とある高地3
共和国陸軍将官であるアレクサンドル・コドロフは、嫌な予感ほど的中するものだな……と思っていた。
対陣している王国軍の中に〈杜の民〉が混じってる可能性があるとの情報があり、すでにその時点で「それはただの〈防人〉なのか?」という疑念を持っていた。
それで昨晩、嬉々として「待ち伏せて、奴等の度肝を抜いてやる!」と言い出した政治将校を制止することもできずに気が進まぬまま、投光器と待ち伏せの兵士……兵を休ませたかったのでなるべく少数精鋭と……闇に潜んでいた。
すると、例の王国軍輸送機が投下したものの、回収できずにいる物資コンテナの辺りで物音がしたので、投光器で照らし出して一斉射を加えようとした。
ところが王国軍の度肝を抜くことはできず、投光器が一瞬で使いものにならなくなっただけだった。
のちに友軍の狙撃手に訊いたところでは「暗がりに光りでは『敵に撃ってください』と言っているようなもんですが、的確な射撃ではありますね」というコメントだった。
この一件でアレクサンドルは確信した。この丘には〈杜〉の〈狩人〉がいる……これ以上、やっかいなことにならなきゃいいがとアレクサンドルは思った。
* * *
政治将校なぞを志す人種が、投光器の一件ぐらいでおとなしくしているはずもない。今度は、“高地”の攻め手について口を出してきた。
正面からだけでなく、裏手の崖からも攻めろというのだ。
「まさか、あそこを攻めてくるとは誰も思うまい!?」
一度、アレクサンドルも見てはみた。確かに敵の影はなかった。しかし、かなりの傾斜地であり攻略ルートは限られる。
万が一、敵に気取られ上から狙い撃たれれば逃げ場などない。
政治将校は正面の攻撃で敵を引きつけておき、背面の崖を攻略すれば、不意を突かれた敵は「なすすべもなかろう」というのだが……。
味方空軍の攻撃により被害は甚大とはいえ、王国軍はともかく〈狩人〉がそんなことを許すのか?
アレクサンドルは、なんとか傾斜地の登攀作戦を思い留まらせらせたいと思った。
だが、将来を嘱望されていた同期がどこかの政治将校と些細なことで衝突し、更迭されたきり音沙汰がないという事実を思い出してしまい、ため息をつくに留めた。
* * *
馬鹿正直なのか? はたまた兵力的優位からくる余裕なのか? 共和国軍の動きは解りやすかった。
先の空爆で満足したのか砲弾を節約しているものか、控えめというか中途半端というか散発的な砲撃があった後、キレイに整列した兵士たちの一群が現れた。
方陣を組んで、個々の兵士の勇気を示すといった時代はとうに終焉を迎えたはずだが……。
「軍楽隊のタイコが聞こえてきそうだゼ」と、オウルはアウィスにつぶやいた。
「じゃあな。正面はまかせた」と去って行ったオウルに「解った」とアウィスは応じた。そして、手に馴染んだ狙撃銃を手に取ると、傍らの共和国軍兵にうなずいた。
* * *
アレクサンドルは自軍の部隊配置を見て、眉をひそめた。ご丁寧に隊伍を組んだうえにその後方には、機関銃を所持した部隊が配置されていた。
鈍い色を放つその銃身は、王国軍陣地ではなく、彼の部下である共和国軍兵に向けられていた。
アレクサンドルはそんなものは私の部下たちには必要ないと主張したのだが、件の政治将校は伴ってきた督戦隊を投入することを躊躇わなかった。
政治将校はよせばいいのに裏手の崖を攻める部隊の指揮を執るのだと言って、正面にはいない。
アレクサンドルは、政治将校がいない間、どさくさ紛れに督戦隊を武装解除できないものかと密かに考えていた。
* * *
アウィスは、狙撃銃を携えてはいるが構えることなく、広い視野を保っている。
この戦場にいる〈杜の民〉二名は別々に行動しているため、気心が知れた観測手がいない。
さらに、今回、壊滅した王国軍司令部の代わりにアウィスは正面を預かる指揮官役を務めている。そのため、状況が許す限り、狙撃には参加しないつもりだった。
重機関銃手と部隊内の射撃に秀でた選抜射手には、「第一優先目標として敵狙撃手、第二優先目標として敵士官、それらが視認できなければ各自が脅威と判断したものを目標とせよ」とすでに伝えてある。
「ダッ」という王国軍陣地から放たれた重機関銃の単発射撃音が、両陣営にとって戦闘開始の合図となった。
* * *
やはり、嫌な予感ほど的中するものだなとアレクサンドルは改めて思っていた。こちらの射程外から命中弾があり、下士官から戦死者が出ている。
どうやら王国軍は、重機関銃に光学照準器を付けて対物ライフル代わりにしているようだと、お手上げ状態の味方狙撃手が報告してきた。
ちなみにアレクサンドルは、この戦場で〈狩人〉の気配を感じ取ってからすぐ、軍服から将官であることを示す階級章を剥ぎ取り、一般の兵士と同じ鉄帽を被ったうえで、自分に対する敬礼をやめさせていた。
勇敢さとはかけ離れた行為ではあったが、その臆病ともとれる用心深さが今まで彼を生き延びさせてきたのも事実だった。
* * *
オウルはほかの王国軍兵は下げたまま、ひとり岩陰に身を潜めて共和国軍が崖に取り付くのを眺めていた。
共和国軍の兵士たちは物音を立てないように注意してはしていたが、王国軍の待ち伏せはまったく警戒していないようだった。
後方に胸に勲章をいただき、腰にサーベルを吊った時代がかった装束の士官がいるのが滑稽だとオウルは思った。
オウルは岩陰から離れると、軍曹に近づいて小声で言った。
「ギリギリまで引きつける。弾を無駄にするなよ」
* * *
「何をやっているのだ!」
ちょうど足がかりになりそうな岩のある部分に取り付いた兵士が、ゴロゴロと転げ落ちた。
下に控えていた兵士を道連れにして、さながらお笑い芸人がやる寸劇の様相を呈していた。今にも、わざとらしい観客の笑い声が聞こえてきそうだった。
政治将校は知るよしもなかったが、オウルたちはあるところは岩の下をえぐり、あるところのは手頃そうに見えるようにそれっぽい岩を配置し、罠の登攀ルートを構築しておいた。
そして……共和国軍の兵士が手がかりとしたがっしりとして見えた岩はそれを掴んだ兵士ごと転げ落ち、下にいた兵士も巻き添えにした。
事ここに至って、共和国軍の兵士たちもさすがに何か勝手が違うことに気づいたが、そもそもこちらがダメならあちらへと自由がきくような場所ではない。
そして、立ち往生している彼らにさらなる試練が待ち受けていた。
* * *
「煮え湯か?」
重機関銃を担いだ兵士たちを伴って応援に来たアウィスは、オウルにそう声をかけた。
「汚物はやめておいた。この時期にセレスのお上品なイメージを損ねるワケにもいかねえだろ(笑)」
オウルが言う“セレス”とは、美姫として王国のみならず共和国までも知られた存在である、〈杜〉の首長の娘であるセレスティーナ・シルワウィリデのことだ。
気の毒な共和国軍兵士は、崩れ落ちる岩の洗礼の次に、頭上から沸騰した湯を浴びせかけられた。
奇妙な戦場だった。王国軍、共和国軍、双方一発も銃弾を発砲せぬまま、共和国軍が撤退を開始していた。
だが、自らの目で実際に確認しているにもかかわらず、どうにも納得できない男がいた。もちろん、件の政治将校である。
「何をしている! 誰が撤退していいと言ったかっ?!」
そして、いよいよ督戦隊に出番を与えようと腰のサーベルに手をかけたとき、一発の銃声がしてドサリとその前時代的な制服をまとった政治将校はただの肉塊と化した。
* * *
「いい銃だ」
光学照準器を覗いていたアウィスは、引き金から指を外しながら言った。
「間に合ったな」
オウルも満足げに言った。
敵士官らしき人影を目にしたオウルは「余裕があったら重機関銃を一丁まわしてくれ」と伝令を走らせた。
結果、重機関銃が一丁やってきた。超一流の射手付きで。
「正面はいいのか?」
「ああ、第一陣はあらかた片付いたから軍曹に任せてきた。様子見なのかもしれんが、淡泊な攻めだった。擲弾筒はだいぶ使ってしまったが……」
「そうか……」
「ああ」
そんな会話をしながら、オウルとアウィスは「これしきのことで引き下がるような共和国軍なら、ワザワザこんなところまで攻めて来まいな……」とまったく同じことを考えていた。
「そうだ。今のうちに一服しようゼ。オマエ、隠し持ってる茶葉があるだろ?」
「……」
アウィスは仕方なさそうに肩をすくめて腰の小物入れから、小袋を取り出した。他国でも珍重されている〈杜〉産の茶葉だった。
残っていた煮え湯の使い道が見つかった。
* * *
崖を攻めると息巻いていた政治将校は何が起きたのか解らぬまま、作戦行動中行方不明となった。
その報告を受けたときアレクサンドルは、晴れ晴れとした満面の笑みを浮かべそうになった。そして、咳払いでごまかしながらも口元が緩むのを止めることができなかった。
知らせを受けるとすぐ、アレクサンドルは崖攻めの部隊に攻撃中止を命じたが、すでに少なくない犠牲者が出ているとの戦況を訊くと、喜びも束の間、暗澹たる気分になった。
天の配剤か……アレクサンドルは、獅子身中の虫であった政治将校を斃したという、王国軍の重機関銃手に心の中で心から感謝していた。
おそらく〈狩人〉だろう……敵ながら天晴れな働きではあるが、どうせならもっと早く政治将校を片付けてくれればよかったものを……。
そこから、全軍を改めて掌握したアレクサンドルは、攻め手を正面だけに絞り、王国軍の重機関銃とはまともに撃ち合わず、擲弾筒と迫撃砲で対処することにした。
孤立無援で輸送機からの物資投下による補給にも失敗した王国軍と違って、包囲軍である共和国軍の物資、弾薬は潤沢だった。
どうしても狙いが散漫となる曲射砲による射撃だろうが、物量にモノを言わせるだけだ。
* * *
「イヤな攻めをして来やがるようになったゼ」
「無能な士官を減らしてしまったのかもな」
顔をしかめるオウルに、アウィスがつぶやいた。
「ちっ、敵を利しちまったか……」
初戦こそ、下士官や一部の将官に戦死者を出した共和国軍は戦線を崩壊させるという醜態をさらしたが、その後、一度、退いて体勢を立て直してからは無理攻めをして来なくなった。
王国軍の重機関銃の射線に入らないように遮蔽物を使いながら、擲弾筒と迫撃砲を撃ち込んでくる。
遠距離からの当てずっぽうとも言うべき攻撃のため、そうそう直撃弾はないのだが、命中率の低さは投射量で補う作戦のようで、その数がハンパない。
初戦では砲撃が散発的だったのが嘘のようだし、このおそらく新しいであろう指揮官には何よりも砲撃を“徹底する”、攻撃を“貫徹する”という意思を強く感じる。
「命あってのなんとやらだ……」
オウルはそう言うと、重機関銃は可能な限りで、難しければ放棄してもかまわないから「各自、可及的速やかに退避せよ!」と伝令を走らせ、土塊が飛んで来ない場所を探して塹壕の壁に背をあずけると大事そうに〈杜〉の茶をすすりはじめた。
軍曹が驚くほどの確立で命中弾を繰り出していた重機関銃を惜しそうにしていたのに対して、アウィスは茶を手渡しながら静かに言った。
「武器の補給はすぐにできるが、経験を積んだ兵士はそうはいかない」
「お茶は後ほどいただきます」
それを聞いた軍曹はお茶に関してはちょっと惜しそうだったが、もう躊躇わなかった。
率先して動いて、下げられるだけの重機関銃を塹壕と崩れ残った掩蔽壕の一部に下げさせると、部下たちの退避を確認して自分も塹壕に身を潜めた。
* * *
その後は共和国軍が一進一退を繰り返す、熾烈な戦いが展開されることとなった。基本的に戦闘は守る側よりも、攻める側が難しいものだ。
地の利がある分、王国軍はなんとか共和国軍の攻勢をしのいではいたが、オウルもアウィスも粘り強さを感じさせる決して無理責めをして来ない、共和国軍の動きに油断ができなかった。
対陣していて何が嫌かといえば、しぶとい相手ほど嫌なものはない。
* * *
政治将校が作戦行動中行方不明になってからのアレクサンドルは、持ち前の手堅い用兵……目に見える戦果をすぐに欲しがる、成り上がりの上官や政治屋にはアレクサンドルの見た目も揶揄して「地味なヤツ」だと嫌われがちだが……で、じわりじわりと王国軍の陣地を脅かしつつあった。
そうして、日も暮れようかという時分、通信兵より本国から暗号通信が届いたとの報告があり、その通信内容は大いにアレクサンドルを困惑させた。
「『損害を顧ミルコトナク、速ヤカニ高地ヲ奪取セヨ』ですか!?」
アレクサンドルが通信内容を副官に明かすと、彼は絶句した。
「党上層部はいったい何を考えて……同志コドロフ、失礼しました」
「私は何も聞いていない」
副官の失言を内心「もっともだ」と思いながら、アレクサンドルは上層部が何かヘンなことを……否、多少おかしいのはいつものことだが……特にヘンなことを言って来るときはだいたい“政治”がらみだと相場が決まっていると思考をめぐらせていた。
だから、そういう政治がらみの戦場はやっかいなのだが、そもそも昨今、政治がらみでない戦場があったものか? そもそも、戦争というヤツは外交の最終形態という側面を持っている。
また、出撃前に共和国軍の将官である義理の父から、今回の戦場では特に本国の意向には逆らうなと忠告されていた。
妻は貧しい家の出であるアレクサンドルを軽んずるところがあり、彼も心から愛せはしなかった。
しかし、部下には慕われても上層部にはコネも何もないアレクサンドルを「少ない損害で最大限の成果を上げており、見所がある」として将校に推挙してくれた義父には感謝していたし、その言葉にもよく耳を傾けていた。
* * *
夜の帳に包まれたおかげで、ようやく人心地ついた王国軍陣地だったのだが……。
「共和国軍に動きがあるってのか?」
「まさかだな」
報告に来た軍曹の表情はこわばっていて、その顔には泥だけでなく、疲労も色濃くへばり付いていた。軍服も泥だらけで誰かの血痕だろうか、黒く色が変わっている部分もある。
ふたりの〈狩人〉を前にした軍曹の姿は……直立不動というよりは、立ち尽くしているという形容が正しい感じがする。
オウルとアウィスも泥だらけで似たような姿ではあったが、ふたりとも眼光は死んでいなかった。
アウィスが「まさか」というのは、夜戦を得手とするのは元来、王国軍というか〈杜の民〉のほうであって、正攻法を旨とする共和国軍は好まないものだというのが軍関係者にとっては常識だったからだ。
まあ、そもそも〈杜の民〉が駆り出されるような戦場は劣勢の場合が多く、正攻法では戦いようがないという事情があり……オウルに言わせれば「夜戦なぞ、好きでやってるわきゃあねぇだろ」ということになるのだが、その点はこの際おいておく。
「まあ、ヤルってんなら、お相手するしかねぇナ」
オウルがそう言うと、アウィスはうなずきながら軍曹の肩を軽く叩くと、重機関銃のもとへ向かった。
* * *
「夜戦の準備だ!」
アレクサンドルは最初こそ困惑したものの、ここが勝負どころだと確信すると今までの慎重さをかなぐり捨てて積極的に動いた。
友軍が砲撃中には誤射を防ぐため、味方歩兵は前進できない。夜間は砲撃支援ができない代わりに誤射の心配もない。
それに明るくなれば、また光学照準器付き重機関銃で射程外から狙い撃たれる。
ただ的にされるぐらいなら、暗闇を手探りで進んだほうがマシだ。
〈狩人〉は月明かりでも狙撃してくると、嘘だか真だか解らないような噂も聞いたことがある。
だが、幸いにも今宵は月がない。さすがの〈狩人〉も腕の振るいようがないはずだった。
* * *
アレクサンドルは悪夢を見ているようだった。
政治将校が作戦行動中行方不明になって、ほうほうの体で撤退してきた督戦隊の将校に「決して、悪いようにはしない。いや、むしろ、本国の命に際して、その任に率先してあたったとの報告をするであろう……」とかなんとか、脅しおだてあげて先陣をきらせた督戦隊の兵士たちが、突然出現した小さな太陽に照らされてバタバタとなぎ倒された。
王国軍は信号拳銃で照明弾を撃ち上げて、それを光源として射撃しているようだ。
「そんな馬鹿なっ!!」
アレクサンドルは珍しく叫んでいた。友軍を守ってるくれるはずの闇はもうそこにはなかった。
高所から撃ち下ろすのは容易な部類の射撃ではあるが……しかし、照明弾が空中に留まる時間などたかが知れている。
ましてや、王国軍の照明弾のストックが無尽蔵なわけがない。
「ひるむな! 照明弾が底を突いたときが王国軍の最期だっ!!」
アレクサンドルは、またもや珍しく叫んでいた。その叫びは、友軍のみならず、自らを鼓舞するためでもあった。
* * *
「これが最後だゼ」
最後の照明弾を手に取り信号拳銃に装填すると、銃機関銃座についているアウィスに声をかけた。
その重機関銃には光学照準器は装着されておらず、アウィスは裸眼……アイアンサイトで照準していた。
そのほうが弱い光源を有効に使えたし、視野を広く保つこともできるからだ。それができるのは、〈狩人〉の常人離れした“眼”があればこそなのだが。
「輸送機はどうなったってんだ! 最初の一機で打ち止めかよ!? 怖じ気付きやがって!! なにが王国空軍だよ。完全に名前負けだろ。陸軍の連中がこんなに踏ん張ってるってーのによっ!!!」
オウルが信号拳銃を頭上に構えながらついた悪態は、アウィスの耳に届いたのか届かなかったのか……彼我の射撃音にかき消され、周囲の闇に吸い込まれてしまった。