした。これが――」
軍服の女性は、一旦言葉を切る。そして、一同を見渡しながら高らかに告げた。
「プロジェクト・ダイバーズ。世界を救う特務だ」